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隻鬼の杖 〜持たざる者は頂を目指す〜  作者: ふじぬま


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第28話:家族

 大広間の左右の壁に設けられた大窓から、柔らかな朝の日差しが差し込んでいた。窓のガラスは半数が割れ、その下の石床には鋭いガラス片が無造作に散らばっている。


 外では鳥の鳴き声が響き渡っている。世の中ではいつもとなんら変わらない平凡な一日が、しかしこの屋敷の住人にとっては絶望の一日が始まっていた。


 大広間では長い静寂が続いていた。

 部屋には百名近くものリウ家の者たちが集まっている。ある者は脇に寄せられた長机に暗然と座り込み、ある者は入り口で衛兵と事務的な会話を交わし、ある者は遺体の運搬にあたっていた。その大半が、青白い顔で下を向いていた。


 夜が明けてから、屋敷の住人たちは絶望の中で亡骸を運び大広間に集め、負傷した者たちを養生所に送り届けた。それと同時に衛兵を呼びに行き、事件のあらましを説明した。とはいえ、そうしたからと言って衛兵たちがスニルを捕らえられるわけもなく、なんの希望も抱かぬまま、リウ家の者たちはこうして座り込むことしかできないのだった。


 部屋の中央には、昨晩亡くなった者たちの遺体が敷布に包まって安置されていた。敷布の端から頭髪だけを覗かせた、さなぎのように膨らんだ包みがいくつも列をなし、石床を覆っている。石床には血の跡が転々と残り、すでに乾いて黒ずんでいる。


 その遺体の列の中央、老婆の亡骸に寄り添うように大柄な男がじっと座り込んでいる。仕事で隣町まで出ていたサバルは、知らせを受け、朝方、急遽屋敷まで戻ってきた。そして先ほどから、母の手を握ったまま離れないでいるのだった。

 そんな長兄に、その場にいる兄弟たちは様々な想いを込めた視線を向けている。罪悪感、無念、後悔、絶望――。


 そのとき、大広間の開け放たれたままの扉から、頭に包帯を巻きつけた道着姿の若い女が現れた。

 タキは首を伸ばした凛とした立ち姿で部屋の中を見渡してから、後ろで縛った髪を左右に揺らし部屋を大股で横断した。やがて皆の顔が見える位置までやってくると、あごをわずかに上げ、静寂を裂くように「しっかりしなさい!」と叱咤した。


 びくりと体を跳ねさせて皆がタキに注目する。


「年長者がこれでは子どもたちが余計不安になります。いつまでそうしているのですか」


 タキの整然とした白い顔は、いつにも増して無表情だった。深い悲しみを、強い怒りを、無理やり押さえつけて心の奥底に沈めた顔。とび色の瞳は静まり返り、兄弟たちの疲れ切った顔を熟視している。


「これからのことを話しませんか」


 そう語りかけたが、周囲の反応は薄かった。タキの顔を見て、すぐにまた視線を落としてしまう。


「みんな、聞いてください」


 彼女は再度語りかけ、一度大きく息を吐いてから語り出す。


「わたしのほんとうの父は、戦場で兵士として死にました。そして母は頼る者もなくひとりでわたしを産み、わたしが三つのころ、事故に遭って家屋の下敷きになって亡くなりました。わたしをかばって潰されたそうです」


 一呼吸置いて、言葉が続く。


「今でも思い出せます。わたしに覆いかぶさったあの死体の重みを、息苦しさを。わたしの命は本来そこで尽きるはずでした。イェンがいなければ、わたしはこうして生きてはいません。そしてそれは、兄さんたちや姉さんたちも同じこと。……イェンはわたしたちの産みの親ではありません。しかし、たしかにわたしたちの母であり、父でした。愛を与え、生きるための知恵を授けてくれた存在です」


 タキは皆の顔をゆっくりと見渡した。


「これで、いいと思いますか」


 ぽつりと、つぶやくように問いかける。


「このまま悲しみを分かち合って、『災難だった』で事を終わらせて、それでいいと思いますか」


 言外に、こう問いかけていた。あの男に思い知らせなくてよいのか、と。


「タキの言うとおりだ」


 母の遺体の傍らに座り込んでいたサバルが不意に立ち上がり、妹に同調した。日焼けした厳めしい顔には決意が満ちている。


「あの母ですら止められなかった相手だ。衛兵どもでは到底捕らえられまい。今、リウ家が動かねば、奴はこのまま逃げおおせるだろう。今こそ、俺たち兄弟が力を合わせるときだ」


 偉丈夫が力強い眼差しで兄弟たちの顔を見渡し、答えを待った。

 そのうち、重たい沈黙を押しのけて、誰かがぽつりと言った。やるぞ、と。


「……ああ、やろう」


 返事が遅れて返ってくる。続けて、「やるぞ」ともう一度誰かが言うと、次第に口々に決意を固めるつぶやきを口にし、それが大広間中に波及していった。


 もはやそこにあるのは沈痛な面持ちの遺族の顔ではなく、復讐に取り憑かれた鬼の顔へと変貌していた。男も女も立ち上がり、手にした杖で石床を叩き始めた。


「やめて!」


 大広間に金切り声が鳴り響いた。

 皆が動きを止める。


「ここであいつを追いかけたら相手の思う壺だわ!」


 イェンの死を餌に、リウ家の者たちを復讐に駆り立て、それをスニルは平らげようとしている。まさに“贄”として。それがスニルの魂胆だ。その目論見に、わざわざ乗る必要などない。女はそう主張していた。


「そうよ」


 姉妹の誰かが声を上げる。長机に座り込んでいた集団の中からひとりの女が皆の前に出てくる。ひっつめ髪の小柄な女――長女のジュエンだった。

 ジュエンは広間の中央にいる長男(サバル)の隣に堂々と立ち並び、髭まみれの兄の顔をにらみ上げた。


「昨晩、何人死んだかわかる? 十六……十六人よ。みんな酷い殺され方だった。あんたたちまで死んだらどうすんのよ。うちにはまだ幼い子どもたちが大勢いるってのに。大人の私たちが先のことを考えないでどうするのよ。ここで死んだら、母親を失ったあの子たちを誰が守るの? 冷静になりなさいよ」


「ジュエンよ、聞け」


 サバルは妹を見下ろし、低く静かな声で言った。


「奴はまともではない。あの男の行動は誰にも予測できん。奴をここで仕留めねば、またこの家を狙ってくるかもしれんのだ。ひと月後か、半年後か、はたまた一年後か。奴はまたこの家に現れるかもしれん。お前はそれでも構わないというのか? 子どもたちにこのまま怯えて暮らしていろと?」


「そんなこと……」

「いいか。人生には、己の命を賭してでも戦わねばならぬときがある。今日がそのときなのだ」

「でも……でも、死んでしまったらなにもかもおしまいじゃない。そんなの間違ってるわ!」

「そうかもしれん。だがこの世には正解なんてものはない。己が信じるがままにただ行動するだけだ」


 サバルは視線を周囲へと移し、小さくうつむいた。


「奴は、俺たちが育ったこの屋敷に土足で踏み入り、俺たちが大切にしてきたものを踏みにじっていった。……この家は俺のすべてだ。俺は、母の遺したこの繋がりこそがなによりも尊いと思う。長男として、イェンの後継者として、俺はこの家を守り抜く。そして、犠牲になった者たちと残された者たちの魂の安寧のために、俺は奴を討たねばならない」


 サバルは顔を上げ、決意に満ちた顔で弟妹たちを見渡した。


同胞(はらから)よ。我々こそが、あの男とイェンの因縁を断ち切らねばならない。イェンの意志を継ぐ、我々こそが。それこそが母への手向け……最後の恩返しだ。そうだろうが、お前たち!」


 その力強い呼びかけに、広間中が一斉に「そうだ!」と沸き、拳が天に突き上がった。

 周囲が騒がしくなってくると、サバルはジュエンの元に近づき、耳打ちした。


「ジュエン、俺にもしものことがあれば――」

「あたしに任せるって言うんでしょ」


 ジュエンは兄の顔をきっとにらみ上げた。


「あんたって本当に勝手よ。昔っからそう。あたしにばかり尻ぬぐいさせるんだから」

「……いつも悪いな」


 ジュエンの肩をぽんと叩き、サバルはそのまま集団の元へ歩き出す。

 やがて弟妹たちの輪の中に入り、これからのことを話し始めたとき、


「サバルさま」


 しわがれた声が上がり、彼の名を呼んだ。人垣の奥から立ち襟の服を着た三人の老人が現れる。

 彼らは力強い足取りでサバルの前まで歩き、揃って跪いた。


「奥方さま亡き今、我らの主人はリウ家の長男たるあなたさまです。……旦那さま、お願いがございます。此度の仇討ち、ぜひお供させてください」

「今は使用人の身なれど、かつて我らも奥方さまに従い、幾度も戦場を共にいたしました。そのたびに賜った御恩、片時も忘れたことはございませぬ。数は少のうございますが、この身の力の限りを尽くし、お支え申し上げます」

「老いた身ではありますが、腕はまだ衰えておりませぬ」


 サバルは三人の使用人たちを見下ろし、力強くうなずいた。


「もちろんだ。我ら兄弟は、幼いころからあなた方に鍛えられてきた。こうして一緒に戦えるのは心強い」


 ほどなくして兄弟の半数は、サバルの指揮の元、先ほどまでの沈んだ顔が噓のように鬼気迫る顔で戦いの準備に取りかかった。

 一方、残る半数の戦う意思のない者たちはおろおろとその場に立ち尽くすか、互いに抱き合ってさめざめと泣き続けていた。


 そんな中、タキは広間の中ほどでうつむいていたジュエンの元に近づいた。


「姉さんはここに残って子どもたちを守ってください。わたしたちは行きます」


 ジュエンはゆっくりと顔を上げた。強い視線で妹の顔を見上げる。


「タキ、あんたはそれでいいの? あんたにはジンがいるでしょう。彼を残して死にに行くようなこと、本当にするつもり?」


 タキは問いかけに顔をこわばらせた。そして、少しの間顔をうつむかせてから前を向く。


「仕方のないことです。きっと彼もわかってくれます」


 どこか悟りきったような声だった。

 ジュエンは言葉を失い、妹の悲壮に満ちた顔を見つめた。すでに決意を固めた顔だった。


「ジュエン姉さん」


 タキは一歩踏み出し、姉との距離を縮めると、その小さな体を抱きしめた。小柄な姉の顔は、長身のタキの胸にぴったりと寄り添っている。


「わたしが本音を言えたのは、いつも姉さんと母さんの前だけでした。……姉さん、大好きです」

「……やめなさいよ。こんなときになんでそんなこと言うのよ……」

「ごめんなさい。こんな妹で」


 ジュエンの大きな瞳に涙が溜まっていく。やがて彼女は妹の胸に顔をうずめた。


「嫌っ! 行かないでよ、タキ……」


 タキは困ったような顔で姉の頭を優しく撫で、そっと体を引きはがした。


「ごめんなさい」


 道着の袖で姉の涙を拭い、タキはもう一度、謝罪の言葉を口にした。


 ジュエンは顔を伏せ、とめどなく流れる涙が石床に黒いしみを描いていくのをただ見届けるように、その場に力なく立ち尽くしている。そんな姉にどこか罪悪感に満ちた眼差しを向けていたタキは、迷いを振り払うように首を振り、踵を返した。


 背筋を伸ばし、視線は前を見据え、広間の出口へと足を踏み出す。戦いの準備のため広間を忙しなく出入りする杖や武器を抱えた幾人もの兄弟たちとすれ違う。広間には怒声に近い指示が絶えず飛び交い、緊迫した空気が満ちている。


 タキは歩きながら小さく目を閉じ、顔から表情を消していった。完璧に表情を消しきったところで、ゆっくりと目を開き、歩調を上げた。


 広間を抜け、廊下を進み、玄関口を出る。

 母屋の前に立ち、青空を仰ぎながらつぶやく。


「仇は必ず取ります。待っていてください、母さん」

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