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隻鬼の杖 〜持たざる者は頂を目指す〜  作者: ふじぬま


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第19話:理由

 早朝。日課の鍛錬のために修練場へ向かう途中、子どもの泣く声が聞こえてきて、ジンは足を止めた。

 声は中庭のほうからする。そちらへ足を向けると、イェンが泣いている幼子をあやしていた。イェンはジンのほうへちらりと顔を向けるも、なにも言わず、幼子の相手をし続けた。


 中庭の入り口にあるアーチの近くには、イェンの様子を静かに見守っている屈強な老人がいた。使用人たちを取りまとめている家令である。使用人の名前まではまだ覚えきれていないジンでも、彼のことだけは知っていた。


「おはようございます、ヤンシンさん」

「おお、おはようございます、ジン殿」


 挨拶を交わしてからその場に佇み、イェンが幼子を抱きながらその背を優しく撫でているのを眺めた。なぜだか、目が奪われてしまったのだ。


 イェンに実子はいない。今抱いている幼子も引き取ったばかりの孤児なのだろう。だがその姿は母親そのもののようだった。

 リウ家の子どもたちの大半は、戦争や事故で親を亡くしたか、生活に困窮した親に捨てられた者たちだという。けれど、彼らはたしかに温かな家庭で育ったのだと目の前の光景を見てジンは思った。

 一部では、リウ家の子どもたちをイェンの「私兵」と見なす者もいるが、それは間違いであると今はわかる。血の繋がりこそないものの、この家に住まう人々の間にはたしかに家族同然の絆が存在する。


 次第に幼子の泣き声は収まり、やがて中庭は静寂に包まれる。

 母屋に続く扉から女が現れ、イェンの元に歩み寄った。


「母さん、落ち着いた?」


 イェンは小声で「よしよし」とつぶやきつつ、抱えた幼子をゆっくりと小さく揺さぶりながら、娘に向けてひとつうなずいた。


「じゃあ、寝かせてくるわね」


 イェンの娘はイェンから幼子を受け取ると、胸に抱きかかえ、扉の向こうへと姿を消した。

 イェンは幼子の消えた扉のほうを向いたまま、つぶやくように言った。


「あの子は朝目覚めると、ああして母の姿を探して泣くのです」


 ジンはイェンの元に歩み寄った。

 挨拶すると、「おはようございます。いい朝ですね」と彼女は返し、白布で覆われた顔をこちらへ向けた。


「イェンさまは、なぜ孤児を引き取ってらっしゃるのですか」


 ジンは質問した。前々から疑問に思っていたことだったが、なんとなく聞きそびれていたことだった。


 イェンは白布の下でこちらをじっと見つめている。少なくとも、ジンにはそう感じた。


「理由は様々ありますが、一番の理由は、私が先の大戦で多くの命を殺めてしまったからです」


 私の人生最大の過ちです、と小声でつけ足す。


「子どもたちの親の中には、私が直接この手で殺めた者もいました。中にはそれを今でも恨んでいる子もいます。私は、生涯をかけてこの罪を償わなければなりません」

「イェンさまの行いは立派だと思います」


 本心からそう言うと、イェンは小さく微笑み、首を振った。


「私のしていることは単なる偽善です。……けれど、誰に恨まれ、罵られようと、私の力で救える命があることは確かです」


 そこで訪れる、一瞬の間。


「てっきり、いつものように手合わせをしてくれと頼みに来たのかと思いました」

「ああ! 忘れてました。今日こそは手合わせしてください」

「……お断りします」


 イェンは半目になって立ち去ろうとする。


「あ、待ってください」


 ジンは呼び止めた。


「では、手合わせと言わず、鍛錬の様子だけでも見てくれませんか」


 イェンはしばし考えてから、「まあ、それなら」と答えた。



       ※



 相対するは、三人の術士。対するこちらはひとりのみ。

 三対一の手合わせだった。


「始め」


 イェンの凛とした声が修練場に響き渡る。


 三人の術士が体内で理力を集め杖へと集約する。ジンはそれが放たれるよりも一瞬早く杖を振りぬいた。

 放つ理力の量は最小に、手加減して放った一撃。それは三人の内真ん中のひとりの杖を打ち抜くことに成功した。弾かれた杖が手から滑り落ちて地面に落ちる。早くもひとりを削った。残りふたり。


 直後、ふたつの光弾がジンへ向けて殺到する。

 ひとつを素早く弾き返し、残るひとつを横へ転がって躱す。たった今ジンの立っていた位置に理術が直撃し穴を穿つ。

 こちらが立ち上がろうとしているところに、向こうは追撃を仕掛けようと理力を集めていた。

 だがそれは、ジンにしてみればあまりにすっとろかった。すでにこちらは次の術を放つ準備ができている。

 相手よりも速く杖を走らせ、右の術士の額に光弾を命中させる。悲鳴を上げて後ろに倒れる。残りひとり。


「――くそっ!」


 焦った相手は中距離での術の撃ち合いでは勝てないと見たのか、防御をしながらこちらへ突っ込んでくる。狙いは接近戦か。

 迎撃の術を乱打するが、すべて難なく防がれ、距離が詰められる。目前に相手が迫った。

 風を切って拳が伸びてくる。首を傾け、すれすれのところで躱す。反撃に杖を突き込む。


「甘いっ!」


 相手が叫んだ。こちらの攻撃は迎撃され、虚空で光の残滓が散る。

 相手はそれで勝ったと思ったのか、にやりと笑い、もう一度拳を振り上げる。

 その瞬間、ジンはお留守になった相手の足を払った。

 ごろんとすっ転んだところに、相手の無防備な喉元へ杖を突きつける。


「ま、まいった……」


 杖を手放し、残るひとりが降参した。


 手合わせを終わると、ジンはすぐにイェンに感想を求めた。


「で、どうでしたか?」

「技能のほうは言うべきことはありません。あとはもう、わずかな改善の積み重ねだけでしょう」


 目が不自由であるイェンだが、彼女は人の体を巡る理力を見分けることで世界の出来事を把握している。先ほどの一戦も、イェンはすべて見通していたようだ。

 イェンの言葉を聞き、思わずジンは身を乗り出した。


「本当ですか⁉」

「しいて言えば、相手が悪い。そこの三人はもう相手になっていませんから、もっとふさわしい相手と手合わせをして、戦いの幅を広げるべきです」

「おいおい、そりゃねえぜ母ちゃん!」

 

 ジンの背後から地べたに座り込んで休む三人の声が上がる。

 その声をまるっきり無視して、イェンは続けた。


「ジン、あなたに足りていないものがあるとしたら、それは(しん)を御する(すべ)だと思います」

「心静術、ですか」

「ええ。雑念が理力を濁らせています。殺気の消し方もまだ甘い」


 ジンはいまだ、心静術というものを十分に理解してはいなかった。

 理力の操り方ならば、試行の末に改善の道を見い出せる。だが、心の在り方となると、鍛錬をいくら重ねても一向に改善の兆しはなかった。

 尋ねると、イェンはこう答えた。


「我が師タモンに、かつて私も同じ質問をしたことがあります。どのように心を御せばよいのかと」

「タモンさまはなんと?」

「『資格ある者ならばいずれ自ずと悟るものだ。急いてはならぬ』、と」


 答えになっていない答えにジンは気のない返事を返した。


「はあ」

「ふふ、私も同じような反応をしたものです」


 イェンは昔を懐かしむように微笑んだ。

 ならば、とジンは質問をした。


「では、イェンさまはどのように体得したのですか」

「若いころの私は日夜鍛錬に励みましたが、師の下にいたころは結局体得には至りませんでした。体得に至ったのはタモンが亡くなり、バジの兵となったころ……戦がはじまり、数多の戦場で人の死を目の当たりにした結果、いつの間にか備わっていたのです」

「戦、ですか」


 コスニアで戦争が起こったのは、ジンが産まれる前のことだ。それ以来、この大陸は平和を保っている。

 つまり、戦に出ない限り自分はこれ以上強くなれないということだろうか。そう考えて黙り込んだジンの心を読んだように、イェンは首を横に振って否定した。


「もちろん、人の“死”そのものが体得の方法なのではありません。これは持論ですが、『親の死』、『子の誕生』、『人の上に立つ立場を得たとき』、そういった否応なしに人を成長させる強烈な“経験”を幾度も経ることこそが、真の心静術を体得するための方法なのだと思います」

「つまり、精神の成熟こそが必要である、と?」


 イェンはうなずいた。


「だからといって、誰しもが体得できるものではないのですが。……とにかく、鍛錬にばかりかまけていても、強くはなれないということです」


 話を終えると、イェンは「子どもたちの世話がありますので、これで」と言い残し、修練場を後にした。


 先ほど手合わせをした三人もまた各々鍛錬のために去っていき、ジンはその場にひとり残される。


「鍛錬だけでは強くはなれない、か……」


 頭では、イェンの言葉がぐるぐると渦巻いていた。


 しばらくその場で考え込んでから、「一休みするか」ぽつりとつぶやく。

 空を仰げば、眩い陽光が視界を染めた。熱は肌にまとわりつき、体を動かしたせいもあってジンの体は汗ばんでいる。


 日陰を求めて辺りを見回し、修練場の一角に建てられた東屋のほうを見ると、ひとりの男と目が合った。

 短髪ひげ面の、全身黒づくめの大男。屋根の下であぐらをかいていたサバルはこちらと目が合うと忌々しげに顔をしかめた。

 ジンはにやりと笑い、そちらへ向かって歩き出した。


「さっきの手合わせ、どうだった?」

「チッ」


 東屋の前に着き、尋ねると、サバルは苛立たしげに舌打ちをした。


「あんたには前、『見込みがない』って言われたな。だけど今じゃ、この家に僕に敵う者はほとんどいない。……見込み違いだったな」

「図に乗るな。俺に比べれば、お前なんぞ今も木っ端よ」


 そう言ったサバルは不愉快そうだ。あのときの仕返しを果たし、少しだけ心がすっとする。ジンは満足して、地面に座り込むサバルの脇を通り抜け、東屋に設けられた縁台に腰かけた。


「あっちへ行け、小僧」

「日陰はここしかないんだ。嫌ならあんたが場所を移せばいいだろ」


 大男の背中に言い返す。


「黙れ、ここはお前の屋敷ではない」

「あんたの屋敷でもない」

「……」


 サバルは黙り込んだ。

 勝った。ちっぽけな優越感に浸りながら、ジンは口角を吊り上げる。


「母となにを話していた?」

「別に。助言を貰っていただけだよ」

「ふっ、随分と恵まれた身の上だな。お前のようなどこの馬の骨ともわからぬ小僧がリウ・イェンから直々に指南を受けられるとは」


 ジンはしばらく黙り込んでから、素直に「そうだな」と同意した。言い方はともかく、事実だった。たしかに自分は恵まれている。


 会話はそこで途切れた。サバルはその場で瞑想を始める。

 ジンは手にした杖をそっと縁台の端へ立てかけ、しばらく身じろぎせず、その場に座っていた。


 沈黙が場を支配する。子どもたちの笑い声と、鍛錬に励む大人たちの怒声のような声が遠くから聞こえてくる。

 ジンはしばらく修練場の光景に目を向けていたが、やがて、斜め前に見えている大男に意識を移した。

 瞑想を続けるサバルの後ろ姿を心の目で視てみると、巨体の内を赤い輝きが巡っているのがわかる。その動きは、これまで見てきたどんな術士よりも俊敏で淀みない。

 この男がどれほどの高みにいるのか、今になってわかる。


 ジンはふと思いつき、尋ねた。


「なあ、あんたはどうしてそう熱心に鍛錬を続けているんだ。この家じゃ、あんたを超える者はいない。きっとリウ・イェンだってあんたには敵わない。これ以上なにを目指しているんだ」


 どこを目指すのか。それは最近のジンの悩みでもあった。ゆえに聞いてみたかったのだ。

 質問すると、サバルは理力の操作を止めたものの、すぐには答えなかった。

 やがて、ジンが無視されたのではと思い始めたころ、サバルはこちらを見ないまま語り始めた。


「俺たちリウの子らにとって、理術とは単なる戦いの道具ではない。母が授けてくれた、この世を生き抜くための力だ。俺はこの恩を決して忘れず、母への恩返しのつもりで鍛錬を続けてきた。……以前までは」


 今は違うのだろうか。ジンはそう思ったが、口を挟まずに言葉を待った。


「かつてイェンはこの国の将として戦い、その功により莫大な報奨金を手にした。孤児を幾百と抱えても揺るがぬほどの財だ。……だがイェンは老いた。もはや先の長くない身だ」


 そこで、声はより暗く、重々しくなった。


「イェン亡きあと、遺された屋敷と財を巡って、数多の悪意がこの家に押し寄せることになるだろう。俺たちイェンの養子には当然ながら血の繋がりはない。世間から見れば、その絆はあまりにも頼りないものに映るだろう。俺はそのときのためにイェンの後継者として力を蓄えねばならん。この屋敷に住まう者たちが穏やかに暮らしていけるように」


 だからこそ、サバルは際限なく力を求める。研鑽を続け、己を高め続ける。


「……そして、この家のために動いているのは俺だけではない。それぞれの道を選び、この家を出ていった弟妹たちもまた、遠い異国の地でそれぞれ力を尽くしている。俺は奴らに負けられん」


 不甲斐ない兄ではいられんからな。と、サバルは揺るぎない信念を感じさせる声で言った。


 家族のため。それがこの男の強さの源か。ジンはふと、兄のことを思い出した。この男の後ろ姿と兄の姿が重なって見えた。長男であり、背負うものがある彼とは似通った部分があるのかもしれない。

 とはいえ兄はこんなにも大柄でも、寡黙であったわけでもないのだが。

 サバルは座ったままくるりと体を回転させ、縁台に腰かけたジンを見上げ、腕を組んだ。


「そういうお前はどうなんだ。なんのために力を求める」


 この男は自分に興味を持ってくれたのかもしれない。先ほどの戦いぶりをみたからなのか、あるいはイェンから指南を受けたからなのか、それはわからないが。

 少し考えてから、自分の考えを口にした。


「僕は……ただ、強くなりたい。これでいいと納得できる“強さ”が欲しい。それがなければ、僕は自分を認めてやれない。許してやれないんだ」


 ジンの心には他者よりも自分は劣っているという意識が根深く根づいている。その呪いを消し去りたい。未熟な、大嫌いな自分を変えたい。それがジンの“理由”だった。


「自分のため、か」


 鼻で笑われ、顔をしかめる。サバルはそんなジンの様子を観察するように眺めていた。

 若干の間ののち、彼は小さく息をつき、独り言のようにつぶやいた。


「自分のことで手一杯なお前が、タキを支えられるとは到底思えん」


 ジンは、なぜいきなりタキの名前が出てきたのだろうと考えた。

 そして、ひとつの疑念が生まれる。サバルはタキを妹だとは思っていないのではないか。

 一年前の、初対面のときを思い返してみる。あのとき、サバルがタキを見る目は、惚れた女を見る男の目だった。

 疑惑が確信に変わる。


「そうか、そういうことか」


 自分が妙に敵視されていたのは、そういう理由だったのだ。この男にとって、自分は恋敵だったのだ。


 考えてみれば、ふたりの間には血の繋がりがない。サバルが妹に好意を持ったとしても、なんらおかしなことはない。

 少女だったころのタキは、サバルに幾度となく勝負を挑み、そして心を折られたという。当時のサバルは何度打ち勝っても立ち上がってくる妹の姿をどんな気分で見ていたのだろう。タキは、どんな気持ちで兄に挑み続けていたのだろう。考えるだけで心がかき乱される。


 俄然、彼には負けられなくなった。男としても、術士としても、自分はこの男を超えねばならない。


 お互いがお互いを鋭くにらみ、目を離さない。

 風が吹きつけ、両者の衣をはためかせる。葉擦れの音と落ち葉が地を転がる音だけが修練場の一角を満たす。

 やがてサバルは視線をそらし、座ったまま体をひねってまたこちらに背を向けた。


「もう俺のそばに寄ってくるな。お前とは仲良くできる気がしない」

「同意見だ」


 同意し、縁台から腰を上げ、屋根の下を出る。

 去り際に、振り返って言った。


「話ができてよかったよ」


 大男は返答代わりにうっとおしげにしっしと手を振り、「さっさと向こうへ行け」と促した。

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