表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ブックシェルフ

近頃の性別の乱れについての所感

掲載日:2026/05/09

個人的なメモ ジェンダーとかトランスとかそういうの ある意味魂や心の所在


まず前提として僕自身、自分の性自認とか性志向とかについて十代頃から悩んだことのある人間である。色々調べたり本読んだりして、確か二十代前半くらいの頃に自認としてクィアと無性愛者がしっくりくるなとなった。

まあその頃の定義と、昨今語られるクィアのイメージがなんかズレてきたので、あんまり大ぴらには言わなくなってきたが。そもそも僕は肉体性別を変えたいとは思っていないので、文字通り自認がしっくりくる止まりなのもあるかもしれない。幼い頃から役割性別(ジェンダー)を押し付けられることへの反発心が強かったが、異性になりたいと思っていたわけではない。

誤解を避けるためにはっきり示しておくと、僕のクィア自認というのは精神的な性別という概念への懐疑が近い。肉体性別や役割性別(ジェンダー)によらない精神的な性別というのは基本的に存在しないのではないかと僕は思っている。世の性自認の根拠にされる「○○だから自分は精神的に女」「××だから自分は精神的に男」が概ね個人の嗜好をジェンダーの枠にはめたものでしかないからだ。肉体に対する違和があるタイプならまだ別だが。

あえて自分の精神性別を定義するなら無性寄りかもしれない。まあ肉体性別がしっくりこないかと言われると別にそこまででもないので、定義によってはシスジェンダーに入るのかもしれない。

無性愛は普通に、自分を当事者として恋愛感情や性欲を抱いたことがないという話だ。第三者としてなら興味深く見ている。愛だの恋だのよくわからないので。

一度は世間一般の性別の捉え方が役割性別(ジェンダー)からの解放へと傾きかけたのに、現在では却ってジェンダー性の強化に進んでしまったのは、トランス性別概念の安易な一般化が原因だろうと僕は思う。前述の通り、僕は性自認/精神的な性別という考え、そのものがジェンダー性の最たるものだと思っているので。

女性の格好をしたり、フェミニンなデザインが好きな男性は、女装やフェミニンな格好が好きな男性である。何故なら、女性らしい格好やフェミニンなデザインが嫌いだが自分を男性だとは思っていない女性も当然存在しているので。個人の趣味と性別には相関性はない。逆もまたしかり。

何なら最近はトランス同性愛者を名乗る異性愛者もいると聞く。トランス女性はシス女性と同性ではない。百歩譲ってトランス女性とシス男性は異性判定してもいいが、トランス女性の同性はトランス女性だ。シス女性が好きなトランス女性は異性愛者である。

そもそも、「女性に"なりたい"」と考えている時点で少なくともトランス前は女性でない自認であることが自明である。女性が女性になりたいと思うことはないからだ。思うまでもなく女性であるので。

言うまでもなく、性志向と性自認に依拠性はない。人間は異性を愛すことも同性を愛すこともあるからだ。LGBとTを同時に語るべきではないと言われるのも当然の話だ。個人的にはTQでくくられるのもちょっと嫌だが。最近のTは単なる異性装趣味というか、オートガイネフィリアが多すぎるので。本気で自分の肉体性別に違和を感じているタイプのTに謝ってほしい。否、ある意味でオートガイネフィリアだと一周回って性志向の話なのでLGBと同列に扱ってもいいのかのかもしれないが。

個人的な見解を言わせてもらえば、「LGBTは差別されている」と主張する人間は差別されるべくして差別されている。単純に迷惑行為をする人間が多いので集団から排除されているだけだ。それを差別というならまあ差別はあるのだろう。誰だって可能な限り快適に暮らしたいに決まっているのだし。

そもそも極々親しい相手か、恋愛関係になりたい人間以外に、相手に自分がどのような相手を恋愛対象として見ているのかを教える必要はない。そんなプライベートな情報を公開したい露出狂が常識的な人間である可能性は残念ながら低いと言わざるを得ないだろう。仕事仲間や健全な交遊をしている友人がどのような性志向を持っていてもなにも関係はないのだ。

極端な話、セックスしない相手が性欲の対象にするのが何でも別に人生に何の影響もない。セックスしたいと言われない限り、開示する必要はないともいえる。あるいは相手を斡旋したいと言われるとか。

最近の自称トランス女性の多くがオートガイネフィリアと断言するのが何故かといえば、世のジェンダー概念が強化傾向に向かっているからである。男性の女装、女性化が成り立つためにはジェンダー概念が解消されては困るのである。彼らは女性的な格好の男性になりたいわけではなく、男性でありながら女性として扱われたいので。

そもそもトランスの権利のためにシスジェンダーの権利が侵害されるのは間違っている。現在の技術レベルでは機能的なところまで人間を性転換させることはできない。見た目をそれっぽく整形しているだけだ。あくまでトランスとシスは異性である。あらゆる意味で。生物学的にも、精神的にも、肉体的にも。法的にはちょっと怪しくなってきているが。

僕は役割性別(ジェンダー)の概念が喪われれば性自認という概念は成立しなくなると考えている。正確には、己の肉体性別に依拠しない性別自認というべきかもしれない。僕自身が性自認というものに悩んで、何を根拠にすれば精神の性別というものを定義できるか考えて出した結論だ。役割性別と肉体性別に関わりなく精神的な性別を定義することはできない。精神的な性別などというものは存在しない。あるとして、男性脳・女性脳のような肉体に依拠したものだろう。肉体というよりホルモンかもしれないが。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ