第30話:腹をくくれ
森の中のそれほど深くない位置に戦場は広がっていた。
辺りでは根本から折れた木がそこいらじゅうに転がっている。下草は幾人もの人間の足で踏みつけられ、地面のそこかしこには戦闘の余波と思われる穴が空き、折れた刃物や杖が無造作に転がっている。
ジンは馬上から降りて馬を開放してやってから、腰から杖を抜き、周囲に視線を走らせ注意深く先へ進んだ。
いつスニルと出会ってもいいように、足元に散らばった使えそうな武器を回収する。血にまみれた短刀、折れた刃の破片。それらを落ちていた小袋の中に杖で操って入れ、ひもで縛って腰に下げておく。
その途中、気がついた。森の先に凄惨な光景が広がっていることを。
地面の上に、茂みの中に、見知った人々の死体が転がっていた。背骨を折られた死体、首を捻じ曲げられた死体、上半身をねじ切られた死体。地面は血で染まり、至る所に千切れた手足や頭部が無造作に転がっている。そこに広がっていたのは地獄絵図そのものだった。
つい先日まで言葉を交わしていた相手が死んでいる。その事実に、心がかき乱され、その場で叫びだしたくなる。
心静術でそれを無理やり抑え込み、しかし完全には感情を消すことはできないまま、むせかえるような血の匂いがする森の中を進んでいく。
知覚できる範囲ではどの人影にも理力の気配は感じない。死体の山だ。
「誰か、生きているか……?」
震える声を絞り出し、耳を澄ます。
なにも聞こえない。
「クソッ……!」
ジンは森の中を駆けた。最悪の想像が頭から離れない。そんなことはあってはならない。
森を進む途中、はたと気がついて足を止めた。大樹の根に体を預けるようにして、ひとりの女が倒れていた。
その衝撃的な光景に、ジンはしばし呆然と立ち尽くした。
「タキ、そんな……」
顔をうつむかせていたタキは、こちらに気づき、顔を上げた。
色白な顔は唇まで血の気を失い、汗に濡れた髪が頬に張りついていた。頭部に巻かれた包帯が赤く染まり、流れた血が下に滴り落ち、着物を汚している。そして極めつけに、彼女の右腕と左膝は、不自然な方向へ折れ曲がっていた。
ジンはすぐさま駆け寄り、しゃがみこんで助け起こそうとしたが、タキは無事なほうの左腕でその手を振り払った。
「わたしのせいです」
「え?」
「わたしが皆を焚きつけたりしなければ、こんなことにはならなかった。こうなったのはわたしのせいです。わたしのせいで、皆が……」
黒髪が垂れ、力なくうつむいたタキの顔を陰が覆った。
痛ましい彼女の姿にジンはしばし言葉を失っていたが、頭を振って意識を切り替えた。
「スニルは? 奴はどこに?」
「……このすぐ先で、サバルと戦っています」
ジンは片膝をついたまま森の先へ目を向けた。鬱蒼と生い茂る木々の向こうは見渡せず、ただ薄闇だけが広がっている。この先に、皆の仇が――スニルがいる。
「行かないでください。あなたが行けば、きっと戻ってはこれない」
ジンは視線を彼女へと移した。その瞳には焦燥の色があった。
「奴は怪物です。サバルとて、おそらく敵わないでしょう。あなたが行ったところで結果は同じです」
「見捨てろっていうのか」
「薄情だと思われても構いません。二人とも死ぬよりは、ひとりでも生き残ったほうがいい」
ジンはわずかに逡巡したものの、きっぱりと首を振った。
「タキ、聞いてくれ。もし逆の立場なら、僕も君と同じことを言うかもしれない。『行くな』って。……でも、君が僕の立場なら、きっと『行く』って言うだろ? 勝てるかどうかなんて関係ない。『助けに行く』って言うはずだ」
タキは押し黙っていた。反論はしてこない。きっとそのとおりだからだ。
「僕は行くよ。行かなくちゃならない」
改めて言い、腰を上げる。もはや一刻の猶予もない。
一歩踏み出したところで足の裾を掴まれた。
「ならば、約束してください。必ず生きて帰ってくると」
タキはこちらを見上げ、強い眼差しを向けていた。
一瞬考え、無言でうなずいた。そこで、ふと気がついた。足元に杖が落ちている。タキの杖だ。
この先なにが起こるかわからない。予備の杖がいる。
「君の杖、借りていくよ」
拾い上げ、自分の杖と一緒に束ねるように持つ。
「ジン」
名を呼ばれ、再度見つめあう。きっと“うそ”が見抜かれたのだろう。とび色の瞳が不安に揺れている。青白んだ唇が震え、言葉を探すように開いては力なく閉じられた。
ジンはしばらくその目を見つめ返し、やがてふっと視線を切ると、その場を後にした。
森は歩を進めるごとに緑が増している。枝葉はより分厚く、木の背は高くなり、それにより夕日が差し込まなくなっている。薄暗い森をひたすらに進む。
確信めいた予感があった。
おそらく今日、自分は死ぬ。
※
茂みの間にぽっかりと現れた、下生えと苔むした倒木が残るだけの広場。戦闘の余波で広場は荒れ果てていた。広場の中央には幾本もの丸太が突き刺さり、樹皮や木片が散乱している。
地面はえぐれ土が飛び散り、草は根ごと引き抜かれてそこかしこに転がっている。へし折られた木が広場の周りを囲うように倒れ、まだ残る木の半数以上も、幹が半円状にえぐられ、無残な姿のままかろうじて立っていた。
夕日が差し込み、茜色に染まるその場所の中央で、筋骨逞しい体格の男が白髪の老人と対峙していた。
スニルの全身は血で濡れている。しかし、そのすべてが返り血だった。すでに大勢のリウ家の術士を殺害したスニルだったが、汗ひとつかかず、涼しい顔でその場に立っている。たった一点、左足を庇うように後方へ退けていることを除けば、彼に損傷はなかった。
対するサバルは全身が傷だらけだった。衣はところどころ破れ、その合間から血の滴る地肌が覗いている。激しい戦いの末、サバルの肌は汗に光り、額から流れた血が顔中を汚していた。
サバルは荒く息を吐き、しかし視線は決して下げず、瞬きすらせずに目の前の敵をにらみ据えていた。
スニルが無造作に杖を振り、攻撃を仕掛けた。
サバルは素早く反応し、術で術を相殺することで防御しようとする。しかし、サバルの打ち出す術の速さはスニルのそれよりもほんのわずかに遅れていた。その一瞬の遅れが、戦場では命運を分ける“差”となる。殺し合いを制するのは、常に“差”を先んじた者だ。
サバルの防御は辛うじて間に合ったが、両者の力量はわずかにサバルのほうが劣っていた。
「貴様は俺が出会った術士の中でも上位に食い込む実力者だ」
スニルは言った。
「この泰平の世にありながら、よくぞそこまで鍛え上げたものだ。賞賛に値するぞ」
「ふん、お前に認められたところでなにも嬉しくないわ」
「つれないな。俺は女でさえ滅多に褒めんというのに」
サバルは息を整えながら相対する術士の動きを観察している。少しでも敵が動いたら反応できるように。
スニルはにやりと笑ってサバルの様子を眺めてから、不意に両手を交差させるようにして同時に杖を振るった。
一対の光弾が寸分たがわずサバルに向かって飛来する。対処困難な同時攻撃。
サバルは光弾のひとつを杖を振るって防御し、もう一方をすぐさま転がって回避した。起き上がりざまにさらなる追撃が迫る。スニルが両の杖を交互に振って猛攻を仕掛けた。
「ちいっ!」
サバルは狙いをつけさせないよう走りながら光弾の乱打を対処した。飛び退き、頭を下げ、宙に大きく身を投げ出して避けつつ、杖を振るって術撃を防いだ。
「よくぞ凌いだ。だがこれはどうだ?」
「……っ!」
サバルは急いで身を起こし、杖を構えた。瞬間、ふたりの術士が杖を走らせる。
灰色の閃光がスニルの杖から、赤い閃光がサバルの杖から迸り、虚空でぶつかり合って鈍い音とともに爆ぜた。
直後、そのスニルのもう一方の手から放たれた理術がサバルの杖と腕を撃ち抜き、杖は真っぷたつに裂けて地に転がった。
「あぐっ!」
サバルは痛みに喘ぎ、よろめいた。
サバルの右手首は無残にへし折れ、だらんとぶら下がっている。左手はまだ無事だが、肝心の杖が壊れてしまった。
サバルは今、無防備な状態を敵に晒していた。
スニルはひとつ息をつくと杖を下げ、サバルから視線を外し周囲を見渡した。
森の広場にはサバルの他に人影はなく、森の向こうから増援がやってくる様子もない。夕焼けが差す森は静まり返っていた。
「これで最後か。中々に楽しませてくれたが、貴様ひとりでは役不足だったな。せめてもうひとりこの場にいれば、もう少し楽しめたのだがな……」
スニルは落胆したようにつぶやき、ため息をつきながら首を左右に振った。
「残念だ。実に残念だ。……死ね」
スニルは言い放ち、杖を体の前でさっと振り払った。黒杖から灰色の輝きが火花のように噴き出す。術士でなければ目視できない“力”の塊。直撃すれば人体など簡単に消し飛ぶその一撃が、サバルめがけて突進する。
「くっ……」
サバルは顔を歪め一歩後退したが、理術の素早さはその動きを遥かに上回っていた。回避不能の攻撃を前に、彼は覚悟を決めたように目をつむった。
その刹那――。
バツッという音ともに、スニルの理術が唐突に掻き消えた。横合いの藪から飛んできた理術が、攻撃を相殺したのだ。
直後、突然茂みの奥からなにかが飛び出した。
それは、一本の棒切れだった。淡黄色の優しい色合いの杖。
林間の広場を一直線に突っ切るように、杖は風を切り裂いて飛び、その先にいたサバルのやや前方を通過した。
「っ!」
サバルは虚空を舞う杖に飛びつき、無事なほうの左手でがっしと掴むと、ごろんと地面に転がりながら起き上がり、素早く杖を構えた。
一方、杖が飛んできた先――茂みの奥からは、隻腕の男が姿を現し、スニルに向けて次々と攻撃を仕掛けていた。灰色の理力の輝きが軌跡を描いて宙を飛ぶ。スニルはそれを杖を払って防御した。激突した互いの理力はたちまち霧散する。
「ほう。来たか、小僧。大した理力操作だ。この俺が気がつかなかったぞ」
スニルの口が裂けるように歪んだ。




