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隻鬼の杖 〜持たざる者は頂を目指す〜  作者: ふじぬま


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第16話:彼女の過去

 昼食は大広間で摂った。リウ家の人間が大勢集まった中でジンは自分の紹介をさせられ、子どもたちから質問攻めを受けた。どこから来たの、なんでここに来たの、タキとの関係は――。


 昼食を済ませたころには疲れ果てていた。ジンは子どもたちから逃げ出し、母屋の二階から張り出した露台でひとり風に当たりながら黄昏れていた。


 ふと、背後のガラス窓を誰かがこつこつと叩く音がした。振り向いて見てみると、タキだった。


「まだ落ち込んでいるのですか?」


 薄手の窓掛けをくぐるようにして露台に出てきたタキが、後ろから声を投げかけてくる。ジンはすぐに視線を戻し、目の前の寒々しい庭園の眺めに目を向けた。


「別に。いい景色だなと思って見ていただけさ」


 欄干にもたれかかり、前を向いたままぶっきらぼうに返答する。

 タキは苦笑した。


「サバルと対峙した者は皆そうなります。かつてはわたしもそうでしたから」


 思わず振り返り、相手の顔をまじまじと見た。相変わらずの無表情だ。とはいえ最近は彼女の微妙な表情の違いもわかるようになってきた。そのジンに言わせれば、うそを言っているような顔には見えなかった。どうやら本当のことらしい。


「少し、話をしましょうか」


 そう言って、タキは露台の端にぽつんと置いてある机に目を向けた。眼下に広がる庭園の景色を楽しむために設けられたのであろう、丸机と一対の椅子。

 説教を受ける気分ではなかったので逃げ出したい気分に駆られたが、タキの様子を見るにどうもそういった類の話ではなさそうだと感じ取り、誘われるまま椅子に腰を下ろすことにした。


 席についても、タキは口を結んだままだ。

 ジンが彼女と同じ空間で生活をともにしだしてから、もう半年になる。この静寂と余白を好む女が生み出す妙な間にも慣れたものだ。

 階下からは子どもたちが遊ぶ声が聞こえてくる。タキの家はいつも静かだったのでこの家の騒がしさは新鮮だった。


「わたしは、子どものころから天才と持て囃されてきました」


 向かいの椅子に腰掛けたタキの視線は、対面に座るジンではなく、遠くに見える山々に向いていた。彼女はこちらを見ないまま、静かな声で語り出した。


「なにをやるにも、人よりもうまくできました。勉学も、理術も、料理だって。周りは『すごい、すごい』と褒めそやしましたが、その言葉の前にはいつだってある言葉が付随していました。『サバルの次に』と」


 彼女はなおも風景に目を向けたまま続ける。


「サバルは、一番はじめにイェンに引き取られた子どもでした。子どもたちの中では最年長で体格も大きく、理術の腕前も一番でしたから、兄弟たちのまとめ役にサバルがなるのは自然な流れでした。皆に平等に優しかった母も、そんなサバルにはとりわけ厳しかった。それは裏を返せば、『特別の証』でした。……わたしはずっと、それが欲しかったのです」


 だから努力をしてきたのだと彼女は言った。修練を積み、こつこつと知識を蓄え、兄を超えるため幾度となく戦いを挑んだのだと。


「しかしいくら努力をしても、わたしの力はサバルには届きませんでした。ある日わたしはふと気づきました。わたしには、天賦の才などというものはなかった。ただ、人より要領がよかっただけなのだと」


 彼女は視線を前へ戻し、怪訝そうにジンを見つめた。


「なんです? 意外そうな顔をして」

「いや、誤解していたな、と思って。君はなにもかもうまくいっている人だと思っていたよ」


 ジンが思ったことを率直に言うと、タキはふっと微笑んだ。けれどその微笑みは長くは続かず、すぐに彼女の表情から消えてしまった。


「わたしも、あなたと同じですよ。本当に欲しいものが手に入らず、苦心する側の人間です」


 彼女はうつむきがちになり、机の上を見つめながらぽつりぽつりとまた言葉を紡いだ。


「幼いころから、サバルだけは特別でした。兄弟たちはサバルにだけは負けて当然という共通の認識を持ってました。……わたしはそれが嫌で嫌でたまらなかった。なんとかその意識を打ち破ろうともがいて、もがいて……けれど駄目でした。わたしはサバルの持っている“なにか”を持っていなかった」


 サバルはいかなるときも現状に甘んじず、誰よりも真摯に理術と向き合い続ける。だからこそ、彼は見るものすべての心を、無自覚のうちに、完膚なきまでにへし折ってしまう。タキもまた、他の兄弟たちと同じように、サバルという絶対的な存在に屈してしまったのだ。


「柄にもなく、自分語りをしてしまいましたね」


 タキはふと我に返ったように顔を上げ、どこか恥ずかしそうに口元をほころばせた。

 そして、ごほん、と仕切り直すように咳払いをひとつ。


「どんな物事においても、ある一定まで技量を高めた者は必ず壁にぶつかるものです。容量が良い者も、悪い者も、平等にその壁は立ちふさがる。思うに、その壁を超えられるものこそが真に“才ある者”なのです。サバルはそれを超えた側、わたしは超えられなかった側です。そしてあなたは、まだその領域にも達していない。“持つ者”か“持たざる者”か、それは壁の前に立つまで誰にもわからない」


 自分に見切りをつけるのはまだ早い、とタキは言っていた。


「あなたは物覚えが悪く不器用ですが、物事に命をかけられる人間です。それほどの“覚悟”というのは、誰しもが持ち得ない稀有な“素質”です。あなたにはそれがある。わたしはこの前の一件があるまであなたを見誤っていました」

「タキ……」

「いいですか。サバルはああ言いましたが、すべて忘れなさい。人の価値は、たった一度手合わせしたくらいで見極められるものではありません。他人の言葉に惑わされるのはやめなさい。本当の意味で信じて良いものなど、自分の中にしかないのですから」


 熱っぽい言葉だった。普段言葉に感情を乗せないタキにしては珍しいことに。

 口をぽかんと開けて彼女の顔を見つめていたジンはハッと我に返った。


「もしかして、君は僕を励ましてるのか? 妙だな。なにを企んでる?」

「……いったいわたしをなんだと思っているのですか」


 タキは半目になり、じとっとこちらをにらんだ。

 以前、影でアリンとつけていたあだ名が脳裏をよぎる。冷血、真顔百面相、愛想通夜、歩く彫像、ご高説女、永久見下し顔……。


「なにか失礼なことを考えていますね」

「は? そんなわけないだろ」

「本当ですか?」

「もちろん」


 しかし、タキはなおも疑うような目でこちらを見ていた。心でも読めるのか、この女は。


「……」


 打って変わって和らいだ空気を断ち切るように、ジンは表情を引き締めた。

 タキが、彼女なりに励ましてくれている。それはきっと、ジンの気持ちがわかるから。サバルという圧倒的な才の前に膝をついたもの同士だから。

 その励ましは、ジンの心の深い部分にまっすぐに届いていた。


 今までジンは、自分のことを不運だと思っていた。けれどそれは単なる帳尻合わせにすぎなかったのだと今は思う。過去の不幸は、すべてこの幸福を引き寄せるためにあったのだ。


「僕は恵まれているな」


 言ったあとで、こんな言葉、今までの自分だったら思いもしなかっただろうなと考えて苦笑した。


「本当ですよ。あなたはもっとわたしに感謝すべきです」


 タキは口をとがらせてそう言ったあと、まっすぐにジンを見据えた。


「サバルに会わせたのは、今の自分の立ち位置を自覚してほしかったからです。現実を知り、それでもなお、あなたなら前に進む。そう信じます」


 ジンはしばし丸机の上に視線を落とし、押し黙った。

 やがて顔を上げ、欄干の向こうに広がる庭園へと目を向けると、その光景はさっき見たときとはまるで違う印象を覚えた。寒々しく感じられた庭園が、今はどこか温かく見える。

 午後の日差しが雲間から差し込み、枝先にかすかに光を乗せている。風は変わらず冷たかったが、それでも刺すような痛みはもうなかった。

 ……いや、もしかしたら変わったのは庭園ではなく、自分のほうかもしれない。


 向かいに座るタキを見やる。染みひとつない、卵の白身のような肌が美しい。寒さのせいか、小さな鼻はほんのりと赤く染まっている。彼女はゆるやかに吹く風に切れ長の目を細めながら、乱れる髪を耳にかけて景色を眺めている。風に揺れる金の耳輪が日差しを受けきらきらと輝いていた。


 タキは公平な人間だ。偏見も同情も遠慮もない。甘えひとつ許さずに自分と向き合ってくれた人間なんて、彼女以外にはいなかった。

 ジンは今になって自覚した。自分でも気づかぬままに、この風変わりな女に惹かれていたということに。


「タキ」

「はい?」


 呼びかけると、タキはゆっくりとこちらを向いた。ジンはとび色の瞳をまっすぐに見つめ、真剣な表情で言う。


「いつか僕が君を超える術士になれたなら、そのときはご褒美をくれないか」

「褒美、ですか。いいですよ。まあ、何年かかるかわかりませんが。なにが欲しいのですか?」


 問われ、ひとつ間を置いてから、一切の冗談を交えずに答える。


「君が欲しい」


 タキはまるで時が止まったかのにぴたりと動きを止めた。瞬きすらもせず、瞳はこちらを一点に見つめている。

 無言の時間が続き、やがて、ぱちりとまぶたが開閉されたと思うと、美しく整えられた眉が見る見るうちに中央に寄っていく。彼女はジンをきつくにらんだ。


「そうやって冗談を言ってわたしの反応を楽しむの、悪趣味ですよ」


 気分を損ねたようにそう言うと、椅子を引いて立ち上がり、そのまま早足で屋敷の中に入っていってしまった。


 その場にひとり残されたジンは頭を掻いた。


「今のは本気で口説いたんだけどな」


 開け放たれた窓から吹き込む風に、白い窓掛けがゆらゆらと揺れていた。




 母屋一階の通路。露台を出て階段を降り、廊下を早足で歩くタキは、道すがらふたりの妹とすれ違った。騒々しくおしゃべりをしていた彼女たちの脇を通り過ぎようとしたとき、不意に声をかけられる。


「ん? あれ、タキ姉、その顔どうしたの?」

「わ、ほんとだ。真っ赤じゃん。風邪でも引いた?」


 タキは無言のまま、じろりと妹たちをにらみつける。


「わっ、なに?」


 戸惑う妹たちを置き去りにして、タキはぶつくさとつぶやきながら歩き去っていく。


「……くだらない。ああ、くだらない。あんな小僧の戯言に、なにをわたしは動揺して……」


 残されたふたりは困惑して顔を見合わせた。 



       ※



 昼下がり、屋敷の裏手にある修練場には、イェンの子どもたちに混ざって鍛錬を行うジンの男の姿があった。

 彼の周囲では十四、五歳の少年たちが等間隔で横並びになり、杖を手に、各々の目の前で子どもの頭ほどの大きさの鉄球を浮遊させている。


 ジンも彼らに習い手を使わずに理力によって鉄球を持ち上げているが、どうやら苦戦しているらしく、茶色がかった太めの眉を寄せ鉄球をにらんでいる。周囲の少年たちが繰る鉄球は宙でぴたりと静止しているのに対し、ジンの操るそれは明らかに小刻みに震えており、たまにぐらぐらと揺れては焦ったように制御し直す、ということを先ほどから繰り返していた。

 しまいには鉄球を地面に取り落としてしまう。どすっという鈍い音が静謐な修練場に響き渡り、周囲の視線が一斉に集まった。


「へったくそだなあ」


 その様子を見ていた隣の少年がぼそりとつぶやく。その後、集団の後方で少年たちの指導を務めていた坊主頭の男が、先ほどの物音を聞いてジンの元へやってきた。


「おいおい、大丈夫か? 足の上にでも落としたら養生所行きだからな。気をつけろよ」

「……悪い」

「いや、無事なら良いんだがよ」


 坊主頭の男はジンを胡乱げに見やった。


「それにしても、あんた、ジンって言ったっけか? あのタキの弟子って割には全然大したことねえな。あの天才サマも、人に物を教えるのだけはヘタなんかねえ」


 そうつぶやいて立ち去っていく。ジンは男の後ろ姿をしばし眺めてから、困ったように頭を掻き、また難しい顔をしながら鍛錬を再開した。


 そんな彼の前方。修練場の中央から少し離れた位置に建てられた東屋からジンの様子を眺めている者たちがいた。

 ひとりは、白い長袍を着た老婆。もうひとりは、長い髪を肩で流した道着姿の若い女。


「苦労しているようですね、彼は」


 縁台に腰を下ろした老婆――イェンは盲目にもかかわらず、事態を精確に把握していたような口ぶりでそう言った。

 その隣に腰掛けた若い女――タキは、「そのようですね」と淡々とした口調で同意する。


「昨日までは大人たちの鍛錬に混ざっていたのですが、まるで相手にならず追い出され、今日からは子どもたちの鍛錬に混ざることになったそうです。……しかし、どうやらここでも落ちこぼれのようですね」

「あら、そうですか……。心配ですね」


 そう言った母の憂いを帯びた横顔を一瞥し、タキはふっと笑った。


「心配? しませんよ、そんなこと」

「え?」

「あれはそんなことでへこたれるようなタマではありません。追い詰められ、苦境に立てば立つほど、あれにとっては良い薬になるでしょう。たしかに今は通用しないでしょうが、時間が経つにつれ皆も認めることになるはずです。あの男の実力……いえ、“執念”を」


 タキの言葉を聞き、イェンは目元を覆った白布の下で意外そうな顔をした。


「ずいぶんと彼を信じているのですね」

「まあ、それなりに長いこと見てきているので」

「……そうですか」


 タキは縁台から立ち上がり、両手を組んで手のひらをひっくり返し、ひとつ伸びをした。長い手足をぐっと上に伸ばし、気持ちよさそうにふっと息を吐く。


「さて、あの男の尻でも叩きにいってやりますか」


 そうして、一歩前に足を踏み出したところで、


「タキ」


 母が静かに呼び止め、娘は振り返った。


「なんですか?」


 イェンは心なしか楽しそうな様子の娘に顔を向け、意味ありげに黙り込んでから、


「いえ、なんでもありません」


 タキは不思議そうな顔をしながらその場から離れていった。

 東屋にはイェンひとりだけになる。

 しばらくして、彼女はため息をついた。


「娘の幸せを考えるのなら言ってあげるべきなんでしょうが、あの様子では聞く耳持たないでしょうね。……ああいう男には苦労しますよ、タキ」


 修練場の中央、兄弟たちの面前で隻腕の男を叱責をしている自らの娘を見やりながら、呆れたようにつぶやいた。

 視線の先では子どもたちが鍛錬を続けている。彼女は物憂げな表情でそれを見守るのだった。

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