6.大人の境界線
白を基調とした店内は少し照明が落とされ、テーブルの上には小さなキャンドルがいくつか揺らめいている。
今日は母さんの誕生日のお祝いで、行きつけのシェ・ヤマグチに来ている。
四角いテーブルの中央にはバラとカスミソウが飾られ、「Happy Birthday!」のカードも添えられていた。
お店は雰囲気も味もサービスも抜群で、家族は皆とても気に入っており、もう何年も誕生日のお祝いはここと決めて足を運んでいる。
父さんと母さんが向かい合うように座り、その間にそれぞれ向かい合せで馨と妹の光が座った。
「母さん、コースはお肉でいいかい? 馨と光はどうする?」
「俺も肉でいいよ。」
「私はお魚!」
「そうしたら、お肉とお魚2つずつお願いします。
あとは、ウーロン茶2つとワインの赤、辛目のものでオススメを持ってきてください。」
父さんがメニューをパタンと閉じながら注文を終えると、「承知しました。」とメニューを受け取りウェイターは下がっていった。
時間が早いからか、周りはまだ空席が目立っている。
隣のテーブルもその奥も「reserve」の札が置いてあるので、これから客が来るのだろう。
しばらくして飲み物が届き、乾杯をする。
グラスに注がれたワインが揺れる度にキラキラとさざ波のように光り、ウーロン茶の自分には余計にその光が眩しかった。
ここでも大人の境界線を感じ、悔しくなる。
一緒に雰囲気の良いレストランに来ても格好もつかない…と考えたところで、頭をぶんぶん振り、思考を飛ばした。
「そうだ、母さん。プレゼント!」
「はい! ママ、お誕生日おめでとう!」
「気に入って貰えるといいんだけど。」
光と一緒に選んだプレゼントのキーケースを渡すと、無事気に入って貰えたようだった。
母さんの笑顔を見て、さっきまでの澱んだ気持ちが少し浮上した。
メインの料理が運ばれてきた頃、横のテーブルに腕を組んだカップルがやってきた。
ウェイターに椅子を引いて貰って女性は座り、男性も続いて座った。
――…どこかで見たような…?
20代後半位に見えるカップルは指を絡ませ合いながら、メニューを見て話をしている。
二人の左手薬指にはキラリと指輪が光っていた。
しばらく考えてみたものの、どうにも思い出せなかった。
ちょうど馨の正面に座った2人をもう一度見て、やっぱり気のせいかもしれない、と運ばれてきた肉汁溢れるステーキを口に運んだ。
「ふー、満腹!!」
「美味しかったねぇ、ママ!」
「あ、ちょっとトイレに行ってくる。」
馨はナフキンを畳むと椅子の上に置き、トイレへと向かった。
途中、トイレへと続く廊下に置かれたソファーで、煙草を咥えながら脚を組んで座っている男性が視界に入った。
どうやら、隣のテーブルに座っていたカップルの男性のようだ。
ちらりと見るが、やはりわからない。
男性はYシャツの胸ポケットから眼鏡を出して前髪を掻き揚げながら掛けた。
その瞬間、ガツンと海馬に衝撃が走った。
――あのSUVの男だ…!
数日前に目の前を一瞬で通り抜けていった男、ちいこ先生の彼氏だった。
さっきまでの高揚した気分が一気に引いていくのが分かった。
――…なんで…!? なんでちいこ先生じゃない女といる?
会社の接待やキャバクラの同伴じゃないのかと自分に問うても、あの雰囲気は明らかに恋仲のそれだった。
ちいこ先生は、知っているのだろうか…。
数日前の笑顔が脳裏に浮かぶ。
――どうしよう…。
迷いながらトイレから出ようとしたところで、聞こえてきた声に足が止まった。
相手の声が聞こえてこないので、どうやら電話をしているようだった。
「…千香子! だから仕事だって言ってるだろう!
分かってくれよ。……あぁ。…あぁ。
…そんな心配するなよ。」
男は立ち上がると、持っていた煙草を灰皿にグリグリと押し付けた。
「…千香子だけだよ。」
男の左の口角がにやっと上がったのを見て、肌が逆立つのを感じた。
「もう切…」
「二股なんて、だっせぇヤツ!」
あ、と思ったときにはもう叫んでいた。
ハッと男が振り向いて、表情が一気に険しくなった。
スマフォをソファに投げつけると、胸倉を掴まれ、壁に思いっきり押し付けられた。
「…このクソガキが! 何してくれてんだよ?」
「ダサいと思ったから、ダサいと言ったまでだよ!」
「…んだと…!」
「1人の女を大事することができないのは、男失格だろ!?
1人の女を幸せにするというただひとつのことさえ全うできないなら、それは大人の男失格だよ!
だからダサいって言ったんだ。」
騒ぎを聞きつけたのかバタバタとこちらに向かってくる足音が聞こえたのと、ヒュッという風がきた直後、頬に熱さを感じたのはほぼ同時だった。
ガッと音がして、気が付くと横のごみ箱と一緒に倒れていた。
「お客様! どうなさいました!」
「どうもこうもねぇよ! 胸糞悪い! 帰る!」
従業員が状況の把握をしようと留まるよう頼んでいたが、「先に口を出してきたのはあのガキだ。」と息巻いて男は女を連れて帰って行った。
「被害届だしますか?」とお店の人から聞かれたが、「被害届けを出すことで傷付く人が出てくるから」と断った。
事情を説明することでちいこ先生に伝わって、ちいこ先生のあの笑顔が消えるのは嫌だった。
あんな男のために笑ってなど欲しくなかったが、心が翳って笑顔が曇るのはまだ先延ばしにしたかった。
ただ、傷付いて欲しくなかった。
お店の人から貰った保冷剤をハンカチに包み、頬にあてる。
口の端からは少し鉄の味がした。
「父さん、母さん、ごめん。
今日、母さんの誕生日だったのに…。」
帰り道、前を歩く父母の背に向かってポツリと謝った。
子の俺が言うのもなんだけど、父さんと母さんはとても仲が良い。
「1人の女を大事にできる男になれ」というのが父さんの口癖だった。
その言葉は昔から聞いていたけれど、イマイチぼんやりとしか理解できていなかった。
告白されては付き合っていた頃、その時々の相手をそれなりに大事にしていたと思う。
高1のとき、付き合っていた子が付き合ったことによって嫌がらせを受けていたことに気が付いた。
何も言われなかったから気が付かなかったけど、その前の子たちもそれなりにあったのだと思う。
そのときはもう付き合うことで生じるあれやこれやに辟易していたのもあって、俺と付き合わない方が守れるという理由をつけて、安易に別れた。
それから誰とも付き合わずにきたけれど。
多分、そうじゃないんだ。
「大事にしたい女性ができたか?」
振り向いて、父さんは微笑みながら言った。
「んー…。まだ片想いだけど。」
貴女を傷付ける全てから護りたい。
曇りのない満月が煌々と4人の背中を照らしていた。
こんばんは!コウです。
馨くん、唐突にやってしまいました-;;
暴力事件勃発です。
殴る・殴られる・何もしない…等いろいろ考えたのですが、結局「殴られる」が選択されましたw
次話はお待たせしました、千香子が出てくる予定です。
お楽しみに~~♪
次話もよろしくお願いします!
*・゜゜・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゜・*
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