水沢しずく2
佐藤あかねは、しずくの仕事の元受けとして、彼女の緻密なデザイン資料をいつも頼りにしていた。
彼女のイラストは、クライアントの心を掴む繊細さと大胆さを併せ持ち、あかねの小さなデザイン事務所にとって欠かせない存在だった。
だが、3日前から連絡が途絶えた。
月曜の朝、しずくに送ったメールは既読にならず、電話は無応答のまま留守電に 繋がった。
あかねはオフィスのデスクで、しずくの作ったデーターを手に取った。
彼女が最後に残した未完成のコードが、いつもと異なる乱雑さで描かれていた。
「何かあったんじゃないかな…」
あかねの胸に重い予感が広がった。しずくの疲れた笑顔が、脳裏に浮かんだ。
あかねは、しずくのアパートを訪れた経験が何度かあった。
彼女の部屋は、いつも整頓され、壁に貼られた古い写真が印象的だった。
だが、最近の彼女の様子はどこかおかしかった。
打ち合わせでの声は小さく、目はうつろで、笑顔が消えていた。
あかねは、彼女の変化を気にかけながらも、忙しさにかまけて事務的な対応をしていた自分を責めた。
3日目の朝、あかねは意を決して彼女のアパートへ向かった。
アパートの階段を上り、しずくの部屋の前で立ち止まった。
ドアは閉ざされ、隙間からカビの匂いが漂ってきた。あかねの背筋が冷えた。
「しずく、いる?」
あかねはドアを叩き、声を上げた。
返事はない。
静寂が不気味に響き、窓から漏れる薄光が、まるで生命を欠いたように弱々しかった。
あかねの不安は確信に変わった。彼はスマホを取り出し、警察に電話をかけた。
「彼女、3日も連絡がなくて…何か悪いことが…」
声は震え、受付の冷静な質問に答えるのもやっとだった。
しずくの部屋の静けさが、あかねの心を締め付けた。
警察が到着するまでの時間は、永遠に感じられた。
あかねはアパートの廊下で待機し、警官の足音を聞いたとき、胸が締め付けられた。
警官がドアを叩き、
「水沢さん、いますか?」
と呼びかける声が響いた。
あかねは、ドアの隙間から漂うカビの匂いに顔をしかめた。
しずくの名前を呼ぶ声が、遠くで反響し、彼女の意識に届くことを願った。
警官がドアをこじ開ける準備を始め、佐藤さんは一歩下がった。
彼の心配は、しずくを闇から引き戻す最初の光だった。
だが、幻影の影はまだ深く、彼女の心を離さなかった。
警官がドアをこじ開けると、部屋の中は薄暗く、埃と湿気の匂いが充満していた。
あかねは、しずくの異変を早く気づけなかった自分を呪った。
彼女のコードに残された乱雑な線、メールの未読通知、最後のzoom会議で彼女の疲れた目が警告だったのに。
彼は警官の後ろに立ち、しずくの姿を想像した。
彼女は床に座り込み、虚ろな目で写真を見つめているかもしれない。
あかねの心は、彼女を救いたいという思いでいっぱいだった。
警官の無線が鳴り、救急車のサイレンが遠くで聞こえた。
しずくの闇は、まだ見えなかった。




