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隻鬼の杖 〜持たざる者は頂を目指す〜  作者: ふじぬま


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第9話:予兆

 紅色の紙風船が、ひとりでにふわりと宙へ浮かび上がった。

 地面を離れ、上へ上へと上昇していく紙風船。やがてそれは小さく小刻みに震えはじめ――いきなり、ぱんっと弾けた。

 破れた紙片がひらひらと地面へ舞い落ちる。また失敗だ。

 またか、背後で落胆する気配が伝わってくる。


 早朝の庭。今日もジンは修練に励んでいた。

 最近取り組んでいるのは、「柔」の理力による物体の制御である。

 これがまた難しい。力加減を間違えば、今のように操っている途中で壊してしまう。

 優しく丁寧に、手ですくい上げるように。そう指導をされているが中々上手くいかない。


「次」


 短く言って、タキが続きを促す。地面の上には山盛りに積まれた紙風船が置かれている。わざわざこの稽古のために彼女が準備したものだ。

 ジンは集中し、自分の内で渦巻く理力をふたつに選り分けた。活発に動く「剛」の理力を排し、緩慢とした動作で動く「柔」の理力を優先的に杖先へ向かわせる。

 準備は整った。満を持して杖を振る。杖先から灰色の光が飛び出し、目標に向かって飛んでいく。


 直後、ぽんっ、と弾ける音がした。また失敗かと思ったら、今度は紙風船のほうではなく、手元の杖が壊れていた。

 理力を込めすぎたのだ。竹杖は一瞬にして粉々に砕け、破片が地面に散り落ちる。

 場にしらけた空気が流れた。振り返って反応を伺うと、タキは密かに絶句していた。

 目が合うと彼女はすぐに我に返り、ごほん、と咳ばらいをした。


「早く替えの杖を持ってきなさい」


 稽古終わり、ジンは家の家事を片づけると、食材の買い出しに街へ出た。

 朝の失敗を引きずって、心ここにあらずのまま行きつけの店で買い物をする。タキの要望で今日は羊肉の蒸し煮料理を作ることになっているので、まずは肉屋へ向かう。


 店に入った途端、店主は嫌な顔をした。視線はジンの中身のない右袖に向けられている。

 とはいえ、それだけだ。タキはこの店の常連客であり、ジンがその使いで店に来ていることを知っているためか、ぼったくられたり商品を売ってもらえないということはない。せいぜい店主の対応が他の客と比べ不愛想になるくらいだ。買い物に支障はない。


 銀貨を一枚差し出して、秤売りされている羊肉を二塊買う。布袋を渡し、わらで包まれた骨つきの肩肉をそれに入れてもらうと、背中に背負った竹籠の中に仕舞った。ちなみにジンは一文無しなので、支払いはすべて師匠の懐からである。

 肉の次は香辛料と野菜の調達を行う。玉ねぎ、にんにく、生姜、唐辛子、茄子、かぶ。それらは肉とは違い保存が効くので多めに買い込んだ。


 買い出しの帰り、背中の籠にたくさんの食材を詰めて通りを歩いていると、通りの向こうから歩いてきたひとりの男と目が合った。

 ふと嫌な予感がした。長年の経験で培った悪意への嗅覚が働いていた。

 直後、予感は現実となる。


 すれ違いざま、男はいきなり肩をぶつけてきた。体を強く押されてジンはよろけ、路上に倒れ込む。その拍子に籠に入れていたものがころころとまろび出た。

 しまったと思い手を伸ばすと、拾おうとしていた茄子が目の前で無残に踏みつぶされた。果肉が辺りに飛び散り、灰色の地面に白と紫の染みができる。

 顔を上げると、男は薄ら笑いを浮かべその場から立ち去っていった。


 憤然と立ち上がり、男を呼び止めようとしたところで、通りの向こうから馬車が駆けてきたのが見えた。

 他の分まで潰されては敵わない。急いで落ちている食材を拾い始める。

 周囲でくすくすと道行く人々の笑い声が聞こえ、顔が赤くなるのを感じた。

 こんなときに限って数日分余分に買っていたので量が多く、拾うのに時間がかかりもどかしい。


 自分が『痣持ち』だから、ぶつかられたのだろうか。『痣持ち』だから笑われたのだろうか。そんな思考が頭を巡る。

 踏んだり蹴ったりだ。今日はまるでいいことがない。集めた食材を籠に戻すと、ジンは大きなため息をついて家路につくのだった。


「ただいま」

「……おかえりー」


 買い出しから戻り、玄関でジンがつぶやくように言うと、しばらくして家の奥からアリンが元気に返事を返してきた。


 廊下を渡ってジンが居間に入ると、居間に隣接する寝室のふすまが開いていた。その奥でアリンがなにやら作業をしている。不思議に思いながら通り過ぎ、台所に食材を置きに行き、また戻ってからふすまの前で声をかける。


「そこ、師匠の部屋だろ? そんなところに入ったらあとで怒られるぞ」

「ん?」


 少年は中腰のまま、首だけをこちらに向けて首を傾げてから、「ああ、いいのいいの」と手をひらひらと振った。


「これ、ぼくが頼まれてやってるんだ」

「頼まれたってなにを?」

「見てのとおり掃除だよ、掃除。タキ姉、ああ見えて苦手なんだよね。だからぼくにお小遣いをあげてまでこうして家に呼んでるんだ」

「へえ、師匠が仕事を与えてるわけじゃなかったのか」

「タキ姉はぼくのために仕事を残してるって言ってるけどね。本当は面倒ってだけだよ」

「ふうん」


 部屋を覗き込んでみると中は物で溢れていた。

 床や寝台には脱ぎ捨てられた道着が無造作に散らばっている。部屋の隅には机があり、その上には、ガラス細工の置物、干からびた香木の束、置きっぱなしの茶器、書きかけの紙、毛筆と墨液の瓶などが置かれている。奥には化粧台が置かれており、その上には使っているのを見たことがない化粧道具が見えている。


 とりわけ目に留まるのは本だった。床の上に隙間を埋めるようにして本が積み上げられている。

 寝室に窓はなく、空気は淀んでいた。普段からふすまも締めっぱなしなので、換気が十分に行われていないのだろう。


 タキからはこの家に来たばかりのころに「寝室には決して立ち入らないように」と固く禁じられていたが、彼女は今、僧院に仕事に出ている。どうせバレやしない。ジンはためらうことなくふすまの敷居をまたいで、床に落ちている本をひとつ拾い上げてみた。彼女がどんな本を読んでいるのか気になったのだ。


「わ、なんだこれ」


 手に取った本をぱらぱらと捲ってみると、中にはびっしりと見たことのない文字が書き込まれていた。角ばったコスニアの文字とは正反対の、丸まった文字。


「ん? なあに?」


 本の山の運搬をしていたアリンはジンの言葉で立ち止まり、背伸びをして彼の手元を覗き込んだ。

 ジンはアリンにも見えるように本を下げ、ページを埋めつくす文字を彼に見せてあげた。


「ほら、異言の本だ。すごいな、こんなもの読んでるのか」

「異言って?」

「海の向こうの国、別の大陸の人が話す言葉ってことさ」

「ふうん」

「……それにしても、こんなところでいつも寝てるのか。あの師匠サマは」


 ジンは改めて乱雑な部屋の中を見渡した。

 大人がふたり分寝転べそうな大きな寝台。その上でごろごろと寝転びながら本を読むタキの姿を想像した。いつもの凛とした姿からは考えられないが、陰ではそうやってだらけているのだろう。あの鉄仮面も人間ということか。


「家族以外には見せたくないみたいだけど、家じゃ結構、おだらけ鉄仮面だよ」

「なんだそりゃ」


 思わずジンは笑った。その反応に気を良くしたのか、アリンは得意になって自分の考えたあだ名を披露し始めた。


「他にもいろいろ考えたよ。性格不美人、妖怪馬の尻尾、すまし顔のっぽ……」

「はは。じゃあ、こういうのはどうだ? 表情出禁女」

「あはは、やるじゃん」


 と、ふたりで盛り上がってるところで。


「ただいま戻りました」


 居間のほうから声がした。ふたりは青ざめて顔を見合わせた。

 ジンは急いで部屋から出て、居間に入ってきたタキに、「おかえりなさい」と引きつった笑顔で声をかけた。


「は、早かったですね、師匠」

「ええ。今日は担当の授業が午前までなので」


 彼女から普通の返事が返ってくる。先ほどの会話はバレていないようだ。内心安堵の息をつきながら、媚びを売るような愛想笑いを続ける。

 しかし――。


「ところで、今、わたしの部屋から出てきませんでしたか。あの部屋には入るなと前に言ったはずですが」


 不意を突くように言われ、うっ、と思わず声を漏らしかけた。

 ジンはちらりとアリンのほうに目くばせした。少年はそっぽを向いて作業をしている。助けてくれるつもりはないらしい。あのガキ……。


「すいません。でも、アリンの手伝いをしていたんですよ。大変そうだったので」

「ほう、手伝い」


 タキは真顔でつぶやき、ジンとアリンの顔を交互に見た。


「わたしの陰口を言うのが手伝いなのですか?」


 気まずい空気が場に流れる。すべてばれていた。


「ま、待ってよ、タキ姉。陰口じゃなくて、ほら、愛のある悪口だよ。ねっ?」

「そ、そうですよ、師匠。愛ゆえの悪口です」


 焦ったように適当なことを口走るアリンにジンは同調した。

 苦しすぎる言い訳だ。この程度で許してもらえるはずはないということはこの家で居候を続ける中で学んでいた。

 短い沈黙のあと、タキはじろりジンをねめつけ、一歩距離を詰めた。


「ジン、こんなところで遊んでいる暇はないでしょう。自分の置かれている立場がわかっていないのですか?」

「うっ」

「わたしの言いつけも守らず、挙句の果てに悪口ですか。いっそ本当にわたしの小間使いになりますか?」

「すいません」

「だいたい、最近のあなたからはまるでやる気が感じられません。理術の上達も頭打ちです。このままでいいと思っているのですか? 危機感を持ちなさい」

「……わかってるよ。ちょっと息抜きしてただけだろ」

「『わかっています』、でしょう?」

「……わかっています、師匠」


 タキは不機嫌そうに鼻を鳴らし、肩掛け鞄を寝室の中に乱暴に放り投げると、ジンの脇を通り抜けて縁側から庭に出た。


「ジン」


 彼女は目線をこちらに向けず、名前だけ呼んで、庭という名の修練場の中央で両手を背後に回した姿勢で待っている。


「はいはい」


 おざなりに返事をし、自分も庭に降りる。

 午後の鍛錬が始まる。今日はいつも以上に痛めつけられそうだ。

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