吐き出された卵を投げたら爆発したよう
シスター「神よ、悪魔の力を退け給え」
神「時給850円で」
電薬管理局・実動課――検査棟。現在、深夜。昼夜を通し、四匹の禁魚達は精密検査を受けていた。彼等の基本的な肉体構造は、通常の金魚と大差は無く、その生体の体質・耐性・内臓機能・運動能力・潜在的寿命なども、特に変質しているワケではなかった。ただ、一つだけ……その『脳』に異常が発見された。人間の脳は発生学的に言うと、『大脳』・『大脳辺縁系』・『脳幹』の三つから構成されている。そして、魚類のような下等な脊椎動物は、『脳幹』に相当する部分しか持っていない。つまり、金魚には進化の過程で最初に発生した、〝本能を司る神経器官〟しか備わっていない。だが、禁魚には大脳と大脳辺縁系の役割を担う箇所が構築されており、脳全体の質量と密度は、金魚の数倍ある事が分かった。
「うち等って何なンやろう?」
出雲が虚ろな瞳で呟く。
「開口一番にどうかした? ついに邪気眼でも覚醒しちゃった?」
同じ水槽で泳ぐ浜松が訝る。
「だって、『生命のデジタル化』やで。人間の精神が丸ごと禁魚に移せるって……テクノロジー自体も驚異やけど、うち等の体ってどうなっとるン?」
「できれば技術体系の詳細な説明もしてあげたいけどさあ、残念ながら、回線が限定されちゃってんだよね」
オリジナルP・D・Sは常時機能しているが、現在はイントラネットでアバター化しているため、外部からの情報は接収できない。
「本来は、躁鬱病の特効薬開発の過程で生まれたんですよね、ボク達って」
「うむ。<内臓の一部を悪くすれば、他の生物の内臓を摂取して治癒を図る>……人類の考えた原始的な処方の一つじゃが、まさか、魚類の脳ミソで人類の脳の正常化を促そうとはな」
「言うなれば『超強力DHA』ですね。確かにDHAは、鬱病やアルツハイマー型痴呆に効果があると言われていますが」
「うむ。儂もそろそろ年齢的にマズイかもしれんからのう。都合の良いDHAが有るなら、恩恵に与りたいもんじゃ」
「マズイんですか?」
「……お主、ダレ?」
「大変でぇぇぇすッ! 急患が出ましたぁぁぁッ!」
別の水槽では、郡山と土佐がグダグダしていた。
「いえ、それはまだ……はい、承知しております。問題ありません。こちらで対処できますので……それでは」
ピッ――
宇野課長がケータイを切る。
(管理局め……現場はタイムテーブル通りには動かんのだよ)
彼はしかめっ面で二つの水槽を交互に見た。
「また上からの催促ですか?」
作業服をきた検査員の青年が声をかける。
「内務庁の官僚あたりにせっつかれているんだろう。皺寄せはいつも我々現場の人間にやってくる」
「Mr.キャリコの拘束ですか……闇夜のカラスを捕まえるみたいで、手探り状態ですからね」
検査員が独り言のように呟く。
「ヤツさえ逮捕できれば、芋づる式に全ての『子』と『孫』を摘発できる。そのためには、何としてでも禁魚共を懐柔せねばな」
課長はデスクに両肘をついて、重ね合わせた手を額に当てがう。
(不本意ではあるが、裏取引きが必要か)
何度か禁魚達にはコンタクトを試みた。彼等はあまりに人間臭く、反射で生きる魚類とは全く異なった。こちらの質問に対してまともに回答する様子は無く、上手くはぐらかされる。特に浜松……いや、深見素赤は明らかに重要な情報を隠し持っている。そんな相手との取引は、半端でないリスクが伴う。
「……致し方なしか」
課長は葛藤と熟考を繰り返し、結論に達した。インカムを装着し、強化水槽の前に立つ。
「あらまあ、えらく男前な面になってんじゃん」
「ガキがッ」
相手の腹を見透かしたように、微笑みを浮かべる浜松。
「で、今度はあたしに何が聴きたいのかな?」
「Mr.キャリコの逮捕に繋がる情報を全て吐くんだ」
ドンッ!
激昂した課長が水槽を拳で叩いた。
「おやおや、更年期障害かなあ? 労災はキチンとおりるのかなあ?」
あくまでも挑発的だ。
「いいだろう……取引きだ」
「ムフっ★」
その言葉を待ってましたとばかりに、口元をイヤらしく歪める。仮想空間にモニターが現れて、取引き内容が表示された。
【要求事項】
(1)オリジナルP・D・Sの違法使用と、それに関連する全ての罪状を白紙に
(2)今後、警察機関及び電薬管理局からの干渉は一切無し
(3)禁魚の解放と飼い主への合法的移譲
(4)あたしのバックアップの管理と保護
――以上。
「話にならんッ!」
宇野課長は声を荒げて踵を返す。
「よく考えた方がイイよ。ここで断ったら最後、Mr.キャリコの拘束はおろか、自分の職場が何をしているのかも知らないままだよ」
「――――ッ、どういう意味だ?」
退室しようとしていた課長が、立ち止まって振り返る。
「ま、(1)~(3)の事項には、法的手続きで時間を食うだろうから、まずは(4)を最優先で実行してちょうだい」
「『バックアップ』とは何の事だ?」
「仮死状態で保存中のあたし。深見素赤のニ ク タ イ☆」
精一杯のポーズでまたカワイイを作ったつもり。
(体の保存? まさか、本当にコイツは禁魚へデジタル化した自分を……?)
静かに驚愕する課長。その時――
ウォォォォォンッ! ウォォォォォンッ! ウォォォォォンッ! ウォォォォォンッ!
けたたましく鳴り響くアラーム。同時に、フロアの出入り口の隔壁が作動する。
「か、課長ッ……何がッ!?」
検査員の青年があたふたする。
「落ち着け。どうせ電圧異常による誤作動だ」
彼は壁のコンソールから内線電話で警備室につなぐ。
「こちら第1検査室。警備、アラームを止めろ。一体何が――」
<パンッパンッパンッ! ガシャアアアアアアアアアアァァァァァァ――――ッッッ!>
「なッ!?」
受話器の向こうから聞こえる、明らかに尋常ではない状況を伝える喧騒。課長は受話器をコンソールに戻し、周囲を素早く見回した。
(銃声ッ!? バカな、ここは政府の直轄施設だぞッ!?)
全くの想定外な展開に、課長の血の気が引いていく。
「う、宇野さん……ど、どどどどどうかしたんですかッ?」
上司の様子を目の当たりにして、検査員の青年が動揺しまくっている。
(くそッ、信じられん……)
ケータイを取り出してモニターを見る。そこには<圏外>の文字が。
「オマエのケータイをよこせッ」
「あ、え……は、はいッ」
不安で顔色を悪くしながら、検査員が自分のを手渡す。
(くッ……携帯ジャマーか)
モニターには同様に<圏外>の文字。検査棟全体をカバーするだけのジャミングとなると、並の出力では不可能。おそらく、相手は軍事用の大出力タイプを使っている。となれば、相手はイカレた暴徒でも街のチンピラでもない。歴とした――『敵』だ。
「このフロアに銃火器の装備は?」
「い、いえ……」
「なら、エアダクトから外へ出られないか?」
「ダメです……侵入を防止するための鉄格子が、数枚はめ込まれています」
「ちッ、窮まったか」
課長がホルスターの自動小銃に手をそえる。ここのセキュリティは軍部に直結している。何かわずかでも異常が発生すれば、衛兵が一個小隊でやってくる。到着までは10分足らず。
「言え、Mr.キャリコはドコにいるッ!?」
政府施設を強襲しても余計なリスクを背負い込むだけで、割に合う事はまず無い。それでもこんな事態に臨む連中となると……
「『敵』の狙いがオリジナルP・D・Sなのは明確だ。もう猶予は殆ど残っていないッ!」
顔を赤くし、イヤな汗で額を濡らしながら課長が叫ぶ。
「猶予ォ? 別にィ、囚われの身のあたしにはカンケーないしィ」
これ以上は無いというくらいのふてぶてしい面で、寝転がってる。
「うぐッ……い、いいだろう。オマエの要求を呑もう」
敵はオリジナルを奪取すると同時に、サーバーのバックアップを破壊していくだろう。オリジナルはハッキングによる流出リスクを最小限に抑えるため、他の情報機関にバックアップは存在しない。このままでは、敵がオリジナルを実質的に独占する事となる。
「書面で宜しく。電薬管理局長のサイン入りでね」
「フザけるなッ! すぐそこまで迫っているんだぞッ!」
ドゴオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ――――――――ッッッン!!
出入り口の隔壁が、轟音をたてて振動する。
「ええ、そうみたいね。フフフフフッ★」
「貴様ッ、取引きするつもりなど、ハナっから無いってワケか」
課長が悔しそうに眉間に皺を寄せた。
「明日には大勢のハッカーが、全力でお祭り騒ぎ。世界にその名を轟かすハッカー駆逐機関が襲撃を受け、オリジナルP・D・Sを強奪されたってねえ。ざまああああああッッッ!」
ドカンッ! ドカンッ! ドカアアアアアアァァァ――――────────ッン!!
隔壁から聞こえてくる軋轢をBGMに、浜松の愉快そうな雄叫びが木霊した。