第20話:姉妹
庭園にひとつの円卓が置かれていた。円卓には赤い卓布がかけられ、そこには茶器と三人分の湯呑、茶菓子が並べられている。
円卓を囲むのは三人の若い女だ。
ひっつめ髪の前掛け姿の女、ジュエン。
腰巻を身に着けた眼帯の少女、ハリシャ。
長身の道着姿の女、タキ。
リウ家の姉妹は午後の食後のひとときを共にし、静かな茶の時間を楽しんでいた。
ジュエンがそっと湯呑を手に取ると、庭の緑を背景に湯気が揺らめいた。
「最近どうなのよ。仕事のほうは」
「相変わらずやりがいのない仕事ですよ」
ジュエンの問いに、タキはつまらなそうに答えた。
「早朝に起き、授業のために山へ登り、師僧から下らない小言を浴び、時間になれば下山する……その繰り返しです」
「へぇー、大変そ」
ハリシャは桜の花弁を模した美しい練りきりを口に運び、興味なさげに感想を述べてから、姉に疑問をぶつける。
「タキ姉、なんでそんな仕事続けてるの?」
「他にやりたい仕事もないからです」
「じゃあやめればいいじゃない。そもそも、ウチってお金持ちなんだから働かなくていいでしょ?」
「わたしは自立のために働いているのです」
と、タキは返した。
「ハリシャ、我が家にはあなたのように遊んで暮らしている者も多いですが、そんなことではいずれ痛い目を見ますよ」
ハリシャは耳をふさいで首を振る。
「あー、やだやだお説教。聞きたくなーい」
「母さんももう歳です。いずれ誰もあなたを助けてくれなくなりますよ。それでもいいのですか」
「あたしはお婿さん探すから関係ないよーだ」
そう言って舌を出す。
タキは呆れたような顔をしてなにか言いかけたものの、
「まあ、それもまた選択のひとつです」
結局そう言って、茶をすすった。
やがて湯呑を置き、タキは尋ねた。
「ところで、ジュエン姉さんは最近どうなのですか? 子どもが生まれてから大変だったでしょう」
「……ん? あたし?」
ジュエンは切り分けられた月餅の一欠片を楊枝でつまんで口に運び、幸せそうに顔を綻ばせていたところだった。口の中の物をゆっくりと嚥下すると、ジュエンは円卓に両肘をつき、顔の前で手を組んでからのんびりとした口調で答えた。
「そうねぇ。でも、あたしはもともと子どもの相手に慣れてるし、うちは手伝いの手が多いから、聞いていたほど大変ではなかったわね」
「そっか。それってうちの良いところだよね。あたし、子どものころは家族が多くて嫌だったけど、今は考え変わったな」
と、ハリシャ。
「ふふ、母さん様様よね」
ジュエンが微笑んで同意する。
「ね、あたしが子ども産んだらさ、ジュエン姉も子育て手伝ってよ」
「もちろんよ。あんたにはなんだかんだ助けてもらってるもの」
会話はそこで途切れ、奇しくも、三人が同時に茶をすする瞬間が重なった。
静かな庭園にウグイスのさえずりが響き渡る。
「そういえば、そろそろアガマ祭の季節だけど。あんたたちは誰か誘って行くの?」
ジュエンが新たな話題を提供した。
「わたしは家で本でも読んでゆっくり過ごすつもりです」
とタキが答える。
「あたしはジンくんを誘うわ。もう服も用意したもんね」
ハリシャが得意げに言い、タキに挑発的な視線を送る。
それにつられて、ジュエンの視線もタキへと向かった。
「……なぜわたしを見るのです。勝手にすればいいじゃないですか」
「なあにそれ。本当はジンくんを取られたくないくせに。なんでそうやって自分は興味ありませんって顔してるのよ」
「はて、なんのことやら。色恋しか頭にないあなたのような女とは会話になりませんね」
ハリシャの言葉に、タキは小ばかにしたような態度で応じる。
「こんの……!」
がたんと音を立て、ハリシャが小さく拳を握って椅子から立ち上がった。
それに応じて、タキもやおら腰を上げる。長身のタキが妹を上から威圧的に見下ろした。
「なんですか?」
容姿の異なるふたりの姉妹が円卓を挟んでにらみ合う。
が、にらみ合いは長くは続かなかった。ハリシャが怯んだようにジュエンの陰に身を縮めて隠れてしまったのだ。
姉の背中に隠れたまま、目線すら合わせずにハリシャは、
「タキ姉っていっつもそう。家族の前ですら自分を見せないよね。そういうところ、あたしすっごく嫌い」
タキは姉の背中越し見えるハリシャの茶色い頭に見下すような視線を向けたまま、鼻を鳴らした。
「そうですか。では言わせてもらいますが、わたしもあなたには思うところがあります。自分が助けを求めればいつも誰かが助けてくれると思っているその甘ったれな性格が嫌いです。ついでにいえば、か弱さを武器にしているその計算高さも鼻につきます」
ハリシャは姉の背中からひょっこりと顔をだし、端正な顔を歪めてタキをにらみつけた。
「前から思ってたけど、タキ姉ってあたしのこと見下してるよね」
「はっ、それはあなたもでしょうに」
「あたしは見下してなんかないわ。タキ姉みたいになにが楽しくて生きてるんだかわからないような人間はなりたくないってだけ」
「それが見下しているというのですよ。ちなみにそれはわたしも同意見です。あなたのような男のことしか考えていない女にはなりたくありません」
ふたりがにらみ合う中、間に挟まれたジュエンはのんきに茶菓子を口に運び、朗らかに笑っている。
「あっはっは! 仲がいいわねえ、ふたりとも」
そのとき、剣呑な雰囲気に包まれる茶会にひとりの訪問者が現れた。
丘の上の母屋に続く階段の上から、「あ!」と声を上げる者がいる。
くせ毛の髪を持つ隻腕の男――ジンだった。鍛錬終わりなのだろう、全身汗にまみれ、着ている紺の着物は泥で汚れている。
「ちっ」
タキは嫌そうに顔を歪め、舌打ちをした。
ジンは早足で階段を下り、茶会をしている庭園まで降りてくるとその場の空気などまるで気がつかず自分の師に声をかける。
「来てたなら声をかけてくれよ」
「別に。特にあなたに用もないので」
「用がないって? 僕は君の弟子だろ。なのにずっとほっぽり出されたままだ。まったく、最近ずっとなにをして――ん?」
話をしている途中、後ろから何者かに抱きつかれ、ジンは振り返った。
「うっ、うううっ……」
ハリシャはジンの着物に顔を押しつけ、肩を震わせながら泣いている。
「ど、どうしたんだよ」
状況が飲み込めず、ジンはその場に立ち尽くしおろおろと困惑した。
「……なるほど。そうやってわたしを悪者にする策略ですか。本当にいい性格をしてますね」
底冷えするような冷たい声。タキは妹に抱き着かれたままのジンに視線を向け、ほんの一瞬、眉根を寄せた。そして不機嫌そうに鼻を鳴らし、踵を返す。
「あっ、おい――」
手を伸ばし引き留めようとしたジンだったが、背中に張りついたハリシャがそれを止めた。タキはそのまま庭園を離れ、母屋に続く階段を上っていってしまう。
「ジンくん、タキ姉ったらひどいのよ。あたしのこと嫌いって言うの」
背中に抱きついたまま、ハリシャが涙声で言う。
「それは……ひどいな」
「タキ姉って本心を言わないの。だからあたし、いらついちゃって。でもこっちはちょっと言っただけなのよ? それなのにタキ姉、あたしの何倍も言い返してきて――」
「こらこら、ハリシャ、もういいでしょ」
話を遮るように、ジュエンがハリシャの腕を後ろからがっちり抱え込み、そのままジンから引きはがす。そしてジンに向け、「ほら、早く追いかけな」と促した。
「ああ、はい」
今来たばかりの彼もその場から立ち去っていく。
ほどなくして、階段の上からふたりの声が聞こえてきた。
「君の妹、泣いてたぞ。また言い過ぎたんだろ」
「ただの兄弟喧嘩ですよ。よくあることです。……それより、なぜ追ってきたのです。あの子を慰めてあげればよかったじゃないですか」
「君よりあの子を優先しろって? そんなことしないよ。僕は君が好きなのに」
「…………」
「おい、逃げるなよ」
「それはそうと、この前、母さんに小言を言われましたよ。あなたの手綱をきちんと握っていろと。また迷惑をかけたようですね」
「露骨に話題を変えたな。……迷惑ってほどじゃない。手合わせしてくれって毎日頼んでるだけだよ」
「それが迷惑なのですよ。まったく」
「でも、前の手合わせではいい勝負ができたんだ。あのリウ・イェンにだぞ。次こそはって思うだろ」
「だからといって限度があるでしょう。だいたいあなたは――……」
姉に腕を抱え込まれたまま離れていくふたりの声に耳を傾けていたハリシャは、目元の涙をさっと拭いながら、「ねえ、もう離して」とジュエンに告げた。
ジュエンはやれやれ、と首を振り、妹を解放してやった。
ハリシャは先ほどまで泣いていたのが演技だったかのようにけろりとした表情で元いた席に戻ると、円卓に肘をつき頬杖をつきながら、「あーあ」とつまらなそうにつぶやいた。
「なんでジンくんはあんな女がいいんだろ。『痣持ち』のあたしのほうがタキ姉よりずっと気持ちをわかってあげられるのに。なんで全然なびかないわけ?」
「うーん。あたしはあのふたり、お似合いだと思うな」
「なによ、ジュエン姉。あの女の味方?」
「もちろんよ。あんたはその猫かぶりでたっくさん味方を作ってるんだから」
「むう」
ふくれっ面のハリシャは、苛立ちを紛らわすように茶菓子に手を伸ばした。




