怖い大人達に凄まれたよう
友達以上、恋人未満……? それって、友達じゃねーか
――カチャ
ミッション開始。段ボール箱(愛媛みかん)がトイレから大胆に、且つ慎重に躍り出る。まずはエレベーターホールまで行って、そこから地下3階を目指す。
カサカサカサッ
俺は今から巨大なゴキブリ。周囲に立っているのはマネキン。そう自分に言い聞かせる。
カサカサカサッ
「ん? 何だ?」
早速のエマージェンシー。前進することわずか数秒で、近くの軍人さんに発見された。掃除の行き届いた綺麗な玄関ホールに、薄汚い段ボール箱(愛媛みかん)がポツンと一つ……完全にリアクション待ちだ。
(奇跡は起きる……いや、起こしてみせるッ!)
珍しく気合いと自信が体にみなぎっている。ニートな人生に初めて舞い降りたこの緊張感。やれる。今の弥富には幸運の女神が微笑みっぱなしなのさッ!
ガサッ――
「おい、オマエ何やってんだ?」
いとも簡単に取り上げられる段ボール。
「ですよねえ~~(汗)」
極限まで引きつる弥富の顔面。おい、幸運の女神……速攻で裏切りやがったな。
女神A「ゴメン、あたしちょっとコンビニ行ってくる☆」
変な幻聴が聞こえた。
「ちょっと、こっちに来てもらおうかな」
二人の軍人さんに捕まり、ズルズルと引きずられていく。
「こちら玄関ホール。男性用トイレの近辺にて、不審人物を一名確保しました」
軍人さんが通信機を手に取って連絡を入れた。
<不審人物? 何者だ?>
「生き物が入ったビニール袋と、ラップトップを一台所持。段ボール箱(愛媛みかん)をかぶってウロついていたのを捕らえました。身体検査もこちらでやりましょうか?」
<いや、それはこちらでやる。メインサーバー室まで連行しろ>
「了解しました」
通信内容から察するに、偶然にも目的地へ連行してくれるっぽい。すげえよッ、本当に奇跡起こしちゃったよッ!
女神A「あ、ミスドでドーナツ買うの忘れてた~~☆」
やっぱり変な幻聴は聞こえるが、結果オーライだ。弥富達が乗ったエレベーターは、ゆっくりと地下3階まで下りていく。行き先で一体何が待っているのか?
ガコンッ――
エレベーターが止まる。配電盤や配管の張り巡らされた無機質な廊下を歩き、突き当たりの部屋の扉が開けられた。
「課長、連行致しました」
扉の向こう側は更に無機質だった。50坪程の部屋には膨大な数のサーバーが林立し、その中央には、スパコンのような形状のメインサーバーが建つ。そして、メインサーバーにノートPCをつなげて作業する宇野と、スーツ姿の数人のエージェントが立っていた。
「御苦労、こちらで引き取ろう」
弥富はパイプ椅子に座らせられ、エージェント達が左右と背後に立つ。まるで、秘密組織に拉致されて拷問一分前な雰囲気だ。
「さて」
宇野は作業を中断し、弥富の方に向き直った。
「課長、コレを」
エージェントの一人がビニール袋を宇野に差し出す。
「ふむ、おもしろいモノを飼っているな。『禁魚』は禁制ペットであり、その所持や飼育、あるいは売買といった行為は違法だ。知らなかったのかな?」
宇野はバカにするように軽く鼻で笑い、ビニール袋を人差し指で突っついた。
「君は何者かね? 見たところ、この会社にオフィシャルな用事のある人間とは思えんが」
「…………」
弥富は黙秘するしかなかった。オリジナルP・D・Sを奪取しようとした例の男が、電薬管理局の関係者という可能性もある以上、ここでヘタな話はできない。
「課長、リュックの中にコレが」
身体検査をしていたエージェントの一人が、ポータブルHDを宇野に差し出す。
「青年、中身は何だね?」
「…………」
「結構。何か身分を証明する物は見つかったか?」
「いえ。免許証や健康保険証の類いは所持していません。サイフの中はよく分らないポイントカードで一杯です」
「課長、ポイントカードの記入が正しければ、彼の名は『弥富更紗』。住所は……ん?」
エージェントが眉をひそめた。
「どうした?」
宇野がエージェントの側に寄り、ポイントカードを手に取って凝視する。
「弥富君。今日、君と我々がここで鉢合わせたのは、偶然ではないようだな。オリジナルP・D・Sはドコだね?」
やっぱりだ。不正アクセスした事実がバレている。くそッ、なにが生体防火壁だよ。
「あ、あの~~」
「何かね?」
「正直に喋れば解放してもらえますか?」
このままでは確実に懲役刑をくらう。ニートのまま人生の終焉を迎えたくはない。
「まあ、君の態度次第だな」
宇野の表情が一層険しくなった。
「実は――」
弥富は洗いざらい正直に白状した。ここ2、3日に起きた出来事……深見素赤の葬式と、そこで入手したポータブルHD。禁魚とオリジナルP・D・Sの関係性。そして、毒ガスを撒き散らしてポータブルHDを強奪しようとした、深見素赤の父を名乗る男の事も。
「深見素赤の父? その男はそう言っていたのかね?」
「え、ああ……はい」
一瞬、妙な空気と間が生まれた。宇野は踵を返すと部屋の隅まで歩いて行き、手招きで常務とエージェント達を呼ぶ。
(何だ?)
ヒソヒソ会議が始まった。弥富としては不安になることこの上なしだ。
「弥富君、結論から言わせてもらおう。まず一つ。君のポータブルHDと四匹の禁魚は没収。二つ目。自宅のネット環境を遠隔制御させてもらう。で、三つ目だが……」
そう言って宇野は、一人のエージェントに合図した。弥富の真横に女性が一人起立する。シワ一つないスーツをビシッと着こなした、黒髪のポニーテールの女だ。年の頃は弥富と同じくらいだろうか、夏だというのに真っ黒い皮手袋を装着している。
「24時間体制で監視をつけさせてもらう」
「えッ、そんな……!」
「一連の君の行為は、情報規制法に十回以上抵触している。腕利きの検事なら、10年は君を刑務所にブチこんでおけるくらいの罪状だ。そこのところをしっかり考慮してもらわんと」
「……はい」
文句の言える立場ではなかった。
「では、簡単に紹介しておこう。君の監視役を務める『津軽六鱗』だ。仲良く頼む」
真横でビシッと起立している。その顔をチラッと盗み見た。
(うわ~~、お友達にはなりたくねえ……)
細面で端整な顔立ちをしているが、見事なまでの仏頂面だ。仕事に生きて仕事に死すみたいな空気が滲み出ている。
「あの……監視ってどのくらいの間ですか?」
「もちろん、君の身に起こるであろう脅威が完全に去るまでだよ」
「脅威?」
「ああ、そうだ。津軽には監視と同時に警護も兼任してもらう。言いたい事が分かるかな?」
「いえ」
「要するに、君を襲撃したという男は、電薬管理局の関知していない相手だという事だ」
つまり、深見素赤の父を名乗っていたアノ男は、電薬管理局とは無関係だと?
「つい先日、匿名の情報提供があってね。このポイントカードにある住所に、電薬管理局のメインサーバーへハッキングをしかけたハッカーがいる……とね」
コレってもしや、複雑な事件に巻き込まれるフラグか?
「我々実動課としては、裏のとれない情報に振り回され、行動するワケにはいかない。が、そのハッカーがこの企業の社員で、今日、何だかのサイバーテロを画策している……そう言及された。その社員の名が『深見素赤』。しかし、その社員は既に死亡していた。しかも、不動産リストを調べたが、匿名の情報にあったのは弥富君の住所で、深見素赤のものではないと先程判明した」
どうやら、深見素赤の生存(?)を知っているワケではないようだ。
「今後、君の身に同様の事件が発生する可能性は高い。充分注意してくれ」
「俺は具体的にどうすれば?」
「悪いが基本的には自宅軟禁だ。外出すれば襲撃されやすくなるからな」
今までも自発的に引きこもっていたし、大した違いはない。ちょっぴり変化したのは〝話し相手〟を失った事ぐらいか。
(すまないが……サヨナラだ)
デスクに乗せられたビニール袋を見つめる。禁魚が四匹……大人しく漂っている。決して人ではない。口論したりバカに付き合ったりした連中は、決して人ではないのだ。だから、気にすることはない。いつも通り一人ぼっちに戻るだけなんだ。
「では、津軽。彼のことは頼んだぞ」
「了解ですわ、課長」
弥富と禁魚達の無茶な作戦がここに完結した。結果は失敗。そして、彼と禁魚達の関係もここに自然消滅を迎えてしまった。
「諸君、残念ながら目標の回収は失敗に終わった」
一人の男性が、ノートPCのモニターに向かって呟いた。
<失敗? プロの傭兵に整形手術までさせたと聞いたが>
別のモニターから声が返ってくる。
「ああ、そうだ。肉親や周囲の知人に違和感を持たれぬよう、数ヶ月かけて訓練もさせた」
男性は薄暗い部屋の中で、三台のカメラ付きノートPCに囲まれ、椅子に腰かけている。
<まさかの失態だねえ……当局に嗅ぎつけられるのは時間の問題かしら?>
<それより、この計画に出資した分を迅速に回収せねば>
<事が表面化する前にぃ、身辺整理を進めた方がいいかもしれないクマ>
各ノートPCのスピーカーから、不平不満が飛び交いだす。
「諸君ッ、まだ計画は終わっていないッ!」
男が俯きながら一喝し、各自が声を潜める。
「先兵との連絡が途絶し、行方不明なのは認めよう。だが、当局に拘束されているとしても、我々の関与に繋がる情報は与えていないし、偽の個人情報は一通り設定済みだ。次の計画に支障は無い」
<次の計画? 予備プランがあったなど聞いてなかったが>
一人が不愉快さをあらわにする。
「黙っていた事は謝ろう。大事の前の情報漏洩を避けたかったんでね」
<我々の出資が無駄にならない保障は?>
「物的な提示を今すぐしろと言うのなら無理だ。これまでと同様、私の言葉を信じてもらうしかない」
<……いいだろう。で、計画の内容は?>
「享輪コーポレーションに潜伏させた内通者によると、オリジナルP・D・Sは電薬管理局の実動課に回収された。この件で当局のメインフレームは、より強固な防火壁で守られ、外部からのハッキングは十中八九不可能。となれば、別の人間に仕事を請け負ってもらうまで」
<別の人間? 実動課に内通者はいないハズよねえ>
「連中は深見素赤の捜索も並行して実施している。ある程度真相が露呈してしまえば、アノ女はイヤでも動かざるを得なくなる。そこを我々が利用する」
<深見素赤? ヤツは死んだと聞いているわ>
<確かにぃ。こちらでも裏をとったクマ>
「いいや、アノ女は生きている。まあ、厳密に〝人間〟として生きているワケではないが、ヤツは死亡証明書と戸籍データを改ざんし、身を隠しただけだ」
<それが事実だとしてぇ、どう利用するクマ?>
「保管されている深見素赤の『肉体』を奪取する」
男は口元を歪めながらそう言った。