第9話 魔力と霊力
観測区画から退出したあと、私はその場に座り込んでしまった。
「大丈夫ですか」
霧島がすぐに声をかけてくる。
「はい、何とか……」
口ではそう答えたが、正直なところ、かなりきつかった。
今まで感じた黒い揺らぎとは比べものにならない。
あの石の前では、身体の奥まで揺さぶられるような感覚があった。
「座って話そうか」
所長に促され、テーブルまで移動して椅子に腰を下ろす。
「まず、あの石のことから話そう」
所長が静かに口を開いた。
「あの石は、災いを呼ぶ石として、とある大学の考古学教室から持ち込まれたものだ」
「私も最初は迷信だろうと思っていた。だが調べていくうちに、あの石の周囲で奇妙な現象が起きていることが分かった」
「簡単に言えば――火を起こりやすくする性質がある」
「実験映像を見たほうが分かりやすいだろう」
所長はタブレットを操作し、モニターの一つに映像を映し出した。
黒い石のそばにロウソクの火を近づける。
次の瞬間、炎は異様な勢いで燃え上がった。
水を大量にかけても消えない。
やがてロウソクそのものが燃え尽きても、火だけが残り続けている。
「火というのは、本来、可燃性物質が酸素と結びつき、光と熱を放出する現象だ」
「次の映像も見てほしい」
画面が切り替わる。
紙や木片を石に近づけるだけで、次々と火がつく様子が映っていた。
「あの石の周囲では、物質から可燃性ガスが発生する温度や、着火点が極端に低くなるようだ」
「何かが、あの石から発せられているのは間違いない」
「しかも火を強くする性質もある。通常の物理学では説明がつかない現象だ」
所長は一拍置いて、言った。
「我々は、あの石を“魔石”と呼んでいる」
「そして、そこから発せられるものを“魔力”と」
「ここまでが、現在分かっていることだ」
所長は話し終えると、軽く息を吐いた。
分かりやすく説明してくれたのだと思う。
それでも、すべてを理解できたとは言い難い。
ただ、映像を見て一つだけはっきりしたことがあった。
――燃える可能性のあるものは、何でも燃やしてしまう。
部屋に、しばらく沈黙が流れる。
「ここからは、私が話します」
霧島が口を開いた。
「魔力に対抗する能力についてです」
「そうだね。霧島君から話した方がいいだろう。能力者として」
所長の言葉に、胸がざわついた。
やはりこの人が、あの火事を鎮めていたのだ。
霧島は、右手のひらをこちらに向けた。
そこには、ピンク色の、痣のような複雑な紋様が浮かんでいた。
「この紋様が現れたのは、つい最近のことです」
「所長、映像を」
再びモニターに映像が映し出される。
そこには霧島と思われる男性と、黒い石が映っていた。
「魔石です。研究所のものより、魔力はかなり弱いですが」
言われて気づいた。
先ほども今も、映像からは黒い揺らぎが見えない。
どうやら、あれは直接触れた者にしか感じられないらしい。
映像の中で、ロウソクの火が魔石に近づけられる。
炎は激しく燃え上がり、水や消火剤でも消えない。
そこへ霧島が近づき、右手をかざした。
次の瞬間、火の勢いが弱まり、普通のロウソクの炎に戻る。
同時に、石は音もなく崩れ、粉々になった。
「これが、私の能力です」
「同様の能力を持つ者は、世界各地で確認されています」
「おそらく私の場合、この手の紋様から“何か”が発せられ、魔力が中和されている」
「結果として、火が起こりやすい状態が是正されるのだと考えています」
ここで、所長が言葉を引き継いだ。
「その“何か”を、我々は“霊力”と呼んでいる」
「霊力を使えば、魔力を制することができる」
一瞬、視線が私に向けられる。
「ただし――開田さんの能力は少し違う」
「紋様が現れないタイプの能力者が、まれに存在することも分かっている」
所長の言葉が、ゆっくりと胸に沈んでいく。
「……違う、とは?」
自分の声が、少しだけ掠れて聞こえた。
所長はすぐには答えず、霧島と一瞬だけ視線を交わした。
「先ほども言った通りだ。能力者の多くは、身体のどこかに紋様が現れる」
「手のひら、腕、背中……位置は様々だが、共通しているのは“外に現れる”という点だ」
私は無意識に、自分の両手を見た。
何もない。
赤みも、痣も、ましてや紋様なんて見当たらない。
「だが、ごくまれに――」
所長は言葉を選ぶように、一拍置いた。
「外見上、何の変化も起こらない者がいる」
「能力はある。だが、それを示す痕跡が、身体の外に現れない」
「そういった例が、過去に数件だけ確認されている」
霧島が、静かに続ける。
「共通しているのは、魔力に対する感受性が非常に高いことです」
その言葉に、心臓が跳ねる感じがした。
黒い揺らぎ。
息が苦しくなった場所。
火事の直前に感じた、あの嫌な感覚。
全部、偶然じゃなかったとしたら。
「……それって」
言いかけて、言葉が詰まる。
「私が、魔力を感じやすいから、見えるってことですか」
「そうだね」
所長が頷く。
「霧島君のような能力者は、魔力に干渉できる」
「だが君の場合は、知覚してしまう」
「いわば、警報装置のようなものだ」
警報装置。
その言葉に、妙な納得があった。
火が上がる前。
何かが起きる直前。
いつも、先に身体が反応していた。
「現時点では、君が霊力を使って魔力を中和できるかどうかは分からない」
「……じゃあ」
ゆっくりと、問いを口にする。
「私は、何をすればいいんですか」
しばらく沈黙が流れたあと、霧島が答えた。
「まずは――知ってもらいます」
「魔力のこと」
「霊力のこと」
「そして、これから起きる“異常”のことを」
所長が、静かに締めくくる。
「君には、選択肢がある」
「何も知らなかったことにして、日常に戻ることもできる」
「だが、それでも――君は、きっと見えてしまうだろう」
私は、自分の胸に手を当てた。
あの黒い揺らぎを、もう一度見てしまったら。
気づいてしまったら。
知らなかったふりなんて、できるはずがない。
「……」
深く息を吸って、吐く。
「教えてください」
自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。
「私に、何が出来るのか」
霧島が、わずかに目を細める。
所長は、小さく頷いた。




