第6話:弟子入り
深夜に目覚めてから朝方まで考え事をしていたジンは、決意を固めて布団から起き上がった。
客間を出て細長い廊下を渡ると、その中ほどに居間があった。間仕切りの布をくぐって中に入ってみたが、そこには誰もいなかった。
漆喰の壁に囲まれた静まり返った部屋。板の間の中央に据えられた囲炉裏には白灰が積もり、その中で燃えさしが小さな光を放ちながら、かすかに煙を上げていた。
「先生、リウ先生」
呼びかけてみるが返答はない。右奥にある台所に向かってみるもそこも無人だった。朝早いからまだ寝ているのだろうか、あるいは庭かもしれない。そう思って障子を開け、縁側に出てみると、ようやく家主を見つけた。
草木のない殺風景な庭。その中央に黒い道着姿のタキが立っていた。手には腰のあたりまで届く木杖。淡黄色の木目から、その杖が桜の木で作られていることが察せられた。
タキは杖先を地面に垂らし、目をつむり背筋をぴんと伸ばしている。その立ち姿には風格と自信がにじみ出ている。術士の端くれであるジンには、それがただ立っているのではないということすぐにわかった。
青い輝きがタキの中心から現れて、杖を持つ右手に向かって流れるように動いている。杖先にある『源石』を通過すると、光は明滅しながらより大きくなり、今度は右足に、次には左足に――と進んでいく。光は絶えず全身を巡り、人型に光って視える。
それは理力の輝きだ。神鹿が人類にもたらした奇跡を体の隅々まで循環させている。ジンにはそれが目ではなく、第六感で感じとれた。
理力はかすかに体外へと漏れ、風もないのに砂がひとりでに動き出し、タキの足元から離れていく。彼女の周囲で、砂が小さな円を描きながら積もった。
「む」
縁側に立っているジンの存在に気づき、タキが理力の操作を止める。青い光がふっと搔き消えた。
ジンが挨拶をすると、「おはようございます」と返答が帰ってくる。
タキは草履を履いた足で地面に積もった砂の山を崩すと、ジンのほうまで歩み寄ってきた。
「ふむ、なにか決心したような顔ですね」
ジンはうなずいた。
「お話があります、先生」
「聞きましょう」
そう答えたものの、すぐには話を聞いてくれなかった。タキが家に上がってからジンは話を始めようとしたが、「まあ待ちなさい」と彼女は静止し、囲炉裏のほうを一瞥して「座って待っていなさい」と告げた。
言われたとおり、囲炉裏の前に置かれた円座にあぐらをかいて座ると、タキは手にした杖を薙ぐようにぶんと振った。すると、杖先から青い光が放出される。術士でなければ視認できないその理力の輝きは、四方向に分かれ部屋中へ広がっていく。最初に台所の戸がひとりでに開き、間を置かず壁際の箪笥の引き出しが一斉に開いて次々と物が宙へ飛び出してきた。
まず、台所から薪や藁が飛んできて、囲炉裏の中にふわりと着地した。続いて打ち金と火打石がそこで体をこすり合わせ火口に火をつけると、待ってましたとばかりにうちわが上下に体を跳ねさせて火種を大きくさせていく。
薪に火が移ったところで、囲炉裏の上部に吊るされた鉄瓶に竹のひしゃくが水を注いだ。しばらく待ち、ことことと湯が沸き立ってくると、囲炉裏の端に並んで待機していた急須と茶葉、そしてふたつの湯呑の出番がやってくる。その一連の不可思議な現象は、すべてタキの思考ひとつで行われていた。
「茶でも飲みながら話しましょう」
囲炉裏の前でタキは正座し、まるで当たり前のように茶を淹れ始めた。一方でその対面に座るジンは、あんなことをやすやすとこなすのかと呆然としていた。未熟な自分はもちろん、修練を積んだ術士であってもあんな芸当はそうできないだろう。
ジンは我に返って首を振った。今のを見て、決心がついた。
「先生、お願いがあります」
ずいと前のめりになって、向かいにある整った顔をじっと見つめる。タキは湯呑に茶を注ぎ、それを差し出しながら首をかしげた。
「なんでしょう」
深く息を吸ってから、ジンは頭の中の考えを口にした。
「僕に理術を教えてくれませんか」
意を決しての発言だったが、帰ってきたのは沈黙だった。タキは両手を膝上に置き、形の良い眉をわずかにつり上げ、口をつぐんだ。
言葉が返されるまで、幾分かの間があった。ひたと顔を見つめられ思わず視線を逸らしかけたとき、沈黙は破られた。
「それは、わたしの弟子になりたいということですか?」
「はい」
「なんのために? わたしの教えをなにに使おうというのです。……もしや、報復でも考えているのですか?」
とび色の双眸がまっすぐジンの目を捉えていた。心の奥底まで覗くような視線。その眼差しをジンは臆さず迎え撃つ。
「たしかに、僧院も、僕を襲ってきた連中のことも、恨んでいないと言えばうそになります。僕にとって理術を学ぶことができたのはあの寺くらいでしたから」
故郷を飛び出したジンが異国の地にあるカマラダ僧院にまではるばるやって来たのは、理術を学ぶ場所が極端に限られているからに他ならない。戦争のない平和なこの時代、理術を学ぶことができるのは兵士か坊主、あるいは金持ちくらいのものだ。実家が裕福というわけでもなく、身体の不自由なジンは検査の段階で弾かれ故郷の軍学校の入学すら断られてしまった。だからこそカマラダ僧院は数少ない学びの場だったのだ。
僧院を卒業し術士になれさえすればそれでよかった。そのためなら、どんなことだって耐えられた。そんな場所を奪われてしまったことに対する憤りはある。しかし、それを発散させようとは思わなかった。そんなことをしても虚しくなるだけだ。
「仕返しなんて考えていません。そんなことよりも、僕はただ術士になりたいんです。それも、先生のような一流の術士に」
こちらの言葉を黙って聞きながら、タキは両手で持った湯呑をゆっくりと傾け、ほっと息をついた。囲炉裏の端に湯呑をことりと置き、さらにたっぷりと間を取ってから彼女は口を開いた。
「たしかに、わたしの弟子になればあなたの望みも叶います。一流とまではいかずとも、術士にはなれるでしょう。……ですが、お断りします。昨日も言ったようにこれ以上の手助けをするつもりはありません。そもそもあなたはわたしの元生徒に過ぎませんし、はっきり言ってあなた個人にはなんの思い入れもないですから」
「そこをどうか、考え直してくれませんか」
「申し訳ないですが、わたしもそれほど暇ではないので」
ジンは必死に頼み込むが、にべもなく断られる。
「お願いします。僕にはもうあとがないんです」
「もちろん、それは承知していますが……」
「先生、この通りです。お願いします」
土下座をして頼み込んだ。不機嫌そうな声で「やめなさい」と言われたが、そのまま頭を下げ続ける。
ひとつかふたつしか歳の変わらない相手に対して頭を床に擦りつけて懇願する。涙が出そうなほどみっともないことだ。それでも、こうするしかない。弱い自分と決別するためには、こうするしか。
「ならば聞きましょう。わたしへの見返りは?」
ため息まじりに問われる。
ジンは板の間をじっとにらみつけ、しばしの間考えてみたが、なにも思いつかなかった。自分には金も、人脈も、才能もない。自分に残されているのはこの身ひとつだけだ。
潔く、正直に答える。
「見返りはありません。でも、なんでもやります。洗濯でも厠の掃除でも、なんでも。どうか僕をここに置いてください」
「……」
再びの沈黙。薪のぱちぱちとはじける音と、タキが静かに茶をすする音だけが場に残る。ジンは顔を上げ、相手の表情を確認した。
無表情だった。なにを考えているかわからない顔。とび色の双眸からはなんの感情も読み取れない。自分の言葉がなにも響いていないのではないかとすら思う。
ならばもう、すべてをさらけ出すしかない。
「先生。僕は、ずっと他人から侮られる人生を送ってきました。ここに来ればクソみたいな人生もうまくいくようになるんじゃないかって……そう信じて故郷を出てきました。好きなように踏みにじられるのも、いないものとして扱われるのも、もう沢山なんです。誰からも侮られない存在になりたい。だから術士になりたかったんです」
ジンは相手の顔をほとんどにらむようにして見上げた。
「先生。僕はもう、自分をみじめだと思いたくない。そんな生き方はもう嫌なんです。お願いします。僕を先生の弟子にしてください」
互いの視線がぶつかり合ったまま離れない。ジンは視線をそらさず、瞬きすらせずにじっととび色の瞳を見つめ続ける。
外では、じいじいとやかましく蝉の声が鳴き始めていた。ジンの背後の縁側から日差しが差し込み、室内を白く照らした。その光を受け、タキの片肩に垂れる髪が眩しいほどにきらめいている。
沈黙が、熱とともに重くのしかかる。ジンはひたすらに答えを待った。
やがて、視線の先で長いまつ毛が伏せられた。先に目を逸らしたのは向こうのほうだった。
タキは大きくため息をつくと困ったように眉尻を下げ、頭を掻いた。
「まあ、わたしにとっても学びを深める機会にはなりますか」
つぶやくようにそう言ってから、ひとつうなずく。
「わかりました。あなたにわたしの業を授けます」
それを聞き、ジンは身を乗り出した。
「本当ですか!?」
「ただし、わたしの指導についてこられるのなら、の話ですが。ついてくる自信はありますか?」
ジンは「もちろんです」と声を弾ませて即答した。
面白いと思ったら、★から評価してもらえると嬉しいです!




