インターネットやめますか? それとも、人間やめるかよう?
偉い人「フハハハハッ! 人がゴミ袋のようだッ!」
「コレは……ウイルスの一種か?」
課長がモニターで起きている急変を見回し、呟く。
<コンセプトウイルス? ロジックボム? いや、どちらでもないわ……けど、いつの間にバックドアを?>
ネットの海を泳ぐ浜松にも識別できない。水槽内で蠢いているだけの病原体が、P・D・Sを介してアバター化した。それがアンジェリーナだ。
<拙者が支配する世界。そこにセキュリティホールなどあるワケが……クぅ、マぁ、ク……>
圧倒的有利な状況は、いとも簡単に崩れようとしていた。
「課長、ただいま戻りましてよ」
「お、お邪魔します」
「津軽ッ!? それに弥富君も……一体今まで何を――」
「事情は後程。それより、現状をかいつまんで教えてくださいまし」
課長の前に駆け寄ってきた津軽と弥富。そして、二人の後ろに隠れるようにして、おずおずとしている長洲姉弟。
<こんな不確定要素でクラッシュするなど、そうはいかぬなり……『世界を統べる13の首』、拙者が全て切り落としてやるクマッ!>
激昂するプー左衛門は、重度のエラーで肉体を崩壊させながらも、局長に向かって吠える。
(何の事だ……?)
課長が目を細め、呆気にとられていた禁魚達も一様に訝った。
「ヤツの正体は察しがついた。本名は『佐々木三つ尾』。電薬管理局の……いや、私が生み出してしまった怪物だ」
<初耳だよ、局長。てっきり、あたしが第一号だと思ってたんだけど>
ムッとして睨みつけてくる浜松。
「〝13の首〟とは『ルートサーバ』の事ですわ」
「ルートサーバ?」
無知丸出しの表情で弥富は首を傾げた。
「世界に13系統存在する、インターネットの大動脈だ。仮にルートサーバがダウンすると、ホスト名やドメイン名によるアクセスが不可能となり、通常のURLやメールアドレスも機能しなくなる」
「それって……ネトゲもツイッターもできなくなるって事ですかッ!?」
動揺する基準値が低い。
「正直に言え。そして、泣け。エロ動画とコスプレ画像のDLできねえって」
ポチが弥富の股間をポコポコ殴ってる。
「国のインフラが麻痺する。上・下水道、電気、ガス、電話といった、コンピューター制御の社会的経済基盤が沈黙し、最悪の場合、世界の文明が石器時代に戻る」
<世界レベルでネットがダウンすれば、ネットに住み着いてるアンタも死ぬかもよ>
そう指摘する浜松にとっても、決して他人事ではない。
<もとよりそのつもり。己の墓場で半永久的に君臨する……この虚無感と不愉快さ、他人には理解できんベア>
そう言われ、局長の目から気力が消えていく。
「今更、謝罪を受け入れてくれとは言わん。だから、代わりに頼みたい。オマエがやろうとしている事は、依怙地な子供の自滅行為だ……やめてくれッ!」
<笑止ッ。我を忘れて暴走しているワケではないナリ。全ては拙者のような犠牲者を量産しないため。人類は一度文明を崩壊させ、自力で生きる気力と技術を養うべき。確かに痛みを伴うが、確実に世界からニート共が激減するんだベア>
<何よソレ……ついでに世直しでもして尊敬されたいの?>
浜松が不快感を露わにする。
「佐々木殿には申し訳ありませんが、アナタの発言には矛盾しか感じませんわ」
津軽が胸元で腕を組み、冷静に言い放つ。
<と言うと?>
プー左衛門の声のトーンが落ちた。
「そもそも、アナタはネットの秩序と安全を維持するという点で合意し、自らの肉体を犠牲にし、生体防火壁となったのでは? なのに、偽P・D・Sを横行させ、Mr.キャリコというピエロまで擁立させ、社会に多大な被害を与えた……何故ですの?」
<人間だった頃の拙者の肉体を、局長は処分したんだクマ>
<―――――ッ!?>
浜松が歪な表情で固まった。瞬きを忘れ、ゆっくりと局長の方に視線を向ける。
<……本当なの?>
「ああ」
<じゃあ、あたしの肉体も処分する予定だったワケ?>
「そうだ」
<ウソでしょ……何でよッ!?>
狼狽しきった浜松。唯一の理解者に裏切られ、感情が爆発した。
「オマエも知っているだろ? 人間の脳髄、若しくは人体の一部を媒介としたネットのシステム構築は、人権保護法により禁じられている。臨床試験ですら重罪だ。政府は決して許可しない」
<証拠隠滅ってコト? フザけないでよッ! 人の命を勝手に切り捨ててまで、一体何がしたかったのよッ!?>
「人の命を救いたかったのだッ!」
<――――ッ!?>
クワっと目を見開き、局長が浜松を睥睨した。
「ど、どういう意味だよ?」
話の次元に取り残されつつある弥富が、オロオロしながら問う。
「弥富君、知っているかね? ここ数年の世界におけるサイバー犯罪年間被害総額を。金銭的被害額と、犯罪解決に費やされた時間的費用の合計は、3千8百億$以上。マリファナやコカイン、ヘロインが生み出す世界の闇取引総額を、大幅に上回るのだよ」
「うッ……!」
額が大き過ぎて、弥富にはいまいちピンときていないが、自分が関係している現状が、その温床の一つであると認識した。
「金銭だけではない。『裏サイト』や『闇の職安』が横行し、善良な市民が大勢命を落としている。電薬管理局はサイバー犯罪の最前線に立ち、絶対的膂力をふるわなければならんのだ」
局長の言い分はどうしようもなく正論だった。
<それは詭弁だクマ。大を生かすため小を犠牲にする、役人の常套文句。その言葉に騙され、拙者はもう二度と――>
<じゃあ、あたしと代わる? 女の体だけど使いたきゃいいよ>
<…………?>
浜松の言葉にプー左衛門が呆けた。
「お、おいッ、急に何言い出してんだよ……?」
弥富も小さく慌てる。
<システムにセキュリティホールがあった時に備え、一応、人間としての肉体は保管してあったけど、アンタという存在を目の当たりにして、生命のデジタル化を確信できたからもういいやってね>
彼女の言葉から悪フザケは感じられない。あるのはどうしようもなく純粋な投げやり感。
<拙者の話が理解できていないようだ。生命のデジタル化は不老不死の代替ではない。温もりも冷たさも無く、匂いも味も現実には存在せず、かつて脳髄だった部分が、膨大な量の情報を認識し、あたかも生きているかのように錯覚させるだけナリ>
<ソレよソレ。あたしはそういう世界に逝ってしまいたいの>
「浜……いや、深見。何でそんな事言うんだよ? オマエの肉体はまだ無事なんだから、すぐに人間の体に戻って――」
<嫌よ>
弥富の求めを彼女はバッサリと拒絶した。
「人間じゃなくなるんだぞッ!?」
<いいじゃん、それで>
「……え?」
<聞くけどさ、〝人間〟を定義付けるモノって何よ? 二本足で歩くこと? 言葉を使って会話できること? 道具を使って生活すること? 神様にすがって泣くこと? 違うんだよね……人間が動物と区別される決定的な行為、それは『自殺』>
浜松の目が澄んでいる。雑念が消え、一つの流れに同調したエネルギーみたいに。
<人間だけに許され、実行を可能にさせた引き込もりの最終手段。あたしはそれを実行し、来世を得るシステムを開発した。やっと……自分の世界で生きていける>
両目を閉じた彼女の表情はあまりに純粋で、あらゆる否定的な言葉の介入を許さない。
<クマぁ……なるほど。いわゆる『パーソナリティ障害』だベア>
静観していたプー左衛門が、聞きなれない単語を口にする。
<さすがは情報にまみれた究極生命体、知ってんじゃん。その通り……精神科医があたしに下した診断は、『クラスターB・反社会性人格障害』。感情的で混乱が激しく、演劇的・情緒的・移り気。ストレスに弱くて他人を巻き込むんだってさ>
「…………ッ」
弥富が押し黙った。浜松というアバターと接触したわずかな時間、その特徴が顕著に出ていたからだ。
「局長、どういうことですか? そんな精神疾患のある者にP・D・Sの開発を――」
「〝天才〟と〝狂人〟は紙一重。まともな頭の持ち主では造れぬモノもある」
課長の指摘に対し、局長はどうしようもなく事実な答えを返す。
<更紗は学校や近所に友達いた?>
浜松が急に世間話をふってきた。
「いや、殆どいなかった……って、それが――」
<あたしにはいたよ。た~~くさんいた。皆があたしに声をかけて、イジって、笑ってくれた。けどさ……後から気が付いたんだよね。友達と思ってた人間は、あたしの事をヒマ潰しのコンテンツとしか感じてなかったの。あたしは連中の期待に応えてやったのにさ、こっちからのコミュニケーションには何も返しちゃくれない>
浜松の瞳に影が差した。
<言うなれば緩やかなイジメ。自然淘汰じゃ死なない社会を構築した人類の、間接的殺人手段。大きなコミュニティが、性質や思想の異なる小さなコミュニティを排斥する。家族も教師も知り合いも……友達ってタグを付けてたヤツ等も、あたしを奇異の目で見て蔑み、正常な社会構造から追い出した>
深見素赤という人間の為人。この場にいた人間も禁魚もデジタル生命も、もちろん知る由も無い。
「……だからどうした?」
今度は弥富の顔に影が落ちた。
<要するに、あたしは何一つ楽しくない現実社会を脱却し――>
「お黙りゃああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」
ズドオオオオオオォォォォォォォォォォォォ――――――――――――――――ッッッ!!
「ほでゅわッ!?」
弥富が吠え、アバターの浜松を力の限りブン殴った。変な声と共に吹き飛んじゃった。
「俺は何だ? 言ってみろッ!」
彼女の胸倉をつかみ、顔をグッと近づける。
<アンタは弥富更紗。あたしに体よく利用されたただのバカ>
「違うッ! 俺は〝ただの友達〟だッ!」
<――――ッ!?>
浜松がカッと目を見開いて硬直した。彼女のアバターにわずかな亀裂が入る。
「否定するような事言うなよ……友達だった事実まで消さないでくれよ……」
ガクリと膝を落とした弥富。口から絞り出される諦念に近い言葉。
<…………アンタ、泣いてんの?>
嬉しくも悲しくも無い。気に入ったオモチャが欲しくて、ワガママを体現する子供になっている。その場の総てが黙った。社会から落後した男の嗚咽が、現実とネットの海を双方ともに満たす。
<これだから人畜無害なニートはクマる。すっかり興醒めしてしまったベア>
ついさっきまで局長を睨みつけ、怨念をゴリ押ししようとしていたプー左衛門が、力無く呟いた。彼が首のチョーカーを外すと、モニター上に膨大なプログラミング言語が流れ出す。
<何のつもりよ?>
浜松がたじろぐ。そして、彼女に入った亀裂が広がった。
<〝見たいモノ〟を見たら、もうどうでもよくなってしまったナリ。オマエの肉体なんかノーサンキューだから、代わりに拙者を使って好きにするがいいクマ>
アンジェリーナの侵食で崩壊し続けていたアバターが、瞬時にして攻撃的な色を失った。と同時に侵食は停止し、クマのヌイグルミが元の可愛らしい置物に戻る。
「許してくれるのか? この私を……?」
局長が陳情するかのような面持ちで顔を上げる。
<勘違いするな、ハゲ。この空気で本懐を果たしたら、拙者一人が悪者と評価され、炎上しかねないからだベア>
<〝見たいモノ〟って何のコトよ?>
浜松が訝る。
<拙者がMr.アルビノに依頼し、確保しようとしていたモノ。深見素赤という稀代の狂人が、気まぐれで計画に巻き込んだ不確定要素――弥富更紗の為人のコトだベア>
「え……俺?」
<人間、自分の生死に関わる大きな転機を迎える前には、一番やっておきたい事をやり、最も会いたい者に会っておきたいもの。肉体までをも断捨離し、ネットに引きこもろうとした深見……そんな女が狙いをつけ、計画の一部に引き込んだ男。どれ程の被害者か、一度目の当たりにしてみたかったんだベア>
「何言ってんだよ……俺は見ての通りの社会の底辺だよ」
呆然と立ち尽くしながら弥富が呟く。
<クマックマックマッ、言わずもがな。駄菓子菓子、どんな朴念仁にも役割があり、ソイツにしか出来ない事があってしまうんだな>
(…………あ)
アンジェリーナと目が合う。彼女は心中を察したかのように、ニコリと微笑んだ。
<更紗、ゴメンね。殴られ損になっちゃうけどさ、やっぱ……あたし、逝く>
「何でだよッ!?」
解脱したかのような浜松の表情に、弥富は声を荒げる。
<あ、御礼するの忘れてた。えっと……津軽さんだっけ?>
「わたくし?」
深見と津軽の目が合った。
<あたしの代わりに更紗の世話してくれて、ホントにありがとね。コレは特別報酬>
深見の両手が津軽の頭を包む。ほんの数秒間、目を閉じた深見はニッコリと微笑み、津軽は脳髄に一瞬の爽快感を享受した。
(な、何が起きて……?)
体に不具合は無い。不可思議な感覚について問いかけようとしたが、相手は何も無かったかのようにすぐに背を向けた。
<ヌイグルミのオッチャン、アンタのアバター貰っちゃうね>
<拙者と同じ苦しみを永遠に味わうハメになるが、それでも構わんベア?>
<現実社会に生まれた事自体が終わらない苦行。せめて、何も感じずにすむ世界に引きこもらせてよ>
<……承知>
交渉は成立した。
「おい、まだ答えてもらってないぞ」
「何を?」
くぐもった弥富の声が、ヌイグルミを抱き締めた浜松を振り向かせる。
「結局、どうして俺なんかを巻き込んだんだ?」
「前に言ったじゃん。平凡で目立たなくてコミュ障な更紗なら、利用する条件にピッタリだからって」
「本当のコトを言え」
「…………下には下がいたからだよッ、べえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~!」
心の底からバカにするような表情で舌を出し、人としての最後の言葉を遺した。その刹那、彼女は微笑んだ。弥富にしか分からないくらい、とてもさりげなく。