第5話 最悪の日
道の墓標。
新崑崙を支配する天導連盟が血眼になって調査に勤しむ、そんな場所の一つ。
その中で師匠が消息を絶ったその遺跡、その最後の痕跡が残っているその場所に、蒼玲は向かっていた。
……遺跡にしては、妙に現代的だな。
大小様々な補修はあるということらしいが、これはそういうレベルではない。元々そういう内装だったのだろう。
【過去に行われた補修工事の内容と規模からして、あとからこの様になったわけではないようです】
と、バックグラウンドで調査をさせていた人造法霊も同様の見解を出していた。心なしか、空調特有の空気の流れも感じる。
……これでは遺跡というより、研究所かなんかの管理施設の類だな。
目線を少し前に向けると閉じている扉が見えた。
混元現実を泳いでいた矢印はそこで止まっていて、ここが目的地であると無言で主張している。
表札はあったらしいが、外されていた。
「……」
認証する。
管理者権限は臨時で書き換えてある。
程なくして扉が開く。
明かりはまだ付いていない。
……白骨死体があるのなら、幾分かマシなのだろうか。
†
「列車が一両遺跡に向かっている、ですか」
〈はい。方士蒼玲が遺跡から戻る便ならばまだしも、追加人員の話は聞いていません〉
「……本当に、なんの申請も来ていないのですね?」
〈えぇ。また、先程お話したように駅がある一部区画との通信が取れなくなっています。現在確認を行わせていますが、機材トラブルならば運が良い方でしょう〉
「一つお尋ねしますが、連絡が遅れた理由を伺っても?」
〈広範囲でジャミングが行われていました。先ほどようやく繋がったところで――〉
通信が途切れた。
「なるほど、そういうことですか」
法霊人形、通信を行っていたその一体は長銃を構えた。
向け先は、あと数分もせずに停車駅に辿り着こうとしている一両の列車。
他の法霊人形たちも、同じように構えている。
法霊人形にはため息の類を行える機能はない。
しかし、通信を行った法霊人形はため息を付きたい気持ちでいっぱいだった。
今いる機数だけで対処ができる相手だったのならば、どれだけ楽だったのかと。
そして、列車が停まる。
そこからコンマ数秒で発砲する。
ほかの人形も合わせて発砲する。
反撃は、その直後だった。
†
師匠が消息を絶ったその場所で、蒼玲はそれを見る。
机とその上には電子算盤の筐体とモニター。隣にはホワイトボード。折りたたみ式の椅子は乱雑に置かれていた。壁沿いには本棚が置かれている。
それだけならば、通いなれた大学の研究室、いつもの光景とほとんど同じだ。
しかし、遅れて光った証明が照らす奥。ガラスとドアで仕切られたその先に、妙なものがあった。
井戸だ。
いや、正確には、井戸のように見える何かしらのユニットだ。
直径は、一・五メートル程か。ホワイトボードに書かれているものから察するあたり、龍脈からエーテルを汲み上げて何かを成すためのものなのだろう。
しかし――
「何だ、これは……?」
それ以上のことはわからない。ハードウェアの知識が深い翠嵐なら、なにかわかっただろうか。
ただでさえわからない尽くしだ。それなのに、その井戸が蓋をされていると言う意味のわからなさ。そしてそこに突き立っている一本の短剣の存在が更に困惑を誘う。
「ハードが無理なら、ソフトから攻めるか……」
†
「いやわからんが?」
封鍵の解析をしていた時点でそんな予感はしていたが、未知の言語で記述されていたのでは、わかるものもわかりもしない。
一縷の望みをかけて電子算盤も見てみたが、記憶装置を破壊しているという念の入れようである。
ため息をつきながら、椅子に座る。
そして考える。
師匠たちは一体何を求めて、ここに集まったのだろうかと。
龍脈の死滅による、現代社会の滅亡の回避を目的とするこのレイライン計画において、この場所がその回避を模索する場所の一つであることはわかる。
ただ……
――この遺跡をまるごと封鎖して消息を絶ったのは何故だ?
師匠は、理由もなくこういうことをするような人ではない。そういうことはよくわかっている。
――師匠は、一体どこに消えた?
最後に消息を絶ったのはここで、それ以上はわからない。
しかも、恐らく一人だけではない。
ホワイトボードに書かれているイラストを見る。
龍脈からエーテルを組み上げる。そう解釈をしていたが、そもそもそれは正しいのか?
わからないことばかりだ。
「……一旦引き上げるか」
滞在期間は引きのばせる。
それだけでも天導代議官のありがたさを初めて実感できた。
荷物を置いた旅館に期間延長の連絡を入れようとしたとき、違和感を感じた。
……静か過ぎないか?
ここは当然として、エーテルが、だ。
空調の音も、流れる空気の感覚もない。
無論、人間にはを知覚できる器官は存在しない。一部の方士にはそれができるようではあるが、少なくとも僕にはない。
導術環の機能によって、擬似的ながらエーテルの音などを知覚できるのだ。
普段ならうるさすぎるのでカットする機能ではあるが、ここは新崑崙ではない。そして、音などの知覚は、重要な情報だ。とりわけ、戦闘時やこういう一種の危険地帯では特に。
エーテルが静かになるのは二つ原因がある。
一つはエーテルそのものがなくなる異常現象。しかし、そんな予兆はないし、あれば警報が出ている。
そしてもう一つは――
……ウェーブキャンセラー!
エーテルのをはじめとして、様々な波を打ち消す法宝が使われている!?
それならば人造法霊が静かなのも頷ける。だが、
――方士が用いる文字通りの兵器がなぜ? あれは運用制限がかけられている立派な封印指定産物だぞ!
いや、それよりもっと差し迫った問題がある。
ウェーブキャンセラーが駆動している消音状態でやることと言ったら……
――間に合うか!?
身を翻して井戸のある部屋に向け、音もなくガラスをぶち破って転がり込んだ。
その直後、やはり音もなく壁が吹き飛び、その破片が爆風に乗って部屋を蹂躙した。
†
「げひひ……っ」
周囲に音が戻ると同時に、耳に入ってきたのは下品な笑い声だった。
そして遅れて、緊急事態モードに移行しパタパタと動いていた人造法霊のわめき声が聞こえてくる。
「そぉぉぉぉれぇぇぇぇい!! まぁたあいたかったぜぇぇぇぇぇぇ!!」
腰に固定してある錬砂マガジンの安全装置を、「safe」から「combat」に切り替える。
そして視界に浮かぶ混元現実はいくつかの術式が――主に衝撃吸収の類である――自動起動したことを知らせていた。
返事はしない。未だ粉塵舞う部屋で、その井戸の裏に隠れている自分の居場所を知らせるわけにはいかないから。
「だぁまってんじゃあねぇよ、クソ方士さまがよぉぉぉ!!」
「おい待て!」
敵が迫る。
敵方は少々迂闊のようだ。
最低でも二人いる。
連携はとれていない上に、一人は確定で戦闘経験は浅い。こういうのはハンドサインを使うか極短距離通信で応じるのがセオリーだ。
胸のポーチから、符を一枚取り出す。
そこに少量の錬砂を纏わせて、硬度を持たせて投げやすくする。
それを無造作に頭上にひょう、と放り投げる。
「な――」
んだ、と続けようとしたのだろう。もしくはなにだろうか?
まぁそんなことはどうでもいい。
コンマ数秒で自分以外のここにいる全員の目と耳が潰れるのだから。
そして、術式は正常にその効力を発揮した。
大音量の音と、大光量の光として。
そして少し遅れて動く。
まず、一人目。
声の時点で下品だと思っていたが、格好もやはり下品だった。
そして妙に聞いた覚えの声だなとは思っていたが、目を灼かれて悶絶する顔を見てようやく思い出した。
数ヶ月ほど前に高級ソープに来ていた院生を殺した鉄砲玉もとい方士崩れではないか。
あの事件で警察に引き渡した後は特に気にしていなかったが、知らぬ間に釈放されていたとは。
撃った本人かはたまた別の人間かはわからないが、薬莢だけではなく撃った弾丸すら再利用しようとするとは大したエコロジー精神ではないか。
そんな妙な感動を覚えつつ、そいつの腕をとって、背負うように投げる。
今目と耳が潰れて、そこに完全に気が行っている。頭から行くように投げても受け身などとれまい。
妙に体重が重いのが気になったが、死ねば関係のない話だ。
ゴギリ、といういやな音を背にしつつ、右手に錬砂で短剣を生成して、駆ける。
二人目。
袖が広い、スタンダードな灰色の方士袍を羽織っている。
十八歳である僕が言うのも何だが、若い方士だ。
年齢的なのもそうだが、何より戦いなれていないという意味でも同様だろう。
聴覚・視覚保護どころか、まともに術式も練れていないではないか。
こちらから見て右から袈裟斬りするようにたたき斬り、返す刀で心臓めがけて突く。
戦闘は、数秒ほどで終了した。
しかし、若い方士が戦場に立つ、それも手練れも同行させずにというのはハッキリ言って異常だ。
方術流派は、利益の追求の課程でやらかすことが多い碌でもない集団であることには変わりないが、『方士の育成と互助』を使命として結成しそれを全うし続けている集団であることにも変わりはない。
それは、八流派による横暴に嫌気がさした各流派の方士たちが、平和の追求の元に集まって結成された芦淵流派。その使命の一環として行われている他流派の動向の監視も僕もやってきたから尚更である。
技術の話をしよう。
例えば、あるプラントのある設備があるとして、それを作ってメンテナンスできる技術力があったとする。
では、それは未来永劫続くものなのか? 答えは否だ。現代の大道工学をもってしても、未だ人間は不死にはなれないのだ。
不死にはなれないが、方術をうまいこと使うことで――当然、これは必要不可欠の初歩の域である――人は方士として初めて寿命と病から最も縁が遠い存在になれるのだ。
話を戻そう。
人間は方士として大道工学を修め、方術をうまいこと使えるようになったとしても死ぬときは死ぬのだ。
そして、そしてその当人が持つ技術と知識も、同じように死んでそこで終わるのだ。
数多の方士が寄り集まって方術流派が生まれた背景がまさにそれだ。ニューウェーブもまた同様である。
故に、『若い』方士を戦場にはまず出ることはない。本人が望んだとしても絶対に出させない。
天導連盟管轄下の施設に乗り込んで壁ぶち抜いて殺そうとしてきたやつらが許可もらったとかそういう以前の話であるのは当然として、
――何をしに来たのだこいつらは。
通信は繋がらない。
電波妨害はまだ続いているか、そもそも繋がる相手がもういないということだろう。
さてどうしたものか、と思案する。
その直後であった。
起きたことは三つ。
主犯格と思わしき何者かによる広域放送が流れ出したこと。
あり得ない角度に曲がった頭のまま、知らぬ間に立ち上がっていた方士崩れが自前の短剣をこちらに突き立てようとしていたこと。
最後は、その寸前に気づいた僕が、錬砂の短剣で防御しようとしたその瞬間、その形が崩れ去ったこと。
その三つの事象が同時に起こり、結果的に方士崩れの短剣が僕の脇腹に突き立った。
一体何が起こったのか、僕には理解できなかった。