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隻鬼の杖 〜持たざる者は頂を目指す〜  作者: ふじぬま


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第2話:事件

 理術は良い。日ごろ感じる他人との“差”を、杖を持っているときだけは感じないで済む。杖さえあれば、“不利”がなくなる。だから理術は好きだった。

 そもそもジンがカマラダ僧院に入寺した理由も理術を学ぶことができるからだ。

 とはいえ、学僧たちが一日中理術の鍛錬を行っているかというと、まったくそうではない。


 カマラダ僧院の生活は、はっきり言って苦痛の連続だ。一日に行うことといえば、講義、復習、瞑想、読経――その繰り返しが大半で、杖を持ったり体を動かせる時間はほんのわずかだった。

 ジンが一年前に寺にやってきたころはさらにひどく、教典を暗記し空で唱えられるようになるまで机の前にかじりついていなければならなかった。今でこそ、その苦行からは解き放たれたとはいえ、熱心なムリガ教徒というわけでもないジンにとって、ここでの生活は拷問にも等しいものだった。


 しかし、周りの学僧たちはそうでもないらしく、むしろ生き生きとした目で日々を過ごしている者のほうがここでは多数派である。


 僧院にやってくる大半の若者の夢は、教団から守護者の務めを授かることだ。

 守護者とは、僧侶の中でも指折りの実力者にしかなれない名誉ある職務である。彼らは神殿の管理と警備を担い、死後もなお力を宿す『聖骸』を狙う輩からそれを守るために己の命運と生涯を賭し務めにあたる。

 『聖骸』を守るということは、すなわちこの世で最も“神”に近づく行為にほかならない。敬虔な学僧たちはその瞬間を夢見て日々努力し、研鑽を積んでいるというわけだ。


 そんな中、ジンの関心は理術にのみ向けられていた。それゆえに、彼は周囲から不真面目な落ちこぼれとみなされており、『痣持ち』であることもあって、そんな人間と関わろうとする者はこの僧院にはいなかった。皆、自らの研鑽に夢中なのだ。落ちこぼれに構う時間など無駄でしかない。

 そういうわけで、ジンの周りに友人はおらず、今日も孤独に寺での生活を送っているのだった。


 あの手合わせの日から、ナビンは不機嫌そうな顔で日々を過ごしている。ジンは恨みを買ったらしく、会うたびににらまれてはいるが、へし折れた腕が痛むのかナビンは大人しくしている。そんな彼に挑発のひとつでも浴びせてやろうかといたずら心が疼いたが、あとが面倒なので、ぐっと堪えて関わらないことに決めていた。


 そんなある日のこと。

 その日は、五斎日の最後の日だった。

 五斎日というのは、月に五度だけ巡ってくる凶日のことである。悪鬼が人に災いを及ぼすとされるこの日は、ひたすらに身を慎み、戒律を守って静かに過ごす。とりわけ、正午からは食事を断つのがしきたりで午後を回ると寺のそこいらじゅうで腹の虫が鳴り始める。空腹、さらには夏の暑さに朝からの雨。三重苦の一日が終わり、あとは帰って寝るだけ、というところで事件は起きた。


 ナビンが先日の仕返しにやってきたのだ。




 夕刻、雨の中を走り抜けて僧房の前まで戻って来ると違和感を覚えた。

 いつもならここで“美人教師”に関する下世話な話やら、教典の解釈といった真面目な話まで盛んに聞こえてくるはずなのに、どういうわけか妙に静かなのだ。人との会話はこの寺での数少ない娯楽であり、そういった話を盗み聞きすることがジンの密かな楽しみだったというのに。


 首をかしげつつ扉の取っ手に手をかける。扉を開けると、部屋の中ほどに青錆色の袈裟をまとった樽型の体型の男とひょろりと背の高い男が待ち受けていた。

 ジンはそのふたりを知っていた。ナビンと取り巻きのひとり。

 それ以外には誰もいない。普段なら人でごった返しているはずなのに、赤レンガの壁に囲まれた部屋の中はがらんとしていて、人の気配が不自然なくらいになかった。


「俺たちだけだぜ。他は出払ってる」


 他の人はどこにいるのかと周りを見渡していると、その疑問にナビンが答えた。ナビンの左手は包帯で吊り、右手にはカシの木の杖を携えている。


 カマラダ僧院では、未熟者に杖を持たせるべきではないという方針から修行僧が杖を持つことは禁じられている。理術の威力を抑えた稽古用の竹杖ですら授業中以外は持ち出すことは許されていない。ましてや、実戦用の木杖などもってのほかだ。

 ナビンの持っている杖は一人前の術士が持っているような立派な木杖だった。どこからか盗んできたものだろうか。


 おそらく、この部屋に他の人影がないのもナビンがあの杖で脅して従わせたからだろう、とジンは推測した。

 とはいえ、そんなものを持ち出してきていったいなにをするつもりなのか。そう訝しんだ次の瞬間、後頭部に激痛が走った。


「ぐっ⁉」


 目から火が出た。強烈な衝撃に頭がぐわんぐわんと揺れ、前のめりに床に倒れ込む。

 いったいなにが起きたかわからない。不意に後ろから誰かの足が見えて、この場にはもうひとりいたのだと気がついた。隠れていたその人物が自分を後ろから襲ったのだ。


 ジンを殴った男は彼の髪をむんずと掴むと床の上を引きずり回し、ナビンの目の前まで運んでくると、背中に乗って身動きを封じた。

 頭部の痛みに耐えながらジンが目線を上げると、ナビンと目が合った。その目と口は愉悦に歪んでいる。


「よお、クソ野郎。どうしてこんな目に遭ってるか、わかるよな?」

「くっ……」


 ナビンの包帯に包まれた左手が視界に入る。先日の仕返し、ということなのだろう。とんでもない逆恨みだ。


「こうなったのは自業自得だ。てめえみてえなお荷物がこの俺に反抗しやがって。なんの役にも立たないくせに生意気なんだよ」

「ナビン、まさか君がここまで馬鹿だったとはな。こんなことをしてただでは済まないぞ」


 カマラダ僧院は僧侶の養成機関であるだけでなく、乱暴者の更生施設という一面も持ち合わせている。両親や村の大人たちでさえも手がつけられない悪童は寺に送られる――彼らもきっとそのクチでここへ来たのだろう。


 だからこそ、僧院内で喧嘩沙汰のような問題が起きても、社会の受け皿であるカマラダ僧院は根気強く子どもたちと向き合う。指導僧たちは問題を起こした学僧に説法を施し、必要な罰を与え、立ち直らせようと尽力する。

 とはいえ、物事には限度というものがある。ただの喧嘩の場合、禁房行き程度の処罰で済むだろう。だが今回のようにひとりの学僧を複数人で寄ってたかって痛めつけるとなれば話は別だ。むち打ちか、最悪の場合、破門もありうる。あまりに後先考えていない行動と言わざるを得ない。


 ナビンは鼻梁にしわを刻んでジンをにらみつけた。


「うるせえよ。ムカつきすぎて全部どうだっていいんだよ。バレちまったらそんときはそんときだ。俺はやりたいようにやる。指図なんて受けねえ」

「……っ」


 絶句した。ろくな連中じゃないということは知っていたが、ここまで異常な男だとは思いもしなかった。

 子分のふたりも頭が空っぽなのか、ただ黙って親分の指示に従っている。殴られた後頭部がずきずきと痛む。まずいことになった。


 ナビンの子分に床に組み敷かれたまま、ジンは目だけを必死に動かし周りを見渡しながら頭を巡らせた。

 部屋にいるのは自分を除いて三人。ナビンは杖を持っているが、他のふたりは徒手である。ただでさえ多勢に無勢なのに、全員が自分よりも体格が良い。こちらに武器はなく、その上、隻腕という枷もある。人払いはされているから助けも呼べそうもない。


 なにか武器になるような物はないかと探したが、手の届きそうな範囲には見当たらない。床に敷かれた絨毯の上には雑魚寝するときに使う敷布が雑然と散らばっているだけだ。椅子や机は部屋の奥の壁際に見えてはいるが、ここからでは遠すぎる。あれを手にすることができれば武器にはなりそうだが、そのためには三人の包囲網を突破する必要がある。それに仮に手にしたところで、体格の劣る自分が彼らを倒すことはできないだろう。


 戦うことが無理なら逃げることはどうかと考えても、こちらも絶望的だった。背中に乗って押さえつけている男から逃れることがまずできない。万一それができたとしても、残るふたりの相手をしなければならない。


 ジンの顔のすぐ目の前には、ナビンの持っているカシの杖がぶら下がっている。戦うにしても逃げるにしても、この状況を打開できそうな武器といえば、それくらいしかない。

 杖とは“力”の増幅器だ。本来、小石を宙に浮かせるのがやっとの人間の神通力も、杖を通せば何倍にもふくれあがり、神のごとき力さえ振るえるようになる。つまり、あれに触れることさえできれば、この局面を切り開くことができる――。


「おっと、動くんじゃねえよ!」

「くっ……」


 ジンの伸ばした手が背中に乗った男によって押さえられる。跳ね除けようにも、体重をかけられていてびくともしない。


 三人は地面に這いつくばるジンを見下ろして悪趣味な笑みを浮かべている。

 ナビンは、「おい」と手の空いている子分にあごで指示を出した。指示を出された男はジンの左腕に無遠慮に足を乗せた。足の裏についた砂がざらりと肌を撫でる。


「さぁ、腕を折ってやる。お前にやられたようにな」


 ナビンはにこやかに冷徹なことを言った。

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