選んでくれてありがとう
残業でいつもより少し遅くなったある日の帰り道。駅のプラットホームに着いたとたん、電車の扉が閉じた。
……ああ、一本乗り過ごした。次の電車は10分後か。思わず漏れたため息も白い、真冬のプラットホーム。
そこに10分とはいえただ立ち続けるだけというのは苦行であった。
ぬくもりを求めるように俺は周囲を見渡した。すると少し離れたところに自動販売機が見える。温かい珈琲でも買うか。
疲れた体をむち打ってのろのろと自動販売機に向かう。自動販売機にお金をいれようとして、俺の手が止まった。
「へ?」
それは飲み物の自動販売機ではなく、菓子の自動販売機だった。スナック菓子やチョコ菓子など、コンビニでもよく見かけるような定番の菓子が並んでいる。
「最近はこんなものまで自動販売機か」
いつも使っている駅なのに、こんな自動販売機があることに気づいていなかった。自動販売機はすでに日常の景色の一部となっていて、視界に入っても気にも留めていなかったのだ。
菓子の自動販売機があって飲み物はないという事はないだろう。そう思い直し再度自動販売機を探す。そして目的の珈琲を見つけると、俺はそのぬくもりを抱きしめて、次の電車を待った。
電車の扉が開くと、人がはき出されるように降りて行く。俺もそれに混じって改札へと向かった。とっくに冷めた缶コーヒーの缶だけが手許に残っていた。
駅のホームで捨てておけば良かったのに、うっかり改札を出てしまってから気づいた。
まあ帰る途中で自動販売機かコンビニでもあれば、そこで捨てられるだろう。そう思い直し帰り道を歩く。いつもと同じ道を通っているのだが、今日は自動販売機を意識しながらだったから、新鮮な気持ちになった。意外に自動販売機は多くあった。そして空き缶を捨てられるところもすぐに見つかった。
最近はコンビニを利用するせいで、めっきり自動販売機を利用しなくなったが、それでも需要があるのだろう。街には自動販売機があふれている。
そんな帰り道の途中、気になる自動販売機を見つけた。その自動販売機で売っているのは飲み物でも菓子でもなかった。四角くて薄いパッケージに人の写真が移し出されている。DVDの自販機だろうか。
可愛らしい女の子の写真に俺の男の本能がくすぐられる。普通に洋服を着た女の子だというのに、自動販売機に入っている所がやけに艶めかしく見える。
なるほど、こういう物は対面販売すると恥ずかしいだろうから、自販機販売が丁度良いのかもしれない。
ついつい眺めていると、ちょうど俺の好みにぴったりの女の子がいた。色白でぽっちゃりで垂れ目で狸顔系のほんわかとした女の子だ。もこもことした毛糸のマフラーと帽子が幼さを強調して、一層愛らしく見える。
思わずごくりと喉を鳴らす。パッケージには一切文字は書かれていない。写真だけだ。だからどんな中身かわからない。でもこの女の子の映像が流れているのだろう。そう思うと好奇心で思わず財布を取り出す。
価格は500円とワンコインだ。例えハズレでも諦めがつく価格。そう思うと自然と財布の紐が緩むのだった。
コンビニで弁当やビールを買って帰宅した。とりあえずテレビをつけてビールをちびちび飲みながら、弁当をつつく。しかし最近のテレビはつまらない。色々チャンネルを回すがどれもつまらなくて退屈しのぎにもならなかった。
すると自然と気になるのはあのDVDだ。どんな映像なのか……気になって仕方がない。俺は弁当を喉にかき込みながら、ビールで流し込み、手早く夕食を終えた。
そしておもむろにDVDを取り出す。ドキドキと胸の鼓動を早くして、DVDプレーヤーに買ってきたDVDを入れ、再生ボタンを押す。
初めにテレビがおかしくなったのかと思うほど、画面が真っ白になった。しがらくしてやっと彼女が映し出される。
真っ白な部屋で彼女はまるで今俺に気づいたかのように振り向いた。写真以上に映像の方が可愛い。
俺と目があったかと思うと、天使のような笑顔を浮かべて微笑んだ。
「選んでくれてありがとう」
その笑顔だけでも500円の価値があった。そう思わせるほどの、愛らしい笑顔だった。しかし選んでくれてというのはどういう事だ? と不思議に思っていると急に眠くなってきた。
おかしいなビール一缶程度で酔うはずもないのに……そう思いつつ意識はすぐに飛んでいった。
まぶたを開けるとそこは白い部屋だった。真四角な部屋には何も無い。まるで雪で埋め尽くされたかのように白い部屋だ。窓も扉もなく、どうやってここに入ってきたかも分からぬ部屋。
……夢……なのか? 初めにそう思ったのも無理もないほど、非日常的な部屋だった。
部屋全体を見渡して唯一発見できたのは。高い位置に設置された大型ディスプレイだけ。
そのディスプレイのスイッチが突然音もなく入った。白い画面の中に黒い文字が映し出される、まるでモノクロ映画のようだ。
『ようこそ映像の世界へ』
そう表示されたディスプレイから、不安をあおるようなBGMが流れ出す。
『ここは貴方が見たDVDの中の世界です。ここは食事も睡眠も必要ない完全な世界。永久の時をここで過ごすことができます』
夢にしては妙にリアリティがありすぎる設定に、俺の不安がますます募っていく。
『この部屋から出る唯一の方法は誰かに自分のDVDを買ってもらうこと。誰かを身代わりにしないとこの部屋からは出られません。それでは永久の時を存分にお楽しみ下さい』
そういうテロップが流れた後、ディスプレイは自動販売機を映し出した。俺がDVDを買ったあの自動販売機だ。よく見ると自動販売機の中に俺の写真を使ったパッケージがある。スーツ姿で元の俺より1.5割り増しかっこよく移った写真だ。
まさか本当に俺はDVDの世界に入り込んだのか? 馬鹿な……こんなの夢だ……。そう思う事で俺は不安を打ち消そうとした。
それからどれくらいの時が過ぎたのだろう。時計も窓もない、空腹も睡眠欲もないこの世界では、時間の感覚が狂っていた。ただディスプレイに映し出される自動販売機が昼と夜を繰り返しているから、何日も経ったことが分かる。
自動販売機の前に誰かが通り過ぎるたびに、どうして見てくれないんだと苛立ちが募る。自動販売機の前で立ち止まる人がいるたびに俺を選んでくれと思う。
もしかしたら俺が選んだ彼女もこんな思いでいたのではないだろうか?
「選んでくれてありがとう」
あの言葉の意味が今なら分かる。あの笑顔も心の底からの笑顔に違いない。こんな退屈で死にそうなほどの地獄から抜け出すためなら、他の誰かを身代わりにしても構わない。そしてもし誰かが俺を選んでくれたなら、俺も言うだろう。
「選んでくれてありがとう」
悪魔のような笑みを浮かべて。