第8話 観測区画
エレベーターが到着する。
低く、腹の底に響くような音とともに、扉がゆっくりと開いた。
その向こうに広がっていたのは、地上とはまったく異なる空気だった。
短い廊下の先に、自動扉がある。
壁に操作パネルは見当たらないが、目の高さに小さなカメラが設置されていた。
霧島が一歩前に出て、迷いなくカメラを見据える。
直後、先ほどと同じ承認音が鳴った。
――ピッ。
自動扉が静かに開く。
その先は、窓のないオフィスのような空間だった。
地下なのだから窓がないのは当然だが、十分すぎる照明に照らされ、室内は妙に明るい。
昼夜の区別も、外の気配も、すべて切り離された場所のように感じた。
部屋の奥には大きなテーブル。
正面の壁一面には、複数の映像が同時に映し出された大型モニターが並んでいる。
白衣を着た研究員らしき人影が数人。
こちらに視線を向ける者はいない。
誰もが黙々とデスクのパソコンに向かい、キーボードを打ち続けていた。
左右の壁には、いくつもの扉が等間隔に並んでいる。
そのうちの一つが開き、所長が姿を現した。
こちらに気づくと、テーブルのほうへ来るよう、軽く手招きする。
「ここが研究所の中枢だ。このモニターには、世界各地の異常現象が表示されている」
近づいて見ると、モニターには世界地図が映し出され、数十秒おきに表示が切り替わっていた。
「状態に応じて色分けされている。赤は現在発生中、緑は対策済み、黄色は判定中だ」
地図上の点は、都市部に集中しているように見える。
田舎は大丈夫なんだな、と一瞬思った。
――そのときだった。
地図の一角、見覚えのある場所に、黄色の点が灯っている。
目を疑った。
「……聞いてもいいですか? あれは何ですか」
私は、無意識のうちにその点を指差していた。
「ああ。あれは、以前起きた火山噴火との関連が示唆されていてね。ただ、過去の出来事で、十分な情報が残っていないんだ」
「……私の故郷なんです」
そう言った瞬間、所長の視線が、わずかに変わった。
「もしかして、あの噴火のとき、現地にいたのかね?」
「はい」
「なるほど……そうか」
所長はそれきり言葉を止め、しばらく考え込んだ。
何か、言ってはいけないことを言ったのだろうか。
胸の奥に、嫌な予感が広がる。
――あの噴火も、偶然じゃなかった?
しばらくして、所長が顔を上げた。
「霧島君。まずは、あれを見てもらおうか」
「はい、わかりました」
霧島は即座に応じ、私は壁際の一つの扉の前へ案内された。
「この部屋の中には、おそらく開田さんが“見ているもの”があります。普段は問題が起きないよう、安全装置が作動していますが……」
所長は一度言葉を切り、私を見た。
「そのままでは、ただの石です。短時間だけ安全装置を解除します。少し負担がかかるかもしれませんが、よろしいですか?」
私は、少し迷ってから頷いた。
霧島が扉を開ける。
「霧島君は外で待機していてくれ、私が案内しよう」
所長に軽く肩を押され、二人で中へ入った。
ガラス越しに、白い部屋が見えていた。
壁も、床も、天井も、影が出ないほど均一な白。
まるで空間そのものが切り取られ、箱に詰められたようだった。
「こちらは観測区画です」
所長の言葉に、私は小さく頷くだけだった。
白い部屋の中央に、それはあった。
石。
拳より少し大きく、黒く、艶のない塊。
台座に置かれているわけでもない。
床の上に、当然のように存在している。
「……あれは何ですか」
問いかけると、所長は一瞬だけ言葉を選んだ。
「管理対象物です」
それだけで、ただの石ではないと分かった。
「今から安全装置を解除します。何かあれば、すぐに教えてください」
再び頷いた、その直後。
軽い電子音が鳴った。
「安全装置を解除します」
天井のスピーカーから、機械的な声が響く。
理由もなく、胸がざわついた。
――待って。
そう言いかけて、言葉が喉で止まる。
白い部屋の空気が、変わった。
目に見える変化はない。
それなのに、内側から押されるような圧を感じる。
息が、うまく吸えない。
急に、気分が悪くなった。
胃の奥が持ち上がり、視界が揺れる。
ただ立っているだけなのに、身体が拒絶反応を起こしていた。
「……さん?」
名前を呼ばれた気がしたが、返事はできなかった。
視線が、勝手に石へ引き寄せられる。
黒い石が、わずかに脈打つ。
次の瞬間――
それが、滲んだ。
煙ではない。
光でもない。
黒い、揺らぎ。
それを見た瞬間、確信が走る。
――これは、あってはいけないものだ。
心臓が早鐘を打つ。
吐き気がこみ上げ、私は思わずガラスに手をつき、その場に座り込んだ。
所長が、慌ただしく指示を飛ばしている。
やがて、安全装置が再作動する音が響いた。
白い部屋の異変が、ゆっくりと収束していく。
空気は、元に戻った。
……戻った、はずだった。
「大丈夫ですか?」
所長の声で、現実に引き戻される。
私は、かろうじて頷いた。
――ただ、見ただけ。
それなのに。
石から滲み出た“何か”が、
まだ目の奥に、焼きついて離れなかった。




