第13話:証明
「来なさい」
開始の合図が静かに告げられる。
ジンは理力を練り上げ、その中から「剛」の理力のみを選んで指先へ向かわせる。理力は杖を介して増幅され、杖先に溜め込まれていく。
杖を持つ手が熱を帯びる。杖先の重みを感じながら、ジンは滑らかに杖を振るった。手首をひねるように杖を前へと傾けて理力を送り出す。
虚空から現れた灰色の光がまっすぐに相対するタキへと向かう。威力と速度に優れた「剛」の理力による一撃。しかしジンは、その攻撃が通用しないことを知っていた。
想定どおり、相手は舞うように杖を振ってそれを軽々と中空で撃ち落とした。灰色の光と青色の光が激突し霧散する。術による術の相殺。タキの得意とする理術の防衛技術。
とはいえ、問題はない。攻撃がいなされることはこちらも折り込み済みだった。攻撃を放った次の瞬間にはすでにジンは次の一手を打っていた。
修練場の乾燥した砂。それを理力で巻き上げて砂煙を作り、追撃として向かわせていた。砂煙は相手の体を瞬く間に飲み込んで相手の視界を奪う。
黄色みがかった煙の向こうでタキが固く目をつむったままつぶやく。
「こんな小細工で……」
タキの言うとおり、これは小細工だ。かつて彼女はこう言っていた。術士に目は必要ないと。こんなものは理力を心眼で捉えることのできる術士にはまったく無意味な行動だ。
しかしここで心で視えず肉眼でしか視えない攻撃を仕掛けるのならば、意味が生まれる。目眩ましとして機能する。
ジンの足元。そこに無造作に置かれた包みの中に、杖から放った「柔」の理力を潜り込ませると、縄を掴ませて投げ飛ばした。宙を舞った縄は大きく弧を描いてタキの背後に落下し、獲物を狙う蛇のように後ろから彼女の杖に絡みついた。
目を閉じたままのタキが、面食らったように背後に注意を向ける。杖を後ろから引っ張られるような形になり、彼女の上体が後方に逸れる。意識が背後に向けられたところで、追撃を行う。
包みの中に入れておいた数々の刃物――出刃包丁、短刀、小刀。家中から勝手にかき集めたそれらの五本の凶器を理力に乗せて投げ飛ばす。真正面から矢のようにかっ飛んでいく凶器の群れ。直撃すれば大惨事という結果になるだろうが、殺す気でかからなければタキには敵わない。
手加減しなかったのは結果的に正解だった。縄に引っ張られている杖の柄を、相手は両手でがっしと掴むと、地面を蹴って両足を地面から離した。ふわりと彼女の体が宙に浮いた。かと思うと、そのまま落下を開始し、その勢いと体全身を使って杖を前へと引っ張った。自身の体重を利用し縄との力比べを制したのだ。ジンの操る縄はぽーんと空に舞い上がる。
晴れて自由の身になった相手は、高速で飛来する刃物に向かってすんでのところで理力を解き放った。青い光に包まれて刃物が停止し、相手の目前で宙に浮いていた。理力が刃物を受け止めたのだ。次の瞬間、その刃物はくるりと向きを変え、今度はジンに向けて狙いを定めた。主導権を奪われた。
(まずいっ!)
焦ったジンは思いきり真横に飛び退いた。ジンがやったのとまったく同じように刃物が宙を飛び、その内のひとつがさっきまでジンが立っていた地面に突き刺さる。残る四本は後ろに流れていく。目で追うと、それは途中で急停止しまだジンのことを狙っていた。攻守が逆転した。ジンは飛び交う刃物を転がって躱し、その隙にそれを撃ち落としながら、同時に意識は相対する術者のほうに向けた。
タキの追撃が来る。予想は的中し、足下を蛇行するように進む念力が真下から迫ってきていた。変幻自在の「柔」の理力を織り交ぜた攻撃。飛んで躱しても、しゃがんで避けても、どれだけ走り回ってもしつこく追いかけてくるその術と刃物とをようやくすべて撃ち落としたときには、ジンはすっかり疲れ切り、肩で息をしていた。
「はぁ……はぁ……」
荒く息を吐きながらにらみ合う。攻撃の手が一区切りつき、その場にわずかな間が生まれる。
ジンは相手を注視しながら考えを巡らせた。用意した作戦は通用はしたが、届き得なかった。やはり一筋縄ではいかない相手だ。
タキは身体の内で青い光を瞬かせて、静かに次の術の準備を始めている。こちらと違い、呼吸を乱した様子はない。苛立つくらいに冷静にこちらを観察している。
攻撃か防御か。どちらを選ぶかジンは逡巡した。
攻撃だ。以前タキは言っていた。先に打て、と。先手を取る者が術戦を制すのだと。実力で劣る自分が後手に回るべきではない。実力差を覆すには攻め続けるしかない。
息を整え終える前に、ジンは早々に杖を振るった。戦いが始まると同時に放った一撃目と同じ、わずかに手首をひねるようにして杖を前へと傾ける。この攻撃には牽制という意図を持たせる。
その術が相手に届く前に、さらにもう一度杖を振る。放ったのは背後を狙った「柔」の理力による攻撃。正面からは、先ほどの「牽制」が迫る形となり、前後の挟撃となる。例によってタキは杖の二振りでどちらも相殺するという完璧な対処を見せたが、彼女に攻撃に転じる隙を与えなければなんの問題もない。ジンは前後左右、そして真上と真下も使いながらあらゆる方向を狙った攻撃を仕掛け、対処を迫る。
タキは意識だけを上下と前後左右に向け、不気味に目だけはまっすぐ前に向けている。防御を固め、攻撃の隙を虎視眈々と狙っている。彼女のお決まりのやり口だ。
ジンはあえて、ほんのわずかに攻撃の手を緩めた。すると狙いどおり、その隙を見計らってタキがこちらに踏み込んでくる。瞬間、待ってましたとばかりにジンは踏み込みに合わせた一撃を放った。
タキの前方、一歩先の地面に「落ちる」攻撃が向かう。防御も回避も困難なはずだったその一撃を、踏み込んだその勢いで前方に身を投げ出し、宙返りをしてタキは回避した。
「――っ」
驚愕するジンの前方で、タキはふわりと音もなく着地し、生じた隙を狙って杖を一閃させた。
タキは防御も一流だが、攻撃においても一流だ。半人前のジンでは一流の攻撃に対する対処することなどできないし、タキのように前後左右に迫ってくる術を防御するなんて芸当はまだできない。
ゆえにジンはこの一戦のため、ひとつ決めていたことがある。それは、攻撃をいくつかに絞って“視る”ことだ。すべての攻撃に対処することが無理でも、ひとつかふたつであればジンにもできる。
完全無欠のタキであっても人間だ。クセや傾向のようなものはある。日ごろの観察により、ジンはそれをすでに掴んでいた。
最初の一撃目は背後を狙って来ることが多い。それがタキのクセの内のひとつだ。
攻撃がやってくる。迂回するように動いてくる理力を、ジンは前を向いたまま杖を真後ろに向け、背後に迫ったところで撃ち落とす。
二撃目は真正面、足元を狙う。
面白いくらいに読みがあたった。迫りくる不可視の一撃を飛び退いて躱す。
次は山なりに術を撃ってくる。あるいは右から腹を狙う。そのどちらか。
結果は後者だった。腹を狙った曲線を描く攻撃を姿勢を低くして躱す。
相手の杖先が傾く――次が来る。が、ジンはタキの理力の流れを心の目で捉えていた。青い光は杖の中ほどで停滞し、術にならずに留まっている。
術を放つ“フリ”だ。もう以前のようには引っかからない。
落ち着いて見極めてから攻勢に転じる。一振り目を牽制に使ってから、二振り目で工夫を凝らした一撃を見舞う。右に左に自在に曲がる理力を放ち、相手の側頭部を狙った。
しかし相手はまったく惑わされることなく、冷静に一撃目を防御し、二撃目を頭を下げて回避すると、再度前進を開始した。
攻守が入り乱れる。相手は守りながら攻めてくる。ジンは半歩下がって、足止めの攻撃を連続して放った。
一発。あっさりと跳ね除けられる。
二発。姿勢を低くして潜るように避けられる。足は止まらない。
三発。放った瞬間、即座に杖を振るって相殺された。
目前にまでタキが迫ってくる。身体的に欠点のあるジンでは接近戦では勝ち目がない。これ以上距離を詰められれば敗北は必至。追い詰められた。
「……ふぅ……」
この土壇場で、ジンはゆっくりと息を吐いた。
観念した、というわけではない。ジンの心には少しの動揺も焦りもなかった。あくまで冷静に現状を把握し、そして最後の一手を打った。
振りは軽く、手首をひねるように、杖を前へと傾ける。それはこの一戦で幾度となく見せた、印象づけさせるための杖の振り方だった。
一撃目に牽制をし、次の行動を本命にする――それがいままでの“お約束”だった。
それこそが布石である。“本命”であるこの一振りを、“牽制”と思わせるための布石だった。
ジンは全身からありったけの理力をかき集めて杖に込め、術を放った。あまりにたくさんの理力を込めたので、杖は術を放った瞬間にひび割れ、次の瞬間、へし折れてしまった。だが、これはジンが意図したとおりの結果だった。放った術の反動でジンは倒れそうになるが、両足に力を込めてその場に踏みとどまる。
牽制が来ると思ったであろうタキは、至近距離でジンの術を防御しようとし――失敗した。直撃は免れたが、ジンの捨身の一撃に大きくのけぞった。
この瞬間を、この好機こそを待ちわびていた。ジンはかっと目を見開いた。
半ばからぽっきりとへし折れた杖を放り捨て、固く拳を握って一歩前へ踏み込んだ。
上体を後ろにそらしたタキの無防備な顔面に向けて、左の拳を叩き込む。手応えありだ。がつっと鈍い音がしてタキが後ろに倒れる。すかさず相手の杖を踏みつけて、拳を構えて静止する。
「…………」
無言のままにらみ合う。
ジンは見下ろす形で、一方のタキは見上げる形で視線がぶつかり合う。
永遠に思えるほどの長い静寂が続く。
流れた一筋の汗がジンの頬を伝ってぽたりと地面に落ちる。
その瞬間、止まっていた時が流れ出した。
「僕はやれるぞ、タキ」
そう言って笑ってから、身体の力が抜け後ろにどさっと倒れ込んだ。服が砂まみれになるが今は構わなかった。息をするのも苦しいような緊張感から解き放たれ、今はただやり遂げたという実感を享受していた。
勝った。その実感がじわじわとやってくる。
あのタキと渡り合えた。小細工も、奇襲も使って、持てるすべてを出し切った。自分を褒めてやりたい気分になるなんて、いつぶりだろうか。
「……あまりに無謀な、お粗末な策です」
気がつけば、立ち上がっていたタキがぽつりとつぶやいた。
殴られた拍子に口の中を切ったのだろう、彼女はぺっと地面に血を吐きだして袖で口元を拭った。彼女にしては珍しい、行儀の悪い行動だった。
「こんな勝ち方では次はないでしょう。たしかに以前までとは違い、先ほどのあなたの一手一手には意志が宿っていました。それでも、今のは勝つべくして勝ったわけではありません。単に運が良かっただけです」
むっとしてジンは身を起こした。この結果を認めないつもりらしい。抗議しようと口を開きかけたところで、タキはこう続けた。
「ですが、わたしはこの一本すらもあなたは取れないと思っていました」
これは、どう反応すれば良いのだろう。迷うジンの様子を見て、タキは薄く微笑み、後ろで手を組みながら一歩二歩と庭を歩いた。
虚空を見つめながら、彼女は少し暗い声色で内省するように語り出す。
「わたしは、あなたのことを一度見捨てました。他人を簡単に見限り、期待しない――これはわたしの悪癖です。今までも、わたしは会う人間会う人間に、『要領が悪く、不出来である』と内心見下してきました。怠惰で、不勉強であると。……ですが、あなたは私の予想を上回った。かつて、わたしが上から目線で切り捨ててきた者たちの中にも、もしかするとあなたのような者がいたのかもしれません」
そこで口を閉ざし、うつむく。ジンがなにを言おうか迷っていると、タキはふと顔を上げた。
「人になにかを教えるというのはおもしろいものです。教えているはずが、もっと大きなことを気づかされる」
心なしか晴れやかな顔でタキは視線をジンへ向けた。そしてぺこりと小さく頭を下げる。
「ジン、わたしが未熟でした」
地べたに腰を下ろしたまま、ジンは無言のまま視線を外し、ふと気がついて空を仰いだ。
久々に見た空はどこまでも青く澄み切っていた。このところ余裕がなかったからか、そんなことすら忘れていた。
そこで、ぐうと自分の顔の下で音が鳴る。そういえば朝食もまだだった。
「朝食にしようか」
ジンは苦笑し、師に呼びかけた。




