表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忘却のイクリプス  作者: 枕 小粒


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話 余熱

 見慣れない天井に、白い蛍光灯の光。


 目を開けると、いつもとは違う景色があった。


 腕に、何かが巻かれている感触。

 耳の奥で、規則正しく電子音が鳴っている。


 ……ああ。

 ここは、病院だ。


 しばらくの間、思考はまとまらず、ただ天井を眺めていた。


 どれくらいそうしていただろう。


 不意に、ノックの音。


「開田さーん、検温の時間ですよー」


 扉が開き、看護師が入ってくる。

 反射的に上半身を起こそうとしたが、


「あ、目が覚めたんですね。まだ横になっててくださいね」


 やんわりと、けれど迷いなく制止され、私は再びベッドに押し戻された。


「血圧、脈拍、酸素飽和度も問題ありませんね」

「呼吸、苦しくないですか?」


「……はい」


 声を出したつもりだったが、自分でも驚くほど掠れていた。


「後で採血に来ますね。それと、レントゲン検査もありますから」


「はい……」


 今度は、さっきより少しだけ、声が出た気がする。


「私物はベッド横の台に置いてありますよ。個室ですから、スマホも使えますよ」


 そう言い残し、看護師は足早に出ていった。


 扉が閉まる音を聞いたあと、私はまた天井を見つめる。


 少しずつ、記憶が戻ってくる。

 火災のこと。


 ……あの子は、大丈夫だっただろうか。


 また、見えたあの黒い揺らぎ。

 他の人にも、見えているのだろうか。

 それとも――。


 最近、火事が多い。

 偶然にしては、続きすぎている。


 考えようとしてみるが、答えは出ない。

 分からないことばかりだった。


 そんなとき、再びノックの音。


「開田さーん、採血に来ました」


 さっきの看護師だった。


 右腕を差し出すと、慣れた手つきで、手早く血を採られる。


「そういえば、何度かご面会の方が来てましたよ。彼氏さんですか?」


「……いえ」


 やんわりと否定する。


 彼氏なんていない。

 でも、誰だろう。会社の人だろうか。


「食事はお昼から出ますからね。午後はレントゲン検査と回診です」


 一通り告げると、看護師はそのまま出ていった。


 きっと、忙しいのだろう。

 少しだけ、そう思った。


 頭は、だいぶはっきりしてきた。


 ベッドサイドの台に置かれたかばんから、スマホを取り出す。


 画面を点けた瞬間、通知の多さに目を見張った。


 メール。

 SNS。

 安否を気遣う連絡ばかり。


(伯母さんには……何て言おう)


 ふと、そう思う。

 普段から気にかけてくれているし、連絡も多い。


 何も言わないのも、気が引けた。

 少しだけ、連絡しておこう。


 ベッドに横になったまま、電話をかけた。


「もしもし、千紘だけど」


「どうしたの、急に電話なんて。何かあったの?」


 私は、今回のことを簡単に話した。

 伯母は、こちらが戸惑うほど心配してくれる。


「困ったら、いつでもこっちに帰っておいで」


「うん……ありがと。また連絡するね」


 通話を終えた瞬間、胸の奥が、少しだけ緩んだ気がした。


 一度、帰りたいな。

 都会に――疲れてしまったのかもしれない。




 レントゲン検査のあと、夕方になって主治医が病室を訪れた。


 血液検査、レントゲンともに異常はなく、退院して問題ないという。


 できるだけ早く退院したかったが、手続きの都合で、退院は明日になった。


 点滴も外され、自由に動けるようになる。


 気分転換に、一階の売店へ向かったとき。


「おねえちゃん」


 後ろから、声をかけられた。

 振り返ると、見覚えのある顔。


 ……昨日の子だ。


 無事で、よかった。


 隣にいた母親が、深々と頭を下げる。


 私は近くにしゃがみ、目線を合わせた。


「昨日は、よく頑張ったね」


 母親から、何度も礼を言われた。

 悪い気はしない。

 けれど、こういうのは少し苦手だ。


 病室に戻り、夜。

 窓の外の街を眺めながら、考える。


 これから、どうするか。

 だが、もう心は固まっていた。


 少し、休もう。

 休んで、ゆっくり考えよう。


 その日は、驚くほどぐっすり眠れた。




 翌朝。


 病衣から、まだ煙の匂いが残る服に着替える。


 病室を出て、エレベーターで一階へ降りた。

 エントランスで看護師さんに軽く頭を下げ、病院を出る。


 外の空気は、思ったより冷たかった。


 そのまま歩き出そうとした――そのとき。


 目の前に、スーツ姿の男性が立っていた。


 見覚えがある。

 火災現場にいた、あの人だ。


「開田千紘さんですね」


「……はい」


 戸惑いながら、そう答える。


「少し、お時間よろしいでしょうか」


 私は、無言で頷いた。


「火事の現場で――」


 一拍、間をおいてから、男性は続けた。


「何か、おかしなことを感じた覚えはありませんか?」


 心臓が、わずかに跳ねる。


 けれど、口から出た言葉は、思いのほか淡々としていた。


「……いえ。何も」


「そうですか」


 男性は、軽く息を吐いた。


 そして、懐から名刺を取り出し、差し出す。


「何か思い出したことがあれば、いつでもご連絡ください」


 名刺を受け取る。


「では、失礼します」


 そう言って、男性はそのまま踵を返した。


 名刺には、肩書と名前。


 ――総務省消防庁

   特殊災害対策室

   主任調査官

   霧島 颯人


 私はその名刺を、かばんの奥にしまい込む。

 そして、振り返ることなく、足早に病院を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ