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隻鬼の杖 〜持たざる者は頂を目指す〜  作者: ふじぬま


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第33話:死闘

 沈みかけた夕日の最後の輝きが森を赤く染めている。

 スニルの残した血が点々と道しるべのように地面に続いている。ジンは黙々とそれをたどり森を進んだ。


 枝葉を押しのけ、木の根を跨ぎ、道なき道を進む。やがて、一本の道が現れた。

 幅広で、溝のように落ちくぼんだ道。干上がった川の跡なのか、それとも雨水の通り道なのか。いずれにせよ人の手ではなく、自然の力が穿った道である。


 その先に、奴を見つけた。足を引きずり、背後を気にすることなく、一心不乱に前進を続けている。

 ジンは周囲を見渡し、地面に倒れた倒木や枝を見つけると、それを理術で操って、視線の先の老人に向けて放り投げた。

 ひと抱えもある木の幹が、鋭い枝の槍が、うなりをあげて老人へ迫る。直撃の寸前、スニルは宙へ身を投げ、地面に転がった。

 ずしん、と衝撃が地面を震わせ、先ほどまでスニルが立っていた地点に丸太が突き刺さり、土と落ち葉が盛大に舞い上がる。


 ジンは駆け寄り、ゆっくりと腰を上げるスニルの前に姿を現した。

 森の道の中央でふたりの術士が対峙する。


「死にに来たか、小僧。あのまま追ってこなければよかったものを」


 老人は上裸だった。着ていたぼろを裂き、切断された左腕の根本にぐるぐると巻きつけて止血をしていた。


「あんたが生きてる限り、この先永遠に安眠できなさそうなんでな。そんなの、死んでるも同然だ」


 ジンが返すと、スニルは鼻を鳴らした。


 森の中にひとときの静けさが訪れる。

 道の両脇では背の高い木々が壁のようにそびえている。樹上からも下草からも生き物の気配を感じない。まるでこの老人に怯えているかのように、鳥も虫も木々さえも息を潜めていた。


「僕を覚えているか、スニル」


 杖を下げ、沸き立つ憎悪を必死に押さえつけながらジンは問いかけた。


「八年前、アキツの辺境の村で、ある男が殺された。縄を首にかけられ、樹に吊るされ無惨にも殺された。その男は僕の兄だった」


 スニルは思い出すように目を上に向け、首を捻り――やがてかぶりを振った。


「いいや、さっぱりだな」

「……っ。あんたは、自分が殺した人間すらも覚えていないのか」

「強者であれば覚えているだろうさ。だが何者でもなければ死人を記憶しておく価値はない」

「……殺されたのは兄の婚約者もだ。あんたは彼女を襲い、凌辱し、殺した」


 それを聞いたスニルは、一瞬、思い出すように目を上に向けた。


「ああ、待てよ。それなら覚えているぞ。あの山村の娘か」


 そして下ひた笑みを浮かべ、嬉々として感想を述べる。


「あれは上玉だった。首を絞めると善がってな。その顔が中々にそそった。具合の方も良かったな」


 ジンはあごを引き、老人の顔を激しくにらんだ。


「よくもやったな……!」

「くくっ、そうだ、もっと怒れ。怒れば怒るほど俺は貴様を御しやすくなる」

「……っ!」


 これでは敵の思う壺だ。ジンは心を鎮めようと努めたが、相変わらず、平静ではいられない。怒りが焦りを生み、焦りが判断を鈍らせる。悪循環だった。


 スニルは黒杖を持った右手をだらんと垂らし、怪我をしていないほうの足――右足に体重を乗せ、蒼白な顔で気だるげに立っている。例によって隙だらけの構え。

 対するジンも杖を構えた。重心を沈め、杖を顔の前でゆるく握る。


「好きに仕掛けてこい」


 あごを上げ、尊大にスニルが言った。


「言われなくとも!」


 ジンは一気に理力を練り上げた。


 かつて、神鹿(ムリガナータ)が人々に授けた神通力。そのひと欠片を己の内から目覚めさせ、全身から杖先の源石へと集約し、増幅したそれを杖先から一息に打ち出す。

 スニルもまた、ほぼ同時に術を繰り出していた。脱力した状態から、右腕をムチのようにしならせて杖を一振した。スニルの体内の理力が一切の無駄なく、敵ながら惚れ惚れするほど美しい理力操作で杖へと直行する。


 両の杖から放たれた灰色の輝きが、雷光のごとく宙を駆けた。互いの理力がバチンと音を立てて激突し、一瞬の内に光の残滓となって消え失せる。その衝突した地点はジンの目前の虚空だった。


(やはり、相手のほうが早い、か)


 術の早撃ちは相手に軍配が上がり、実力差が杖の一振りだけではっきりした。スニルの顔は無表情だったが、ジンにはそれが自分が上なのだと嘲笑っているように見えた。


 こちらの焦りにつけ込むように、スニルは次々と攻撃を仕掛けてくる。ひとつ目は正面を狙ってくると見せかけた背後を狙った攻撃。ふたつ目は緩やかな出だしから急激に速度を上げ、足元を狙った攻撃。三つ目は真上から斜めに落ちてくる、頭を狙った攻撃。

 ジンは宙を飛び交う理力とそれに込められたかすかな殺気を第六感によって察知し、すべての攻撃を間一髪、一心不乱に杖を払って防御した。


 攻撃は止まらない。スニルは地面に向けて杖を振るった。

 地面に穴が穿たれたかと思うと、土がぼこっと盛り上がる。次の瞬間、地中を進む攻撃が土や落ち葉を周りにまき散らしながらこちらへ向かって突進してくる。

 焦らず、狙撃の頃合いを待つ。攻撃が足元にやってきたところでジンは後ろに飛び退き、空中で杖を振るった。頃合いは完璧だ。地中から顔を出した敵の術とこちらの放った術がぶつかり合う。


 ジンは地面に着地し、次なる攻撃に備えた。スニルはすでに杖を振り抜いている。光が迸り、放たれる。今度はこちらの狙撃を困難にするような縦横に揺らぐ術。軌道を見切り、杖を振ろうとしたところで、スニルの術は不意に動きを変えた。

 弧を描きながら山なりに飛び、ジンの真上までやって来たかと思うと急に落下し、周りをくるくると旋回し始めた。

 予測不能な動きをする光弾。背面を狙って突撃してきたところを、ジンは前を見据えたまま、手だけを後ろに回して撃ち落とした。

 直後、今度は一転して単調で素早い術が真正面から飛んでくる。反射的に杖を振るう。ジンの目前で術が爆ぜ、思わず仰け反る。

 防戦一方だ。このまま術を術でいなしていてはじりじりと不利になっていく。攻めなければ負けてしまう。


 危険を承知で、ジンは迫りくる様々な角度からの攻撃を己の体ひとつで回避した。横っ飛びに躱し、前方に転がるように追撃を躱し、起き上がりざまに乱暴に杖を突き込む。ここで選択したのは、相手への到達が早い、真正面を狙った直線的な攻撃。

 相手は予想通り、術に術をぶつけて防御した。やはり足を負傷しているため、こちらと同じような回避はできないらしい。


 立て続けに攻める。一振り目で牽制を行い、それに対処するわずかな間を利用し、二振り目で足元に転がっていた枝を投擲する。

 これを相手は理力の盾を生み出し防御。

 ならば、とジンは三振り目、(つぶて)を上空に巻き上げる。親指大の小石が無数に宙を舞い、スニルの頭上でぴたりと静止した。

 術士(ジン)が杖を傾け、それを合図に礫が一斉に落下を開始する。その速度は理力によって急加速し、地上の敵めがけてさながら矢の雨のように降り注いだ。


「ちっ!」


 頭上を見上げたスニルが遅れて理力を練り上げるも、落下物のあまりの速度を前に間に合わないと見たのか彼は迎撃を断念し、その場から逃れようとした。しかし、足がもつれ、ふらりとよろけた。

 身体が万全の状態であれば、容易に躱したであろう攻撃。負傷した今の彼には避けられなかった。

 礫による攻撃は見事命中し、スニルの全身に風穴を開けた。鮮血が地面に散る。


 さしものスニルも身体を仰け反らせた。そこで生まれる、一瞬の隙。

 ――ここだ。

 ジンは立ち上がりざまに杖を振るって追撃を仕掛けた。


「くっ」


 相手は顔を歪めて攻撃を弾き返す。構うことなく追撃する。二度、三度、四度。スニルは危うげながらもすべて防御する。

 この好機を逃してはならない。五度目――こちらが杖を振るうのと同時にスニルが杖を走らせた。


 刹那、ジンの身体は真後ろに吹っ飛んだ。

 景色が後ろに流れていく。老人の姿が見る見るうちに小さくなっていく。ごんっ、と後頭部を地面に打ち付けてジンは痛みに悶絶した。術の早撃ちでまた打ち負かされた。遅れて放った術が防御として機能していなければ死んでいた。


 痛みの波が引くのを待つ暇もなく、急いで腰を上げたところで、体に重い衝撃が走った。


「……かはっ……!」


 息が、できない。呆然と腹部を見下ろす。

 先ほど見舞った礫のいくつかが、お返しと言わんばかりにジンの腹に深々と突き刺さっていた。時間差で、熱湯をかけられたような熱と刃物で切られたような痛みが同時に押し寄せる。


「ぐううっ……!」


 痛みにうめき、片膝をつく。足元の緑に、ぽたっ、ぽたっと赤い点がにじむ。反応できなかった……。


 着物を貫通し、礫が肋骨の下あたりに深々と突き刺さり、肉に埋もれている。そのやや下部、昨晩受けたガラス片による裂傷は縫合されていたはずだが、激しい戦闘で傷が完全に開ききり、着物の下に巻かれた包帯は血で真っ赤に染まっている。


 血が止まらない。止血のために傷口を押さえたかったが、隻腕のジンにはそれも叶わなかった。この左腕は杖を構えていなくてはならない。

 血の気が引く感覚がする。痛みがだんだんと強くなっている。致命傷ではないと信じたいが、正確な判断はできない。少なくともジンは医学の知識など持ち合わせていなかった。


「ごふっ……がはっ、がはっ!」


 森の道の先で、老人が苦しそうに咳をして、白いヒゲが赤く汚れる。

 老人の右の頬は引き裂かれ、ぽっかりと穴が開いている。全身の至る所には裂傷を負い、特に傷の深い胸元からは血が吹き出している。

 満身創痍だ。もう戦える状態ではないはずだ。

 それでも、立っているのはジンではなく、この老人のほうだった。


「ふぅ……。ここまで追い詰められたのは久方ぶりだ。中々悪くなかったぞ」


 袖で口元を拭い、老人はどこか楽しそうな調子で言う。


「しかし、あれだけいたイェンの子らも、貴様で最後か。名残惜しいな」


 ジンは荒く息を吐きながらスニルをにらみつける。

 老人は勝ち誇ったような顔で口の端を持ち上げた。

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