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隻鬼の杖 〜持たざる者は頂を目指す〜  作者: ふじぬま


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第10話:見限り

 月日は流れ、タキの家に居候を始めてから早くも半年が経過した。季節は冬となり、毎朝起きて寒々しい修練場に向かうのが億劫になってきた。

 最近、ジンには悩みがあった。稽古に身が入らないのだ。


 このところ、なにもかもうまくいっていない。術の腕前は一向に上達する気配がなく、停滞気味だ。この現状にはタキも大いに苛立っていて、最近は彼女との仲も険悪になりつつある。アリンもそんなふたりの間に挟まれているのが気まずいのか、近ごろはあまり家に寄りつかなくなっていた。


 ――力の運びが甘い。何度言ったらわかるのですか。

 ――もっと頭を使いなさい。だからいつまでたっても防御が上達しないのです。

 ――いつになったらわたしから一本を取れるのです。わたしの弟たちですら、一本くらいはとってきますよ。


 冷たい視線を向けながら、タキは淡々と言葉を放り投げてくる。それらは的を得た指摘ではあるのだろうが、ひとかけらの思いやりもないそれらの言葉を聞いているうちにジンも段々とむかっ腹が立ってきて、「わかってるよ」とか「うるさいな」などと声を荒げて返してしまう。


 ひとつのことに集中すれば他のすべてが疎かになり、そのたびに指摘が飛ぶ。それでも今はひとつずつ根気強く改善を続けるしかないとジンも頭では理解しているのだが、つい完璧を追い求めてしまう。

 鍛錬、鍛錬、鍛錬の日々だった。ここにいると、まるで山に登るときに感じるような空気の薄さを感じる。


 今までは、自分の中の劣等感が誰にも負けたくないという闘争心を生み、それが向上心につながっていた。だが今はその劣等感が膨れ上がり、押しつぶされそうだ。

 ジンの中で、理術というのは唯一人に勝てる武器だった。だがその取柄だったものがこの家に来てからというもの、なにひとつ通用していない。現実を知るということはかくも苦しいことなのか。自分はもっとうまくやれる――そう思うが、頭の中の自分と現実の自分との差で気分が沈む。


 夜、ひとりになると、なにもかも投げ出したくなる衝動に駆られる。もう何度も、故郷に向かう馬車に乗ることを想像している。あれだけ嫌いだった故郷が、今や恋しいとすら思う。


 そんな憂鬱な日々を送っていたある日、決定的な出来事が起きた。

 その日も日課の鍛錬を行ったのち、師との手合わせを行った。


 ジンが攻め、タキが守る。これはもうお決まりの構図になっていた。

 鍛錬の成果で理力を打ち出す勢いは格段に増している。「剛」の理力を用いて、より破壊力のある術を扱うこともできるようにもなった。

 にもかかわらず、タキはこちらの攻撃を易々と防いでくる。自分なりに工夫を凝らし、意表を突く手を繰り出しても、タキの鉄壁の前にはまるで無意味だった。

 タキは攻撃をかいくぐり、前へと踏み込みながら杖を優雅に操って理力を相殺した。そしてついにジンの目前まで迫ると、その無防備な腹へ思い切り横蹴りを叩き込んできた。


「うっ!」


 背中から勢いよく倒れ込み、痛みに息を奪われる。

 これで今日、三度目の敗北だ。

 乱れた髪を耳にかけ、道着の襟を正したタキは、地面に無様に転がるジンを見下ろし冷ややかに問いかける。


「同じことの繰り返しですね。やる気はありますか?」

「……」

「早く立ちなさい」

「クソッ……」


 地面をにらみつけ、悪態をつく。

 ジンがよろりと立ち上がろうとした刹那、横から伸びてきた長い足に足を払われる。どてん、と音を立てて再び地面に転がった。小さく砂埃が舞い、着物が砂で白く汚れる。


「甘い。いつ何時も警戒を怠るなといつも言っているでしょう」


 淡々と告げ、タキは踵を返す。

 頬に張りついた砂を拭いもしないまま、ジンはその背中に視線を突き刺しながら低く問いかけた。


「なあ、僕を追い詰めて楽しいか?」


 タキはジンに背中を向けたままぴたりと動きを止め、束ねた髪を翻しゆっくりと振り返り、地面の上のジンを見下ろした。少しして、こくりとうなずく。


「ええ、それはもう」


 無意識に、ジンの鼻の端がぴくりと動いた。

 向かってくる鋭い視線を認めると、タキは鼻で笑った。


「ほら、またこのような挑発に引っかかる。あなたは感情的になりすぎるきらいがあります。理力にもそれが現れていますよ」


 そして杖を手にしたまま腕を背中に回し、尊大に言う。


「それから、わたしには敬意を払いなさい。これもいつも言っていることですよ」


 しばらくの間、にらみ合いが続いた。その沈黙を断ち切るようにジンは鼻を鳴らした。


「わかったよ、タキ(・・)


 これには向こうもかちんときたのか、眉間にしわを寄せてとげのある声で説教を垂れてくる。


「ジン、わたしに教えを乞うたのはあなたですよ。人の時間を奪っているのですから真面目にやりなさい」

「悪かったな、才能がなくて。これでも真面目にやってるつもりだよ」


 杖を一度地面に置いて立ち上がり、着物についた砂を軽く叩いて払う。そして杖を拾い上げ、また定位置に戻ろうとしたところで、「待ちなさい」と呼び止められた。

 また小言を言われるのかとうんざりしながら振り向くと、さっきとは打って変わって静かな声でタキは言った。


「今日はもうやめにしましょう」

「……なんでだよ」

「今のあなたは冷静さを欠いています。しばらくは休息を――」

「ちっ」


 言葉を遮ってジンは大きく舌打ちをした。これまで散々指摘をされているにもかかわらず、苛立ちが抑えきれない。

 そんな態度を見て、タキは眉間のしわを深くする。


「ジン、あなたに足りないのは術士の才などではなく、理性です。なにをそんなに焦っているのですか」

「僕は冷静だよ。そうじゃないってことにしたいのは君だろ?」


 タキの言葉はまったくの図星だった。そんなこと自分でもわかっている。わかっているのに、認めたくなくて反発した。


「いいえ、今のあなたは明らかにおかしい。あなたには自分を見つめなおす時間が必要です」

「だから、そんなのいらないって言ってるだろ!」


 声を荒らげた瞬間、タキは黙った。無表情のまま、じっとこちらを見つめている。ジンにはその顔が、なにもかもどうでもよくなったように見えた。


「……もう、諦めてはどうですか」


 ぼそりとタキはつぶやいた。言ったあとで、自分で言ったことに動揺するような表情をした。つい言ってしまった、という風な顔。

 それが本音だったのだ。タキは小さくかぶりを振り、言ってしまったからには、というように続けた。


「あなたの努力は認めます。ここまで良くついてきているとは思います。……けれど、この先が見えない。このままでは、あなたがわたしの望む“基準”に到達することはないでしょう。あなたには酷に聞こえるかもしれませんが、この道を諦めるのもひとつの手だと思います」

「……諦めて、それでどうしろっていうんだよ。田舎にでも帰れって?」

「あるいは、わたしの実家の仕事を紹介することもできます。屋敷の管理には人手がいくらあっても困りませんから」

「…………」


 杖をぽとりと手放し、ジンは黙ってうつむいた。乾いた竹の音が、やけに大きく庭に鳴り渡った。

 小石ひとつ落ちていない完璧な庭の地面をじっとにらみつけていると、ふつふつと怒りがわいてきた。なにもかも持っているタキだからこんなことが言えるのだ。

 顔を上げ、視線の先にある女の顔を見つめる。相も変わらず完璧な顔だった。


「君はいいよな」


 卑屈な笑みを浮かべたたまま、思わず本音が口を突いて出た。心の奥底で汚泥のように溜まっていた醜い感情が溢れ出す。


「田舎者の僕とは違って、都会育ちだ。兄弟は沢山いて、母親はあの英雄で大金持ち。僕とふたつしか歳が変わらないのに、もうこんな立派な家まで持ってる。『痣持ち』なんて呼ばれることなんてないし、みんながみんな、君に羨望の眼差しを向ける。見目は整っているし、上背だって男の僕よりある。完璧だ、なんだって持ってる。……公平じゃないよな。君を見てるといつもそう思うよ」


 込み上げた怒りは、次第に岩漿(がんしょう)のように爆発した。


「僕には家族もいない。帰るところなんてとうにない。恵まれたあんたには僕の気持ちなんて到底わからないんだろう。諦めろだって? ふざけたこと言いやがって、このクソ女が! 僕にはもう、これしかないんだ。諦められるわけがないだろう。この――!」


 そのあとにはもっとたくさんの汚い言葉がいくらでも続くはずだったが、自分の中の冷静な部分がそれを止めた。言ってもきっと、楽にはならない。

 最後に、指を突きつけ、口元を震えさせながらこう言った。


「逃がさないぞ。あんたのことは利用し尽くす」


 あくまでも冷静にこちらを見つめ返す視線から逃れるように、ジンは縁側から家に上がった。後ろ足で草履を脱ぎ捨て、大股で居間を横断する。

 その途中、居間の戸口にアリンが夕飯の食材を載せた籠を抱えて現れた。

 ジンの剣幕に驚いたような顔をしたアリンは、怯えもせずにただ戸惑ったような顔で、「タキ姉、また言い過ぎたの?」と聞いてきた。


 真っ先に姉を疑った。それがアリンに庇われたように思えて、情けなさに涙が出そうになった。アリンのほうがよほど大人だ。自分の子供じみた行動が急に恥ずかしくなってくる。


「悪い、アリン。今日の晩飯当番、頼めるか。僕の分は作らなくていいからさ」

「え? あ、うん。わかったよ」


 無理やり笑みを作り、アリンの頭を優しく撫でると、居間を出て普段寝起きしている客間に向かった。

 布団を敷く余力もなく、よろよろと畳の上に横になる。

 悔しさとみじめさで胸がいっぱいだった。

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