第27話:収獲の刻
「くっ……はぁ……はぁ……!」
濃い血の匂いが大広間に立ち込めていた。
惨憺たる光景が周囲に広がっている。ある者は腹を裂かれて臓物を撒き散らし、ある者は首をもがれ、またある者は壁に激突させられ死んでいる。救いがあるとすれば、まだ生きている者もいるということだ。うめき声をあげて倒れている者が周囲に幾人かいることをジンは横目で確認していた。
初めての命のやり取りに精神が疲弊しているのを感じた。眼の前で同じ釜の飯を食った仲間たちが死ぬ。そんな光景を目の当たりにして平静ではいられなかった。
これが単なる手合わせであれば、自分の身を守ることだけを考えていただろう。けれどこれは実戦だ。自分の行動次第で味方を守れるのだと考えたら、身体が勝手に動いてしまった。皆を守ろうとして後手に回った。おそらくそれはリウ家の者たちも同じだったのだろう。慣れていなかったのだ、命をかけた戦いというものに。それがこの結果を招いてしまった。
スニルはそんなリウ家の術士たちの行動をあざ笑うかのように、弱いものから先に狙った。そうして少しずつ戦力を削ったのだ。
怒りに燃える気を無理やり落ち着かせて、ジンは白髪の老人を見つめる。
双杖使い――そんな術士と会うのは初めてだった。左右の杖に理力を送り込みながら戦闘を行うというのは、当然それだけ高度な理力操作が必要だ。普通であればどこかで術に綻びが出る。杖に込める理力が多すぎたり、逆に少なすぎたりするものだ。しかし、スニルにはそれが一度も見られない。この男は怪物だ。
加えて、スニルの術は素早く、動きも多彩だった。停止、加速、蛇行、旋回、昇降。そういった高度な理術の使用には、直線的で威力の高い「剛」の理力に「柔」の理力を混ぜ合わせ、術に柔軟性を持たせることが必要であるが、スニルの優れているところはこの両方の絶妙な配分が的確なことにある。
「剛」の理力が多すぎれば変化に乏しく、逆に「柔」の理力が多ければ強度が足りない。このふたつの理力の配分は長い年月をかけて修練しなければ身につかない。
強度があり、それでいて変化に富む術。スニルはそれをひとつひとつ、高い完成度で両手の杖から打ち込んでくる。
一手一手の選択が早いことも強さの要因だろう。あらゆる状況を想定しているような動きを取ってくるのだ。人をあまりにも殺し慣れている。実際の戦場に出たことがないジンや他のリウ家の術士たちと比べると、あまりにも経験の差が大きかった。
こんなとき、あの長男がこの場にいてくれたなら、とジンは思った。腹立たしいことだが、サバルならばきっとスニルとも渡り合えるはずだ。
自分と、サバルと、イェン。その三人で挑むことができれば、決して敵わない相手ではないはずだ。
しかし間の悪いことに、サバルは今、仕事で屋敷を留守にしている。あの男の助けは期待できない。
「ふむ。なかなか骨があるのがいるな。無傷か……」
死体の山にひとり立つジンを興味深げに眺めてスニルがつぶやく。
「くっ……!」
ジンは理力を指先に集中させ、一気に解き放った。相手は顔色ひとつ変えずにそれをいなす。二回、三回と間髪入れずに攻める。
遅れてイェンもそれに加勢する。スニルは手早く術を相殺し、歳を思わせない俊敏な動作で躱し、間隙を狙って片方の杖を突き出した。理力の繰りがあまりにも速い。すんでのところでジンの防御が間に合うも、思わず後ろに仰け反った。
「ほう。今のを防ぐか」
暖炉に照らされるスニルの目が感心したように細められる。そこには喜びの色が見える。
「くそっ……」
術士の“速さ”とは、単に杖を振る素早さではない。理力を練り上げ杖に乗せ打ち出す――その目視できない一連の動きが“速い”のだ。かつてタキにそう習ったことを思い出す。
スニルの速さは、イェンやサバルをも凌ぐものだった。あらゆる点でスニルには隙はない。こんな相手にどうすれば勝てるというのだ。
「ところで――」
スニルは唐突にジンに背を向け、イェンのほうを見た。
「こうして子どもを拾い上げ育てているのは罪滅ぼしのつもりか?」
問われたイェンは戦いで乱れた髪を顔の周りにまとわせたまま、ただ沈黙している。
「お前がどれほど人を殺めたのかを忘れたのか。そうやって己を偽っても過去はなにも変わらんぞ」
イェンが顔を歪める。しかしスニルはそんなことなどお構いなしに立て続けに言葉を紡ぐ。
「本当の貴様を思い出せ。貴様は俺の同類――心に獣を飼う『修羅』だ。死合いの中に生き、死合いの中で死ぬことが宿命づけられた者。それが俺であり、貴様だ。己が強者と認めた者を屠り、物言わぬ死体を前にひとり勝利に酔う。その瞬間こそが我らのなによりの喜び、それこそが己の存在価値を実感できる唯一の方法、我らが生き様だ」
「一緒に、するなっ!」
イェンが吠え、攻撃を再開する。ジンはそれに合わせ、広間の端に落ちていたガラス片を理力で操り、敵に向かって投げた。闇夜を滑るように飛んでいく透明な刃。対処困難な一撃。
スニルは同時に二本の杖を払って、前方のイェンの攻撃を防ぎ、背後に迫ったガラス片に理力をまとわせてその勢いを止めると、そのままガラス片の主導権をジンからもぎ取った。
そしてそのまま、奪ったガラス片をイェンに向かって一斉に飛ばす。
「くっ!」
イェンは顔を歪めて理力の盾を作った。杖先から飛び出した青白い光が、迫りくるガラス片を包みこみ、一瞬それがふわりと浮いてから地面に落下した。
その直後、スニルが追撃を放った。ぶん、ぶんと風切り音を立てて次々に両杖を走らせ、右に左に蛇行する攻撃を何度も何度も執拗に仕掛ける。
スニルの動きを止めようとジンは攻撃を仕掛けたが、それを予知していたかのようにスニルは後ろ向きでひょいと身を躱し、振り向きざまに術を放ってきた。
「早っ――!」
意表を突かれたジンは高速で飛来する理力に体を貫かれ、後方へと吹き飛ばされた。石床の上でニ度、三度、四度と跳ね、長机に激突して頭を強打する。
ちかちかと光が視界で瞬き、頭が痛みを訴える。それでもジンは生きていた。攻撃を食らう直前、なんとか防御が間に合ったのだ。大した傷は負っていない。まだ戦える。
頭と背中の痛みに顔を歪めながら上体を起こし、戦いの状況を確認した。薄暗がりの向こう、広間の端でイェンとスニルが戦っている。青色と灰色の理力の輝きが尾を引いて虚空を駆け、鈍い音を響かせてぶつかり合っている。
幻想的な光景だ。そんな場違いな感想を抱くのは、きっと頭を打って、まだ意識がはっきりしていないからだろう。
「ジン、大丈夫ですか!?」
背後から声がして背中を支えられる。タキだった。その隣にはリウ家の面々の姿もある。
助かった。援軍だ。
「僕は、いい。それより、加勢を……」
呂律の回らない口でなんとかそう言うと、タキはうなずき、既に走り出していた兄弟たちとともに広間の奥に向かっていった。
見ると、イェンは追い詰められていた。攻撃を凌ぐので精一杯という様子でじりじりと後ろに交代している。攻撃を挟む暇がないほど苛烈に攻められ、防戦一方となっている。両杖使いのスニルは手数が多い。単純に、イェンの倍だ。一本の杖だけで攻撃を防ぐのは至難の業だろう。
足元、真上、背後。あらゆる角度から打ち込まれるスニルの術を、イェンは髪を振り乱しながら対処している。老人とは思えない素晴らしい反応と杖捌きだ。だがあのままではすぐに限界がくる。
「はははっ! ははははっ!」
スニルは高笑いを上げながら機敏に杖を振り、後退するイェンを追って前進を続けている。
リウ家の術士たちが敵の手を止めようと攻撃を仕掛けているが、スニルは歯牙にもかけずにイェンを執拗に狙っている。背中に迫るリウ家の術士の攻撃を、スニルは右手の杖を後ろに回して捌き、左手の杖でイェンに攻撃を浴びせている。
思わずジンは喉を鳴らした。人間業じゃない。
イェンがついに壁際に追い詰められる。スニルが嬉々として声を上げ、杖を振り回している。
こんなことをしている場合ではない。自分も加勢に加わろうとジンがふらふらと立ち上がった――そのとき。
「まずいっ」
視線の先でイェンが杖を取り落とす。からん、と白木の杖が石床に落ちて音がする。イェンが大きくのけぞり、無防備な状態を晒した。
その隙をスニルは見逃さない。彼は容赦なく、右手の杖をイェンへ突き込んだ。その瞬間、ジンには時間がゆっくり感じられた。心を絶望が覆い尽くす。
「腑抜けたな、姉弟子さまよ。……がっかりだ」
冷ややかな笑みを浮かべたスニルがつぶやいた。次の瞬間、杖から放たれた光弾がイェンの顔面に直撃し、老婆の首が真後ろに曲がった。
「そんな……駄目だ……」
老婆の痩躯が、受け身も取らずにばったりと後ろに倒れる。石床に硬い物が落下する、心臓が凍りつくような音がした。
大広間は一瞬、静寂に包まれた。
「いやあああああああああっ!!」
一拍置いて、女の悲痛な叫び声が響き渡った。
ジンはその場に立ち尽くし、動くことができなかった。
呆然とするジンの目の前で、母の仇を取ろうとリウ家の者たちがスニルに向かって走り寄っていく。杖の一振りごとに、彼らが簡単に蹴散らされていく。その中にはタキの姿もあった。彼女の身体は宙を舞い、広間の壁に激突してずるりと落下した。
「タキ!」
ジンの身体はようやく動き出した。走り寄り、地面に倒れた彼女の様子を伺う。頭から血を流し、目を閉じている。背筋が凍った。
急いで彼女を助け起こそうとした、その刹那。
「――っ!」
殺気を感じ、ジンは顔を跳ね上げた。
反射的に、杖を掬い上げるように斜めに振り払う。驚異的な早さで目前まで迫っていた理力が、ジンの放った理力と衝突し光の粒となって消えていく。
「そこのお前、隻腕の小僧。良い腕をしているな」
薄闇の向こうで、双杖の術士がこちらを見つめていた。口元が三ヶ月型に歪んでいる。かつて兄を殺したときのように、笑っている。
ジンは心臓が縮み上がるのを感じた。
男の手元、二本の黒杖に視線が釘づけになる。あれが一振りされるだけで人が死ぬ。そうだ、あのイェンも殺された。自分もここで殺される。
だが、すぐそばに倒れているタキの存在が、萎えかけた心を奮い立たせる。恐れている暇などない。ここで自分が戦わねば、大切な者が死ぬ。
ジンは前方を鋭くにらみ、杖を構えた。
「ほう。なおも挑んでくるか、この俺に」
感心するような声でスニルがつぶやく。
「貴様、屋敷の前で俺を見つめていた男だな。この厳重な警備は貴様がイェンに警告をした結果か? だとしたら感謝せねばならんな」
言葉を無視し、ジンは仕掛けた。
暗がりの向こうへ術を乱打する。虚空に軌跡を描き、理力の光が敵へ群がっていく。限りなく完璧に近い理力操作により杖先から打ち出されていく理術。しかしスニルは両手の杖を使い、それを片っ端から撃ち落とした。やがてジンの攻撃の手がわずかに緩むと、今度は逆に攻撃を仕掛けられた。
「ぐっ……!」
両の杖から繰り出される攻撃の嵐が上下左右から間断なく押し寄せてくる。そのすべてが、あまりにも早い。理力の繰りは相手が明らかに上手だ。反応そのものは間に合っても、術を放つ速度はこちらがわずかに遅れている。
ジンは顔を歪ませ後ろに後退しながら、かろうじて押し寄せる術の数々を防ぎ切った。生きているのが不思議なほど、綱の上を渡るような紙一重の攻防だった。
スニルの攻撃の手が一度止む。文字どおりの息もつかせぬ戦闘に、ジンは肩で息をしながら油断なく杖を構えた。
「ふむ。イェン以外に俺と満足に撃ち合える者がいるとはな」
「僕だけじゃない。この家には、もっと恐ろしい男がいる。いずれサバルがあんたを殺しに来るぞ」
「ほう、サバルと言うのかその男は。会えるのが楽しみだ」
スニルは両の杖をぐるりと大きく振り回し、ジンのほうへ向けた。直後、闇の向こうから飛んできた刃の大群がジンに向けて殺到した。周囲の足元に散らばっていたガラス片や砕けた長机の破片を理力で掻き集め、それを一気に投げ飛ばしてきたのだ。
ジンは一瞬、避けることを考えたが、傍らにいるタキの存在を思い出し、その考えを打ち消した。わずかに遅れて杖を振り、理力の防御壁を作り出す。しかし、その遅れが、防御を不完全なものにした。
ジンの灰色の理力の輝きは、殺到する凶器の群れの半数を受け止めることに成功したが、残る半数をその身でまともに食らう羽目になった。ガラス片が、鋭利な木片が、ジンの胴体を中心に深々と突き刺さる。
ぼたぼたと鮮血が石床に散るのを、ジンは呆然と眺めていた。
「ぐうぅぅ……」
激痛に、足が勝手に折れ曲がる。腕が、脚が、腹が、燃えるように痛い。しかし、かろうじて杖だけは手放さなかった。
前方へ視線を向けると、遠く、暖炉の炎が闇の中から老人の顔をぼんやりと浮かび上がらせていた。
老人は冷酷な眼差しをこちらに向け、無造作に杖を払い追撃を放った。
敵の狙いを見定め、的確に防御する――そんな基本の行動すら、この術士には通用しない。ジンは防御のために理術を使ったが、小細工なしの真正面、一直線の高速の攻撃に体を易々と貫かれ、石壁に背中から激突した。
「かはっ……」
肺の中の空気が、一気に飛び出した。手から杖が転げ落ち、上下に二度三度と弾み、やがて動きを失った。
杖を拾わなくては。そう思っても、体が鉛のように重く、言うことを聞かない。
冷たい石床に頬を押しつけたまま、ジンは顔を傾け、敵の姿を探した。暖炉の火がゆらゆらと揺れ、その光の向こうにスニルと思しき人影が薄闇に立っているのがぼんやりと見える。
視界はぼやけ、意識がじわじわと遠のいていく。
「……一度出直そう……」
どこか遠くで、スニルが満足そうにつぶやいた。
そのあとで、誰かが大広間を悠然と歩く足音がした。
リウ家の者たちの怒声と悲鳴が交錯し、大勢の足音と理力の弾ける鈍い音が暗闇に響き渡る。
しばらくして音は途絶え、大広間は静寂に包まれた。
「聞けっ!」
静寂を引き裂くように、スニルの大声が大広間に轟いた。
「北門近くの森にて待つ! 俺を殺しに来い、“武神”の子らよ! 貴様たちが培ったすべてを持って俺を殺しに来るのだ!」
そして最後に、こう言った。
「待っているぞ」
そこで、ジンの意識は闇の底へ沈んだ。




