水沢しずく10
列がゆっくり進み、しずくはつぼみの前に立った。
書店のサイン会会場は、ファンの熱気とざわめきで満ちていた。
つぼみは、テレビで見るような輝く笑顔でしずくを迎えた。
彼女の目は穏やかで、幻影の冷たい影とは別人のようだった。
しずくの心臓はまだ高鳴っていたが、予想していた恐怖は湧かなかった。
彼女はフォトブックを差し出し、つぼみの笑顔を見つめた。
「こんにちは! 名前、教えてくれる?」。
つぼみの声は明るく、会場のにぎわいに溶け込んだ。
しずくは小さく息を吸い、答えた。
「しずく…です。」
彼女の声はかすかに震えたが、落ち着いていた。
つぼみは微笑み、ペンを手にフォトブックを開いた。
「しずくさん、いい名前だね。来てくれてありがとう!」。
その言葉に、しずくの心は意外なほど静かだった。
3日間の闇で彼女を縛った幻影の声は聞こえず、冷たい笑顔も現れなかった。
しずくは、自分の強さに驚いた。
治療で築いた自信、彩花やあかねの支えが、彼女をここまで導いた。
つぼみの手がペンを動かし、サインが紙に刻まれた。
会場のにぎわいが、しずくを普通の世界に引き戻した。
彼女は、初めて過去を越えた実感を得た。
つぼみの笑顔は、大学時代の先輩を思い起こさせた。
愛らしい表情、可愛い笑顔。
しずくは、幻影が自分の心の産物だったと気づいた。
「ありがとう…」
しずくは小さく呟き、フォトブックを受け取った。
つぼみはさらに明るく微笑んだ。




