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隻鬼の杖 〜持たざる者は頂を目指す〜  作者: ふじぬま


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第18話:長男

 日が落ちると、ジンはむさくるしい連中とともに大広間に向かい、飯を食らい、酒を酌み交わした。


「それにしても、お前は大したやつだぜ」


 全身真っ黒に日焼けした坊主頭――タキの兄、カシンは赤ら顔でそう言って、隣に座ったジンの肩を叩いた。


「ここに来て、まだ一年くらいだろ? なのにここにいる連中、ほとんどに勝ち越しちまってよ。最近はタキにも負けなくなったんだろ?」

「……まあね」


 少しだけ憂鬱な気分でジンは同意した。


 一年前は皆に見向きもされていなかったジンだったが、その評価は日々行われる兄弟たちとの手合わせを経ていくうちに徐々に変わっていった。

 少しずつ、泥臭く自己の改善を続け、年下の相手にも積極的に質問を重ねていく。そんな姿勢を続けているうちに、兄弟たちは次第にジンを認めていった。

 そしてサバルに次ぐ実力を持つタキを倒したとなると、ジンを見る目は完全に変わった。


 たゆまぬ努力の結果、ついにジンはタキと手合わせをして勝てるようになった。それも、以前までとは違う本気の彼女に、である。手加減なし小細工なしで真っ向からの勝負を挑み、一度や二度だけでなく、幾度となく勝利したのだ。


 以前はあれだけ実力差を感じ、手も足も出なかった相手を追い抜かした。その事実は自分の中で揺るぎない自信となって眩い輝きを放っている。

 だがそれと同時に、彼女との関係もぎこちないものになってしまっていた。このところ彼女が屋敷に顔を出さないのは、おそらくはそれが理由なのだろう。


 屋敷に来て一年。タキに弟子入りをしてから気づけばもう二年が経とうとしている。ときが経つのは早いものだ。寺で坊主をやっていたころのことが遠い昔のことに感じる。

 自分は強くなっている。前よりもずっと。

 けれども、人というのは貪欲なもので、もっともっとと先を求めてしまう。この程度で終わりたくない。そう考える基準が、日々高くなっているのを感じる。

 いったい自分は、いつになったら満足するのだろうか。もしかしたら、この世界で“一番”になるまでこの衝動は止まらないのかもしれない。まったくもって途方もなく、馬鹿らしい話だが。


「調子いいよなぁ、カシン兄。ここに来たときはジンのこと、全然認めてなかったのに」


 カシンの隣に座った兄弟が言い、カシンはばつが悪そうに坊主頭を掻いた。


「悪かったって。でもよ、あのときのおめえはひどかったぜ。玉っころひとつ満足に持ち上げられなくてよ。まさかこんな強くなるだなんて思わねえって」

「たしかに、あれはひどかったな」

「タキの奴はとんでもないのを連れてきたなって、みんな陰で言ってたよな」

 兄弟たちが口々に同意し、ジンは苦笑した。

「おいおい、ひどいな」


 木杯に並々と注がれた葡萄酒をぐいっと飲み干し、カシンは豪快に笑う。


「お前、このままいったら兄貴(サバル)よりも強くなっちまうかもなぁ。はっはっはっは……はは……」


 そのとき、一同の脇を異様なほどの存在感を放つ大男が通りかかり、カシンの笑い声は尻すぼみに途切れた。


 食卓が凍りついたように静まり返る。カシンは青ざめて、ぎぎぎと音を立てるように首を巡らせた。

 件のサバルが冷ややかな目をしてそこに立っていた。


「げえっ、サバル兄っ! ……お、おかえり。久々だな」


 カシンが顔を引きつらせて言うも、サバルはむっつりと黙り込んでいた。

 彼は無表情で食卓を囲む男たちの顔をぐるりと見渡してから、目の前の(カシン)の顔をもう一度じっと見据えた。


「ああ、久しぶりだな。……ところで、今の言葉は本心か?」

「も、もちろん冗談だよ。本気で言ってるわけないだろ?」


 カシンが子犬のようにおびえながら言うも、サバルは鋭い眼差しで弟を見下ろしたまま沈黙を守った。

 やがて重々しく口を開く。


「そうか。お前もそこまで愚かではなかったか」

「そうだよ。はは、本気にするなって……」

「ふっ、悪かったな」


 サバルは形だけ謝ると、カシンの肩をぽんと叩き、ジンに一瞥をくれてから、大広間の奥へと去っていった。


 周囲の食卓は水を打ったように静まり返ったままだ。

 少しして、止まっていた時間が動き出すかのように皆が食事を再開する。


「あー、おっかなかった」


 カシンのぼやき声を耳にしながら、ジンはサバルの姿を目で追った。

 大広間にはいくつもの長机が並び、大人も子どもも、平たい麵麭(パン)や白米を中心にそれぞれ食事を摂っている。その一角、厨房の受け渡し口でサバルは食事の載った盆を受け取ると、空いている席を探して座った。


 その周囲では兄弟たちが仲良く話をしていたが、サバルが来ても一言二言話をしただけで、すぐに自分たちだけで会話を再開していた。サバルは独り寂しく食事を摂っている。


 思い返してみると、彼が誰かと親しげに話している姿をジンはまだ一度も見たことがなかった。

 彼について知っていることといえば、その強さから屋敷の住人たちに畏怖と尊敬の眼差しを向けられていること。それから、寡黙であるということしか知らない。


「ちょっと行ってくる」


 興味が湧いたジンはそう言って椅子から腰を上げた。


「あ? どこにだよ?」


 カシンに聞かれ、答える。


「サバルのところ」

「やめとけ。今虫の居所が悪いみたいだぞ」

「大丈夫だって」


 言って、その場を離れる。酒の注がれた木杯だけ持って通路を進み、サバルのいる机に近づく。大柄なサバルに比べると、巨大な長机も心なしか小さく見える。見れば、ちょうど隣の席が空いていた。


「ここ、座ってもいいか?」


 尋ねると、サバルはこちらをちらりと見てから、なにも言わずまた食事に戻った。無視かよ。


 ジンは構うことなくそこに腰かけ、持ってきた木杯を傾けた。紫色をした液体が胃に流し込まれ、かっと熱が広がる。

 サバルは勝手に隣に座ったジンを怪訝そうに見て、「なんの用だ」と低くうなった。


「いや、特に用があるってわけじゃないんだけどさ。あんたとはまだちゃんと喋ったことがないと思って。ほら、あんたって多忙だろ? 屋敷にも全然帰ってこないし、今日がいい機会だと思ったんだ」


 サバルは食事に集中しながら、そっけなく一言、


「話すことなどない」


 ジンは眉をぴくりと動かしてから、落ち着くように鼻から息をゆっくりと吐き出した。なんとなく、そう言われるだろうなとは思っていた。


「まあまあ。そう言わず、酒でも飲んで語り合おうじゃないか」

「酒は飲まん」

「……あっそう」


 仕方なく、ひとりで酒をぐびりと呷りながら、横目で隣の大男のことを観察する。

 顔はすっかり黒ひげに覆われ髪と混じりあっている。着ているのは上下ともに黒い衣。そこには汚れひとつ見当たらない。食事を摂る所作は行儀の良いもので、匙で丁寧にスープを掬い、音を立てずにそれを啜っている。


 周囲では兄弟たちが会話をしながら食事を摂っている。誰かが面白い冗談でも言ったのか、笑い声があがっているが、サバルは黙々と食事を続けている。

 仲間外れにされている、というわけでもなさそうだ。自分から輪を外れ、一歩引いているように見えた。


「誰とも話さないんだな」

「……話かけるな、小僧。飯が不味くなる」


 こちらを見ないまま、サバルは毒を吐いた。


「そんなに邪険にしなくてもいいだろ。それと、小僧って呼ぶな」


 サバルは鼻を鳴らし、そのまま会話が終わってしまう。

 と、思っていたら、しばらくして、


「馴れ合っているだけが俺たち兄弟の在り方ではない」


 と、先ほどの問いかけの返事が返ってきた。


 ジンはしばしサバルの横顔を眺め、「ふうん、そういうもんか」とつぶやいた。

 自分の場合はどうだっただろう、と亡き兄との関係を思い返す。少なくともジンの場合、彼の言うような、ほどよく距離を取った関係ではなかった。兄との関係は親友のようであり、もうひとりの父のようでもあった。


 一日を終え家に帰ってくると、兄にはその日あったことをすべて報告し、兄がどんな一日を過ごしたかを聞いた。隠し事などほとんどしたことがない。兄の恋人が密かに好きだった、ということくらいだ。

 会話に飢えていた子ども時代だったので、いつも夜が更けるまで他愛ない話に付き合ってもらっていた。当時はそれが唯一の楽しみだった。


 とはいえ、それも子どものころの話である。大人の兄弟同士の付き合い方などジンは知らない。

 それに、そもそもリウ家は孤児の集まりだ。互いの間に血の繋がりはなく、しかも術士として幼いころから競い合っていた仲であると聞く。彼らを普通の兄弟として考えるのもおかしな話だ。


 ジンは納得して、話題を変えた。


「そういえばタキが言ってたんだが、あんた、軍から依頼受けてあちこち飛び回って理術の指導をしてるんだろ」

「そうだが」

「実際、外の術士ってのはどんな感じなんだ。ここのみんなと比べて技量の差はあるのか」

「当たり前だ。リウ家を舐めるな。バジ、スイ、カラジュ、アキツ……どの国の兵を相手にしても俺たちは負けんだろうさ」


 思った以上に饒舌に力強い答えが返ってきたので、ジンはぱちくりと目をしばたたいた。


「大した自信だな」

「自信ではない。事実だ」

「ふうん」


 この家の子どもたちには、リウ・イェンの――リウ家の「誇り」のようなものがある。長男であるからか、サバルはそれが人一番強いようにジンは感じた。


「でも、大変だろう。国中飛び回るなんて生活は」

「大したことではない。おかげで至るところに恩を売り、リウ家の名声が広めることができるのだからな」

「家の名声、ねえ」


 庶民のジンには理解できない感覚だった。


「部外者のお前にはわかるまい」


 その言い方に、ジンはむっとなった。


「僕だってもうここに一年もいるんだぞ。部外者じゃない」


 サバルは嘲るように笑った。


「その程度でこの家の一員になったつもりか?」

「嫌な言い方するな……」


 と、そんな話をしていたとき。

 大広間を走り回り、追いかけっこをしていた子どもたちが、近くの長机を通過した。


「こら、やめなさい!」


 それを見ていた近くの席の女が咎めるが、子どもたちは聞く耳を持たず、机をぐるりと回って走っている。

 そうして、サバルの近くに来たところで、


「あ!」


 子どもは椅子の足につんのめって転び、サバルの巨大な体に顔からぶつかった。

 大男の強靭な筋肉に体をはじき返され、子どもは尻もちをつき、恐る恐るサバルを仰ぎ見る。

 サバルはゆっくりと顔をそちらへ向けると、じろりと子どもを見据えた。


「食事時は大人しくしていろ」


 子どもは呆然とその強面な顔を見上げ、次の瞬間、泣き出した。

 遅れて、子どもの世話をしていたであろう女が慌てて寄ってきて、


「ごめんね、お兄ちゃん」


 そう謝ると、子どもの手を引いてその場を離れていった。


 残されたサバルは机に向き直り、しばらく虚空を見つめてから、食事を再開した。

 ジンには大柄な彼の体が急にしぼんだように見えた。


「ふ」


 思わず笑うと、サバルは横目でジンをにらんできた。慌てて咳払いをして誤魔化す。


「なあ、いつまでこの屋敷にいる予定か聞いてもいいか」

「……明後日の昼に発つつもりだが」

「じゃあ、明日の朝、鍛錬に付き合ってくれないか」


 サバルは露骨に嫌そうな顔をした。


「断る。なぜ俺がそんなことをしなければならんのだ」

「だって、あんたも得るものがあるはずだろ?」

「ない」


 即答だった。


「……そうかよ」


 結局サバルとはその後も打ち解けることができなかった。

 彼は食事を終えると食器を厨房へ返し、大広間を出て行ってしまった。

 

「うー飲みすぎた」


 晩酌を終えた酔っぱらいたちが母屋を出て別々の方向に散らばっていく。リウ家の兄弟たちはふらふらと自分の部屋に帰っていった。


 ジンもまた千鳥足で、母屋の左手にある西棟の二階へと向かった。そこは客間になっている。客間、とはいうものの、この一年ジンはそこに住み着いていて、もうほとんど自分の部屋ということになっていた。

 扉を開け、そのまま寝台に身を投げる。やわらかな枕に顔を押しつけながら目をつむると思い浮かぶのはタキの顔だ。


「今日も会えなかったな」


 つぶやきは、闇の中に溶けて消えた。


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