7.空を渡るは愛しき白き雲
翌日鏡を覗くと、一晩冷やしていたお蔭で顔の腫れはすっかり引いていた。
ただ、唇の端に残った傷だけが昨晩のことを現実だと告げていた。
幸か不幸か、向こうもこちらも警察沙汰にしなかったので学校にも連絡はいっていないようだった。
また店内で一幕あったことで、平謝りする馨に馴染みのオーナーは怒るでもなく逆に頬を緩めて、「あのスマートな馨くんがまさかとビックリしたよ。こっちは気にしないでいいから、今度、その子と食べにおいで。」と言ってくれたのもありがたかった。
本当に今回のことはいろいろな面で運が良かったと思う。
「おはよう。あら、腫れ綺麗にひいたわね!」
「うん。特に突っ込まれずに学校行けそう。」
リビングに入ると、朝食の準備をしている母さんと目が合った。
母さんはまじまじと顔を見つめると、言った。
「なんだか馨…顔、変わったわね。」
その言葉になんだか恥ずかしくなり、少しおどける。
「殴られたからかな?」
「そんな訳ないじゃない。
…わかってるんでしょう?」
背中を叩かれ、「今日、終業式でしょう。さっさと食べて学校行きなさい!」と言うと、キッチンに入って行った。
それでも学校に着くと、口の端に残る傷を見た友人らから「どしたの、それ?」と心配されたが、「まぁ、ちょっとな」と適当に流していた。
かったるい終業式に出た後、大掃除が終われば華の夏休み…否、勉強漬けの夏休みが始まる。
馨は裏庭の掃除当番だったが、校舎から見えないのをいいことに石に腰掛け、箒を手にしたままぼーっと空を眺めていた。
青の絵の具を一気に零したような青い空に、もくもくと大きな入道雲がかかっている。
「あ、サボリはっけーん!」
後ろから突然声を掛けられ、馨はビクッとして立ち上がった。
慌てて振り向くと、そこにはちいこ先生が立っていた。
「…ち…いこ先生。どう…してここに…。」
昨日の出来事をちいこ先生は知らないはずなのに、どうしようという焦りが声を上ずらせた。
「掃除のサボリがいないか見回り。…ていうのは嘘で。
探してたの、大倉くん。」
「え…。」
ちいこ先生に探される理由を探したが、心当たりは無かった。
すると、唐突にちいこ先生の指が頬にそっと触れた。
「大倉くん、ばかだよね…。…痛かった?」
頬に触れられた指と掛けられた言葉のあまりの衝撃に、頭が真っ白になる。
咄嗟に否定の言葉を探す。
「…いや、あの! これは!」
「いいの。知ってるから。」
「…え…!? なんッ…!!」
「電話。切れてなかったから、全部聞こえてた。」
その言葉に頭を抱えてうずくまる。
「あーーー。」
あの時ソファに放り投げられたスマフォを思い出す。
電話は切ったと思っていたが、まさか繋がったままで、全ての会話が筒抜けだったとは。
ちいこ先生を傷付けるものから護りたいって思っていたのに、まだ知らないでいいって思っていたのに。
自分自身が彼氏の不貞を知らしめてしまった。
頭上からちいこ先生の声が降ってくる。
「大倉くん、ごめんね。それから、ありがとう。
でも、さっきも言ったけど。大倉くん、ばかだよ。」
「ごめん、先生。
知らなくて良かったこと、気付かせてしまって。
俺が…傷付けた。」
ちいこ先生、やっぱり知りたくなかったんだな。
どれだけ責められれば赦して貰えるだろうかと考えていると、ちいこ先生は静かに首を振った。
「大倉くん、違うよ。
一歩間違えたら、命だって危なかったかもしれないんだよ。
それに今回は警察沙汰にならなかったから、学校もこのことを知らないけど。
今、大事な時期なの分かってる? 大倉くん、受験生なんだよ。
もし暴力事件として停学になんてなったら、内申にも響いてくるし、受験に不利になる。」
ちいこ先生は、ひとつ息をつくと、一言言った。
「私なんかのために、そんな危ないことしないで。」
一陣の風がサァーッと二人の間を吹き抜ける。
――俺の心配…?
一気に顔に朱が走った。
でも、それと同時に自分の問題だから関係のない者は踏み込むなと一線引かれたことにチクリと心が痛んだ。
馨はしゃがみ込んだまま、チラリと顔を上げてちいこ先生の表情を窺い見た。
―――先生は、本命彼女の余裕なのかな…。
表情からはよく読み取れない。
思い切って言ってみる。
「あんな奴、やめちゃえよ…。」
「もうそろそろダメだっての、わかってるの。」
思いの外あっさりとちいこ先生から返答は返ってきた。
「大倉くんと夜公園で会ったことあったでしょう?
あの日ね、偶然知っちゃって。
居ても立っても居られなくて、家から飛び出しちゃって。
フラフラして、結局コンビニでビール買って、公園でヤケ酒。」
ふふっと笑ってちいこ先生はくるっと向きを変えた。
「頑張ったんだけどな〜。」とぽつりと言って顔を上に向けた。
あの車に乗っているのを見た日のことだろうか。
できる限りのオシャレをして、最大級の笑顔を向けて。
泣きそうなのかな…と思って、なんでもいいから気の逸らせるものを、と思わず声を上げる。
「あ! 飛行機雲だ!」
「…本当だ。」
青い空にスーッと一本白い線を残し、空を切り裂きながらやがて見えなくなっていく飛行機。
何か思いに暮れるように見やる姿に、思わず口にする。
「アイツに置いて行かれちゃった、なんて思わないでよ。」
「…そんなこと…思わないよ。」
感傷的な瞳をまっすぐ射る。
「飛行機が残して行った飛行機雲でこの青い空が線引きされたって、入道雲はそんなのお構いなしにやってきて、飛行機雲も飲み込んじゃうよ。」
「…? どういう意味?」
「さぁね! さー、掃除時間終わりっ! 夏休みだー!」
大きく背伸びをして、大きく成長しそうな入道雲を背に歩き出す。
飛行機雲ほど儚くて、それ以上に青い空に映える存在なんて知らない。
飛行機は通った後に残った一本の線の存在なんて、知りもしない。
魅力が分からないヤツになんて渡さない。
――境界線なんて、自分で越えてやる!
こんばんは!コウです。
4話の公園での出来事の裏側、千香子sideは実はこういうことでした。
だからああいう格好で公園だったという…。
予告に間に合わず、次々回の次の回になってしまいました。お待たせでした!
次話も馨と千香子が絡む予定です。
馨、ガンバレ~~♪
次話も応援よろしくお願いします。
2015.6.28 書き忘れていた一言を追加しました。
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