監視と書いて同棲と読む(ポロリもあるよう)
ヘンゼルとGLAYのTERU
弥富更紗は戸惑っていた。西日がギラつく炎天下の中、自分の背後をずっと女が一人追跡しているから。紺のフォーマルスーツ姿で、この暑さにも関わらず両手には真っ黒な皮手袋。パンダ目気味のやたらと濃いアイシャドウが特徴的で、黒髪のポニーテールを揺らし一言も発することなく、機械みたいに正確に距離をとって歩いている。御近所の奥様方から「まあ、不審者よッ」と声がするのは時間の問題だ。
(俺、どうなるんだ……?)
また襲撃される可能性が高いだって? どう転んでも絶望しか見えてこない。父よ母よ、実家で飼ってるオウムよ。人生を惰性で過ごす息子を御許しください。後、米でも送ってください。反省して自炊します。
「ロクデナシ。ミズデモノンデロ」
またしてもオウムの幻聴がした。たまには実家に帰れという、天の軽い啓示なのかもしれない。で、そんな物思いにふけってる間に、自分のアパートに到着した。
「アイツ等……」
四つの水槽がポツンと残され、エアレーションの泡の音だけが寂しく耳に届く。弥富は少しの間、何も出来ぬまま立ち尽くした。わずか数日の事ではあったが、禁魚達の言動が彼の脳裏を駆け巡った。
(ん?)
ふと後ろを振り返ると、さっきまでいたエージェントの姿が消えていた。
「ふぅ」
玄関戸を閉めて軽く溜息をつき、デスクの椅子に腰かける。
(こんな事になるなら、P・D・Sのバックアップをとっとくべきだったな……)
残念そうに目頭を押さえ、デスクトップを立ち上げた。
――ポ~~ン♪
モニターに展開するファイルが一つ。やたらとメモリを使用しているが……何かダウンロードしてたっけ?
『発行元――電薬管理局・開発課』 『名前――P・D・S』
「はいりゃああああああああああああああああああああああああああッッッ!?」
弥富、絶倒。生まれて初めてな声を絞り出しちゃって、開いた口が塞がってくんない。
(な、何でッ!? マジかよ……いつの間にッ!?)
バックアップのための操作をした覚えはない。自動でコピーを作成する仕様なのか? とにかく落ち着け。耐震強度不足なハートが今にも崩壊しそうだ。タイミング良く監視役のエージェントはいない。よし、今すぐ外付けのHDにコピーだ。
「いや、待てよ」
彼は水槽の方に振り返る。そうだ……禁魚達は没収されたんだった。インカムならアキバの中古屋ですぐに手に入るが、話したい相手はもういないんだった。
(風呂でも入るか……)
バサッ――
UBの扉を開け、服を脱いで洗濯機に投げ入れる。シャワーを浴び、汚れと煩悩の残り香を洗い流すとしよう。そうやって明日も惰性で生きていこう。
カチャ
(んッ?)
音がした……ような気がした。
カチャ、カチャ
(んんッ?)
ハッキリと聞こえた。UBの外からだ。玄関戸からか?
ガチャガチャッ! ガチャガチャッ!
(うおッ、何だよッ!?)
玄関戸の鍵を、ダレかがピッキングで開けようとしている。電薬管理局が言っていた〝襲撃の可能性〟が、言ったその日に現実のものとなった。マズイ。こっちは丸腰……って言うか丸出しだ。しかも、逃げ場は無い。
カチャン……バタンッ!
鍵がこじ開けられ、玄関戸が閉められる音がした。明らかに外からの不法侵入者だ。こんな時に監視役はドコ行きやがったッ!?
「……ッ」
現状の弥富に出来るのは、その場に立ち尽くして息を潜めることぐらいだ。1LDKの狭いアパート、目標を探し当てるのに時間はかからないだろう。
ガッ――
UBの扉に手がかけられた。後は軽く引っ張ってしまえば、怯えて身動き一つとれない全裸の弥富と御対面だ。
「――――ん?」
「よし」
〝よし〟って……おい。容赦なく開けられた扉の向こうに、エージェント・津軽が立っている。色々とツッコみたい箇所はあるけど、とりあえず閉めていただけますか。俺って今、入浴中ですよね? 分かりますよね? 何でこっちをジッと見つめていらっしゃるのかな。コレってれっきとした逆セクハラに認定されるよね。
「ちょっとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」
弥富が顔面を真っ赤にして身をよじる。
「心配せずとも安全を確認しているだけですわ」
彼女は大したリアクションも無く、淡々とそう答えた。
「いや、あの……とにかく閉めてもらえますか」
他人様に見せられる肉体美は持ち合わせちゃいない。
「そうですか。では、わたくしはリビングで待機していますわ」
――バタンッ
扉が閉められる。
(まただよ……また変なのが増えたよ)
弥富更紗、25歳にして何か大切なモノを凌辱された。そんな気持ちで一杯になった記念日。
現実世界にエロゲの理論は存在しないし、通用もしない。それでもあえて全国の二次コンやネット中毒者に告ぐ。今、風呂上がりの俺の目の前に、同い年くらいの女性がいます。目つきはちょい怖いけど、清潔感のある結構な美人さんです。
「では、わたくしは監視を続行いたしますので、弥富殿はおやすみくださいまし」
「は、はあ」
時間的に大のオトナが就寝しちゃうには早過ぎだ。
「あの……ネットしてていいですか?」
「ええ、かまいませんわ」
ネットサーフィンは弥富のライフワークだ。無職が誇る唯一の仕事……いや、使命だ。心の中でそう強く主張してみた。
(いや、待てよ)
危うく失念するところだった。自分のネット環境は、当局に遠隔制御されているんだった。男、25歳。一人暮らし。まだ若くて男性ホルモンも正常に分泌する身体なら、アクセスするサイトは年齢認証が必要なサイトに偏る。こ れ 必 然。
カチカチッ
しばらくは辛抱だ。一生続くワケじゃない。ここは監視されても問題のない、海外のアニメダウンロードサイトを巡回して暇を潰そう。
「…………」
沈黙の作業。背後に控えるエージェントが気になり仕方がない。そもそも、自分の家に異性が踏み込んでいる事実が信じられない。家族すら招いたことのないこの部屋に、大して素性も分からない若い女性と二人っきり。彼のリアルに対する脆弱な免疫が、「我慢できませんッ」と叫んでいる。それにしてもこの人、俺が就寝するまで帰らんつもりか?
「津軽さんはこの仕事長いんですか?」
「いえ、まだ半年程ですわ」
「それにしては結構さまになっているというか、手慣れた感じというか」
「以前の職場でSPを務めてましたの。情報機関での実動任務に戸惑いはありませんわ」
「『SP』って、政府の要人とかVIPを護衛するアレですか? スゴイですね。俺と歳もそう違わないんでしょ?」
「今年で26になりましたわ」
うわぁ~~……やっぱりだ。一つ違いのオネーサンは、国の情報機関に勤める立派な職をお持ちなのに対し、俺はハローワークに行く事すらためらう、ミスター・凡庸。ああ、そんな真っすぐで純粋な切れ長の瞳で俺を見ないで。そう、俺は社会の不適合者。マウスをカチカチして電力を消費するのが仕事だよ。
「そういえば、他の監視役の人はドコに? 外で張っているんですか?」
おもむろに質問してみた。
「いいえ。わたくしだけですわ」
――は?
「24時間、わたくしだけがアナタを監視致しますわ」
――へ?
鏡で見たら自分自身でも引くくらいのマヌケ面になる。
(何を言って……?)
俺ってさ、また襲撃される可能性が高いから、護衛を兼ねたエージェントがつけられたんだよね? なのに御一人? ファミレスの従業員じゃなくてもイヤな顔になっちゃうよ。
「津軽さんの力量を疑うワケじゃないんですけど、一人で大丈夫なんですか?」
「問題ありませんわ。情報不足のため、当面の脅威がどれ程のレベルかは分かりませんが、警護のための訓練は一通り受けてますの」
「そ、そうですか」
ド素人が文句をつけるべきではないのだろうが、正直、強そうには見えない。身長は自分と同じくらいで、ガリガリとはいかないが、明らかに細身で目立った身体的特徴はない。スーツの内側に銃器の類いを常備しているのか?
「やっぱ、警護の仕事となると拳銃とか使うんですよね?」
「いいえ。わたくし、無粋な飛び道具は趣味ではありませんので、携帯しておりませんわ」
無手? 俺に対する脅威とやらが再発した時、一目散に撤退する彼女の姿を見せられるのか?
(ネットの神よ……俺に残された寿命が分かるなら、そっと耳元で囁いてくれ)
ネット神「そろそろ死ぬよ★」
「いやだあああああああああああああああああああああああああああッッッ!」
弱い心が生み出した幻聴にまた侵され、頭を抱えて体をよじる。
「何事ですのッ!?」
弥富の情緒不安定っぷりに遭遇してビックリ。思わず身構えたりする。
「え、あ……スンマセン。つい、取り乱しちゃって」
ヘコヘコしながら椅子に座り直す。
「慣れない事態でストレスに圧迫されているのでしょう。早めに休まれる事を御勧め致しますわ」
彼女は優しい声で気遣ってくれた。
「そうさせてもらいます」
一日の内に多くの突発的事件が発生し、すっかり神経が高ぶり過ぎていたのだろう。ちょっと気を抜くと一挙に疲れがやってきた。今日から始まった特殊な生活ペースをこなしていくためにも、メンタル面を意識的に療養させておくべきだ。
(寝よ。雑念は捨てて寝ちまおう)
デスクトップの電源を落とし、就寝用のTシャツと短パンに着替え、玄関戸の鍵をかけてカーテンを閉める。
ドサッ……
彼の体がベッドの上に力無く横たわる。照明のヒモを引っ張って、部屋の中は闇を纏った。カーテンの隙間から差し込む月の光が……光が……ひ、かり――
「ひいいいいいいいいいいいいいいィィィィィィィィィィィッッッ!?」
月明かりに照らし出された津軽が、床に正座してこっちを静かに見てやがった。弥富は派手に跳び上がり、女の子みたいに掛け布団を抱いて壁を背にする。
「どうかなさいまして?」
「どうかなさいましたッ!」
あまりに自然な感じだったので気付かなかった。そういやこの人、まだ居るじゃん。しかも、寝ようとしている相手を無言で見てるんだもん。心臓様のバクバクが、御いたわしいコトになってるよ。
「何をやってんですかッ!?」
「監視ですわ」
彼女は事も無げに言った。
「……いや、あの~~」
「何か支障でも?」
はい、あります。<そんな、まさかなァ(笑)>……みたいな予感が順番待ちしていた。ですんで直に聞いてみた。
「もしかして、俺の部屋に住む気ですか?」
「いいえ、24時間体制で監視するだけですわ」
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(ヤベぇよ、真性だよ。言葉に迷いがねえよ)
Q.ネットの神よ。俺、25歳にして初めて異性と一つ屋根の下、一晩過ごそうとしています。けど、相手の女性は明らかに変です。こんな時、どうすればいいのでしょう?
A.「あ、ヤベッ。TS○TAYAにDVD返しとかねえと」
ネットの神、逃げた。