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明日世界が滅びるとしたら

作者: クロウ

 大学での講義を終えた俺は、その近隣にある寂れたアパートを訪れていた。

 「偉大なるスージー博士の研究室(訪問販売お断り)」と表札に書かれた一室の前に立ち、インターフォンを押す。

 現れた江里栖エリスという名の女性は、開口一番こんなことを聞いてきた。


「もしも明日・世界が滅びるとしたら・貴方はどうしますか」


 唐突過ぎる質問に俺は何も返せず、江里栖の怖いぐらいに整った顔立ちをじっと観察した。

 それから、彼女の横をすり抜け部屋に入れないかと試みた。

 俺が左に動くと彼女は右に動き。

 俺が右に動くと彼女は左に動いた。

「このくだらない遊びは、スージーの入れ知恵か」

 江里栖は答えず、ただ無表情に苛立つ俺の姿を見下ろした。俺は身長170cmだが、江里栖はそれより10センチ以上高い。

 このままでは時間を浪費するばかりである。俺は仕方なく質問に答えることにした。

「……世界が滅びないように、とりあえず足掻くよ」

 その答えに満足したのか、江里栖は口の端だけ持ち上げる器用な笑みを見せると、くるりと背を向け部屋の中に消えた。

 ちなみに江里栖は人間ではなくロボットである。



 室内はゴミの山で満ちていた。

 たった一日でここまで汚くすることができるのは、ある意味才能かも知れない。

 俺は軽い頭痛を覚えながら、部屋の奥――と言っても8畳ほどの狭い部屋だが――に進んだ。

 隅の方で、ちょうど江里栖が部屋の主・スージーに話しかけるところだった。

「マスター、『相変わらずつまらない』でおなじみの男、北國修人が来ました」

「おお、もうそんな時間か。そろそろティータイムの準備をしなくては」

 スージーが立ち上がる。輝く銀髪がさらさらと背中を流れ、美人というよりも愛嬌のある顔がこちらを向いた。深い青色の瞳は強烈な引力を放ち、それを彩る睫毛はビューラーなしでもくるりとカールしている。見た目は未成年に見えるが、実際に聞いたことはないので分からない。

 知っているのは、こいつが優秀な科学者で、かつ特別な能力を持っているということだけだ。

「修人よ、早速で悪いが掃除を始めてくれ。ティータイム中の私に塵一つかからんようにな」

「無茶を言うなよ……」

 だったらティータイムをずらせと言いたいところだったが、いつもの事なので気にせず、部屋内のテーブルゾーンへと移動した。備え付けのパラソルを開き、傘地に留めてあった透明ビニールをくるくると下ろす。

 こうすることで一応、パラソル内は周囲の塵やゴミから隔離されることになる。

 テーブルの準備が整うと、江里栖は冷蔵庫から洋菓子と麦茶のボトルを取り出した。

 それぞれを皿とグラスに用意し、テーブルの上に置く。

 今日の洋菓子はチョコチップクッキーらしい。スージーの大好物だが、俺は自然と顔をしかめていた。

「さて、頂くとしよう」

 律儀に手を合わせ、スージーはチョコチップクッキーを頬張った。

 早速、大きな塊がテーブルの下に消え、それからもポロポロとクッキー片が零れ落ちた。

 だが当人は全く気にしたそぶりもない。

 ポロ、ポロ、ポロ……。

 あっという間にカーペットが汚れていく。

「どうでもいいが、なぜボロボロこぼしてしまう類のお菓子ばかり好きなんだあいつは」

 スージーに聞こえないよう小声で呟きながら、俺は掃除を進めた。

 その間、彼女は麦茶に角砂糖をいくつも投入し、スプーンでゴリゴリやっていた。

 口いっぱいに広がる甘みを想像し、俺は若干の吐き気を催した。

 なぜなら、俺は甘いものが苦手だからだ。

「んっ?」

 くだらない事を考えていたせいか、掃除機が知らずの内に大きなものを吸い込んでしまったらしい。

 カタカタと妙な音が聞こえたが、それもすぐに収まった。

「どうせ、使わなかった部品の類だろう」

 俺は一人で納得し、ひたすら掃除を続けた。

 何しろこの狭い部屋を掃除し食事を作るだけで日給1万円である。

 破格の条件だからこそ、俺はここの家事アルバイトを続けていた。

「修人、君の手際は相変わらず素晴らしいな。今すぐ私の伴侶となる気はないか」

 スージーがいつも通り声を掛けてきた。俺はため息をつく。

「断る」

「なぜだ、私には財力も名誉もある。決して君に不自由をさせることはないぞ」

 チョコチップクッキーを零しながら話すスージー。食うか喋るかどちらかにしろと言いたい。

 とまぁ、それはさておき。

 確かにスージーは数々の特許のおかげで金があるようだし、特定の分野ではかなりの貢献をしたとして尊敬されているらしい。スージーと結婚すれば、金銭面での楽な暮らしは保障されるだろう。

 だが俺にとって、そんなことはどうでもよかった。

 一流企業に就職し、30代前半で結婚。子供は二人で、休日は4人そろって出掛けるなど家族サービスを欠かさない。老後は孫の顔を見てから、妻よりも先に死ぬ。

 そういう平凡な人生を望んでいるからだ。

 その意味で、スージーは妻として限りなく相応しくない。

「本当に・つまらない男ですね・マスター」

 江里栖が横槍を入れてくる。ロボットの癖に自己主張の強い奴だ、とは口に出さなかったが。

「道端に落ちてる犬のウ○コ食って死ねばいいのに」

 心を読まれたかのように暴言を吐かれた。

「江里栖、私はいま食事中だ。汚らしい単語を使うのはやめてくれ」

「申し訳ありません・マスター」

 飼い主には憎らしいほど従順な奴である。

 ちなみに江里栖が俺を嫌っているのは、俺が家事のほとんどをこなしてしまうため、家政婦ロボとしてのアイデンティティーを失っているからだ。



 部屋内の掃除が終わると、俺はスージーの夕食を用意し、足早に研究室を後にした。

 長居すればスージーの求婚をかわし続けなければならないし、これ以上江里栖に暴言を吐かれるのも気が引ける。

 もっと言えば、そもそもあの空間が好きではないのだろう。

 早く落ち着ける場所に戻ろうと、俺は一人暮らしの自宅を目指した。

 翌日、自分が思いもよらぬ状況に陥るとも知らずに。



 ***



 異変に気付いたのはすぐだった。

 自宅の部屋の中に、物が何一つとして存在しない。

 そして俺は、いつの間にかフローリングの上に体を横たえていた。

 痛む背中をさすりながら起き上がり、部屋の外に出てみる。

 マンション内の様子は、間違いなく俺の記憶にあるままだった。念のため外に出てみるが、こちらも見慣れた風景である。

 部屋に戻ると、玄関扉の横に貼ってあった表札がないことに気付いた。だが部屋番号は間違いなく借りているはずの部屋と同一である。

 そこまで確認して、俺は下唇を噛んだ。

「……また、あいつか」

 こうした「異常事態」に遭遇するのは、俺にとって初めてではなかった。

 枕元に置いていたスマートフォンも消えていたので、仕方なくスージーの研究室へと駆け出す。

 街中がもぬけの殻となっていた。

 歩行者はもちろん、走る自動車や自転車の姿もない。

 早くも荒い息を吐きながら、俺はなぜか、昨日の江里栖の言葉を思い出していた。


「もしも明日・世界が滅びるとしたら・貴方はどうしますか」



 研究室に着くなり、玄関扉の前に立っていた江里栖が声を掛けてきた。

「お待ち・しておりました」

「やっぱりな。またスージーの仕業か」

「いいえ・失態を犯したのは・あなた・です」

 意味が分からなかったが、江里栖が部屋に入っていくのでとりあえず後に続く。

 スージーはいつもと変わらぬ様子で50インチほどの巨大なPCモニターに向かっていた。

「おいスージー、状況を説明しろ」

「何だね御挨拶に。私はいま『調律中』だ、質問があれば答えを返そう」

 スージーは淡々とした調子で答えた。その一方、彼女の両手は恐るべき速さでキーボードを叩いている。

 『調律』――それはスージーにのみ許された能力であり、「世界の歪みを修繕する」ことができるらしい。

 とはいえ、歪みを直すことができるのなら、意図的に歪ませることができるのも道理だ。

「街の人間が誰一人いない。これはお前の仕業か?」

「原因を作ったのは私だ。しかし実行したのは修人、君だ」

「俺が実行しただと?」

 すると、沈黙を守っていた江里栖が口を開く。

「北國修人――貴方は昨日・掃除機を用いた清掃中に『何か』を吸い込みましたね」

 無表情で睨まれ、俺はようやく思い出した。確かに何かを吸いこんだが、報告するのを忘れていた。

「あれは・非常スイッチ・だったのです」

「非常? いったい何の……」

 カタカタとキーボードを叩いていたスージーが手を止めた。

「世界滅亡の、だよ」



「第1ステージ、つまり本日0時をもって、この世界の生命体は全て滅亡した」

 あまりにも淡々とした口調に、俺は事の大きさが理解できなかった。

 スージーの説明は続く。

「第2ステージ、つまり明日0時には生命体の活動によって生じた物質・構造物はすべて消滅し、世界は原初の時代の姿に戻る」

 そんなことが起こると、本気で言っているのか。

「そして第3ステージ、世界は、完全に消える」

 俺はしばし言葉を忘れ、やがて身を震わせながら尋ねた。

「なぜ、そんな危険なものを作った……?」

「ふむ」

 スージーは大きな欠伸をしてから、涙の溜まった両目を向けてきた。

「修人、科学とは果てぬ興味こそが原動力だ。決して理屈ではないのだよ。退屈だが聡明な君なら……分かるだろう?」

「分かんねーよ!」

 あまりにも無責任な物言いに、瞬間、俺の怒りは爆発した。

「どうして俺を助けた。お得意のセーフティでも掛けたんだろうが、俺には必要なかったはずだ。いつもの気まぐれのつもりか?」

「……君には家事をしてもらわんと困るからな」

「この状況で家事なんかできるか!」

 大声が8畳の部屋にこだまする。しかし、もはやこの世界には文句を言いにくる隣人すらいない。

「北國修人・どうか・冷静に・興奮しても事態は好転しません」

 江里栖に宥められ、俺はようやく怒りが鎮んでいくのを感じた。

 それから、委縮した様子のスージーがすり寄ってきた。傍で見ると、その姿は自分よりも二回り以上小さく、大人げない態度を取ってしまったことを後悔した。

 スージーはその小さな頭をスッと下げる。

「修人、君を怒らせて済まなかった。しかし調律は順調だ、何とか今日中には元の世界に戻すことができるだろう」

「そうか」

「烏賊サブレー、食べるか?」

「……いらない。それより、調律を急いでくれ」

「う、うむ」

 スージーは一人サブレーを頬張り、ポロポロとクズをこぼした。

 それを江里栖が掃除するが、むしろクズはカーペット中に広がるばかりだった。

 ちなみに江里栖が家事を不得意としているのは、製作者が家事の仕方を知らないからである。



 夕刻、俺はアパートの手すりにもたれながら夕焼けを見ていた。

 どうして、あんなにも感情を乱してしまったのか――

 スージーが限度を超えた身勝手さを発揮したから? それもある。

 しかしそれ以上にはっきりした理由に、俺は思い至っていた。

 要するに、俺は『変化』を嫌っているのだ。

 平凡で波風の立たない毎日が続くことを何よりも望んでいる。

 だからこそ、スージーがいれば何とかなると分かっていながら、必要以上に気を立ててしまったに違いない――

 その結論に至ったのと同時に、スージーが部屋から出てきた。

 すっきりとした表情を見る限り、調律は上手くいっているらしい。

 しばらく沈黙が続いたが、俺から声を掛けることにした。

「さっきは済まなかった」

 スージーはすぐに首を振った。

「謝罪はいらん。代わりに結婚してくれ」

「断る」

「修人、君は本当につまらない男だな。たまには冗談でも言ったらどうだ」

 クスリと笑うスージー。彼女の笑顔は、下手な宝石よりも価値があるのではないかと思う。

「修人、君に一つ質問してもいいか?」

「ああ」

「もしも明日、本当に世界が滅亡するとしたら、君はどうする?」

 俺は返答に詰まった。昨日、江里栖に訊かれた時は「足掻いてみる」と言った。しかし実際どうしようというのだろう? 

 スペースシャトルを奪って地球から離脱する? あまりにも現実的じゃない。

 その表情を読み取ったのか、スージーは言った。

「可能かどうかは重要ではないんだよ。大事なのはそれをする意思があるかどうか、だ。私だったら……そうだな」

 スージーは、手すりを掴んでいた俺の手を取った。

「やっぱり、君にプロポーズをする」

 その飾りのない笑顔に、俺は柄にもなくドキマギしてしまった。

 スージーの話は続く。

「私はこれまで、決して後悔しないよう毎日を過ごしてきた。やりたいことは遠慮せずやった。そのせいでお咎めを食らったこともあったが、それすらも楽しかった。修人、君はどうだ」

 溜めるような間の後、スージーは真っ直ぐに訊いてきた。

「毎日を……その瞬間を、生きている自覚はあるか」

 考えるまでもなく、答えはノーだった。

 これまでの人生、それなりに努力はしてきたつもりだった。通ってる大学は何もしないで入れる場所ではないし、私立ならではの高い授業料は自らのバイト代で賄っている。

 高校時代は生徒会、大学では学園祭実行委員として学校生活を盛り上げようと尽力してきた。

 だが……それらは全て、将来的に幸せな人生を送るための手段としてしか認識していなかった。

 そう、平凡で毎日が同じ繰り返しの人生を送るための。

「多くの人々は結果を重んじ、過程を重要視しない。だが修人、君は過程こそが人生であると気づくべきだ。その自覚があるだけで、君の行動は変わっていく」

「行動が、変わる……」

「そうだ。例えば、私への愛ゆえに洋菓子の手土産を買ってくるとか」

「それはないな、絶対に」

「あ、相変わらず容赦がないな……」

 シュンとしてしまうスージーを見て、俺は久しぶりに、自然と笑顔を浮かべていた。

 勝手に動き出した手のひらが、スージーの頭の上に乗る。

 サラサラの銀髪の感触は、いつまでも触っていたいくらいだった。

「スージー、残りの調律、よろしく頼むな」

「……勿論だ」

 気持ちよさそうに目を細めるスージーは、守るべき妹のような存在に見えた。



 ***



 翌日。

 俺はいつも通り大学で講義を受け、それからスージーの研究室を訪れた。

 玄関口ではいつも通り江里栖が対応する。

「昨日は・ご迷惑を・お掛けしました」

 珍しく低姿勢のロボットに面食らいながらも、俺は部屋の中に通された。

 いつもと変わらぬ時間の流れ。

 しかし俺の手には、1つ余分な荷物が提げられていた。

「マスター・『いい加減つまらないのにも飽きた位つまらない』でおなじみの男・北國修人が来ました」

「おお、もうそんな時間か。そろそろティータイムの準備をしなくては」

 いつも通りのやり取りに、いつも通り立ち上がるスージー。

 これから起こるであろう『変化』に胸を弾ませながら、彼女の元へと近づいた。

「スージー、土産だ」

「むっ?」

 それはスージーが月に一度の贅沢としている高級洋菓子店の紙袋だった。

 瞬間、彼女の瞳は宝石みたいに輝いた。

「こ、これは……! 一体どうしたというのだ、修人っ?」

 身を乗り出さんばかりの勢いで訊いてくる一方、早くも手を伸ばそうとするスージーに、俺は思わず苦笑した。

「土産だって言ったろ。お前にやる」

「本当か!」

「ああ」

 喜々として包みを開けるスージーを見て、江里栖が口の端を持ち上げた。

「北國修人・貴方はもしや・マスターに惚れたのでは?」

 さすがにロボットだ、昨日のスージーの発言はしっかり記憶しているらしい。

 無論、それは発言した当人も同じなはずで。

「な……しゅ……えう……?」

 顔を真っ赤に染め、口が回らなくなったスージーを横目に、俺は肩をすくめた。

「さぁ、どうだろうな」

 意味深そうな笑みを浮かべるおまけつきだ。

 すると江里栖の顔に、どこか感心したような表情の機微が見て取れた。


 ほんの些細な変化が、こんなにも世界の反応を変える――

 俺はそのことを、身をもって感じていた。



 もしも明日、世界が滅びるとしたら、貴方はどうしますか。

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