水沢しずく4
しずくは病院を退院し、アパートに戻った。部屋は警察とあかねが片付けてくれた後だったが、薄暗い空気が漂っていた。
彼女の頬はまだこけ、目はうつろだったが、病院での点滴と休息で体は少し回復していた。
窓の外では、雨が止み、雲間から弱々しい陽光が差し込んでいた。
先輩の幻影はまだ頭の片隅で囁き、彼女の心を締め付けた。
「しずく、私から逃げられないよ…」
その声は、病院の光で薄れたはずなのに、なおも響いた。
昼過ぎ、ドアのノックが響いた。しずくはびくりと肩を震わせ、立ち上がるのも億劫だったが、ドアを開けるとあかねと仕事の仲間たちが立っていた。
あかねはプラスチックの弁当箱を手に、
「お腹すいてるでしょ?」
と笑った。絵里という同僚は、明るい声で
「しずくちゃん、元気そうでよかった!」
と言い、手作りのクッキーを差し出した。
その笑顔は、しずくの凍りついた心を溶かすようだった。
もう一人の仲間、健太が
「部屋、ちょっと片付けようか?」
と提案し、皆が自然に部屋に入ってきた。
しずくは、突然の訪問に戸惑いながらも、拒む言葉を見つけられなかった。
あかねがキッチンでコーヒーを淹れ始め、湯気の香りが部屋に広がった。
絵里は床に散らばった紙を拾い、健太は窓を開けて新鮮な空気を入れた。
「ひとりじゃないよ、しずくちゃん。」
絵里の言葉が、しずくの心を揺さぶった。
彼女はこれまで、孤独が自分の居場所だと信じていた。
大学時代、先輩が去ってから、しずくは誰とも深く関わらず、ただ仕事と写真に逃げ込んでいた。
だが、仲間たちの笑顔が、その信念を揺らし始めた。
あかねがコーヒーカップを渡し、
「また一緒に仕事しようね」
と言うと、しずくの胸に温かいものが広がった。
彼女は小さく頷き、初めて希望を感じた。
仲間たちは、しずくの部屋の散乱した状態を気にせず、笑い合いながら片付けを手伝った。
絵里が古い雑誌を手に、
「しずくちゃん、これまだ読む?」
と笑うと、健太が
「懐かしいな、これ!」
と茶化す。しずくは、仲間たちの軽いやりとりに、口元が緩むのを感じた。
彼女はクッキーを口に運び、バターの甘い香りに目を閉じた。
幻影の声はまだ頭の片隅で響いたが、仲間たちの笑顔がそれを押し退けた。
あかねが「しずく、新しい仕事、待ってるからね」
と言うと、彼女は小さく微笑んだ。
孤独の殻が剥がれ、つながりの温もりが心に染みた。
夕方、仲間たちが帰る頃、部屋は見違えるほど整っていた。
窓から差し込む夕陽が、壁の糊の跡を柔らかく照らした。
しずくは、仲間が必要としてくれることに気づいた。
絵里が「また明日、顔出すね!」
と手を振ると、しずくは
「うん、ありがとう」
と呟いた。ドアが閉まり、静寂が戻ったが、それは不気味なものではなかった。
彼女はベッドに座り、ノートパソコンを開いた。
それは彼女の新しい一歩だった。幻影の声は弱まり、仲間たちの温もりに押され始めていた。




