第2章-4話 誇りと驕り
誰かに抱きかかえられる感触がまずあった。
そして、顔にたわわな感触があった。
「間一髪、だったじゃない」
この感触の持ち主はすっごい記憶に残っている。
名残惜しさを感じつつ顔を上げると見覚えの黒と赤を基調とした巫女服と、見覚えのある黒い髪。見覚えのある垂れ目。見覚えのある顔がそこにあった。
「ミオリ!? なんでここに?」
「何でってあなたねぇ……」
あきれ顔を浮かべる彼女の背には、これまた見覚えのある白色を基調とした刀が生えていて――
「あっ私の刀! どこに行ったかと思ったら!」
「この前の合同訓練で忘れてたでしょ。なんで気がつかないのよ……」
「アレェー……?」
呆れたようにため息をつくミオリ。
「なんにせよ、無事でよかった」
「ごめん、心配かけちゃって」
「いいのよ。色々後処理しないといけないけど、今はあいつよ」
目の前にはできたてのクレーターが一つ。土煙はまだ舞っている。
スズネの視線の先には命の恩人が立っていて、先の爆発の中心にいたのに生きてたんだという妙な関心が浮かぶ。
その周囲には――
「……一体どういうつもりか聞いた方がいいか?」
ミオリと一緒に来た道示団の団員たちが、彼に刀を向けていた。
同じ狼のアヤカシたちで、黒と赤を基調にした制服を纏っているあたり、炎連神社に連なる団員だろう。
恩人も対抗するように剣を向けている。
「ちょっと! その人私を助けてくれたんだよ!」
「だからよ。単刀直入に聞くけど、あなた何者なの」
「何者って……この紋章見て言っているのか?」
そう言って恩人は左腕の袖に縫い止められた紋章を見せてくるが、どこかで見覚えがあるようなと言うぐらいで、結論づければ見たことがないものだった。
「それ見せられても何もわからないのよ。もう一度聞くわ。あなた何者?」
恩人は少し不満そうな表情を浮かべ、名乗る。
「天導方士 蒼怜。所属流派は芦淵。天導代議官をやってはいたが、頭に元が付くようになった」
「方士? 方士って何よ」
「は?」
「術式を扱える人間は総じて陰陽師って呼ばれてるけど、方士なるものは聞いたこと無いわ」
「……?」
恩人は剣を下ろして少し考えた後、「おそらくこちらが何か勘違いをしてるんじゃ無いかという前提だが」と前置きしてこう質問した。
「ここは新崑崙からどのぐらい離れたところなんだ?」
「新崑崙? そんな街、この国には無いわよ」
†
『蒼。ようやくわかってくれたようだな』
剣がうそぶく。
『ここは、蓬莱じゃないし新崑崙でもない』
『じゃあここはどこだ? なんなんだ?』
『「想域」だ。今の新崑崙が、方術流派が求めてやまない黎明の地だ』
手帳に書かれた文章を思い出す。
前に書かれた文章は破かれてわからずじまいだったが、こうあった。
――故に、我らはかの地を「黎明想域」と名付けることにした。
――しかし、我々に黎明を迎える資格はない。
故に――
「道を探す者たちよ、蓬莱と共にあれ――か」
新崑崙すら、方士の概念すらないこの地にて、天導や芦淵、そして方士の肩書きなど無意味なのだ。
今の彼は何者ですら無い、蒼怜というただの一人の人間――異邦人でしかないということを初めて悟った。
剣を鞘に収め、そして導術環の電源を落とし、両手を挙げて恭順の意を示した蒼怜は、初めて無力感を覚えていた。
†
「……こちらの認識に齟齬があったようだ」
蒼怜は、何かを悟ったような表情で続ける。
「だが先の説明以外の対応は、現時点では難しいとしか言い様がない」
そう語る彼の瞳は諦めと悲しさが浮かんでいる。
「改めて名乗ろう。俺は蒼怜。どこかから流れ着いた、ただの人間だ。そちらは?」
「白原スズネ。ちょっとした神社の巫女をやってます」
「炎連神社後継を――いや、炎連ミオリ。このスズネの友達」
「そうか。白原さん、助けてくれたこと感謝する」
「スズネでいいよ。放っておけなかったしね」
「……一つ要請をしたい」
「聞くわ」
往々にして、タイミングというか場違い、雰囲気ぶち壊しになる出来事や現象は起こりうるものである。幸か不幸か、今この瞬間も例外では無かったらしくそれが起きた。
く~という、スズネのお腹から出た音が、まさしくそれであった。
「……あなたねぇ」
「えっと……お昼食べそびれちゃって」
「あとでどこかで食べに行きましょ」
「すまない、一つ聞くが、俺はどのぐらい寝てたんだ?」
「……一週間ほど」
「そうか……一週間かぁ」
今度は何かをすごく悩んでいるようだ。
そして結論が出たらしく絞り出すように、
「要請とは別なんだが、僕も同席していいだろうか? 僕も何も食べて無くてね……」
「あなたねぇ」
「イヤ本当に申し訳ない。自覚したら身体に力が入らないぐらいなんだ」
そんなわけで、スズネ行きつけという定食屋に行く流れとなった。
『自分でびっくりするほど情けないと思わないか?』
『茶々を入れるな黙ってろ』
†
「つまりあなたは蓬莱っていう世界に住んでて、方士という役職(?)で」
「ふー、ふぅ」
「先の流れで死にかけて、気がつけばここにいたと」
「はむっ」
「そんなところだ。いくつか端折ったが、ここよりずっと命が軽いところだと思っていい」
「はむはむっ……」
「しかし蓬莱がそんな暴力的なところだったなんてねぇ」
「新崑崙は知らないのに蓬莱はわかるのか?」
「昔話に出てくるからね。老子さま――神様の住まうところって具合で知らない人はまずいないんじゃ無いかしら」
「神様、ねぇ」
「きつねうどんのおあげ、ンマ――――イ!!」
「「…………」」
「ふたりとも、食べないとうどん伸びちゃうよ?」
「そうですよ。せっかく作ったんですから」
狐耳の店員から注意されてしまった……
……うどんかぁ、最後に食べたのいつだっけかなぁ。
啜る。
「旨いな……」
「でしょー! このお店のうどん、ほんと美味しいもんね!」
「名物のわくわく牛丼も食べてほしいんですけどね。ところで、町中で出た怪異――ケガレの原因ってなんなんだったんですか?」
「ケガレ?」
「嫉妬や怨恨、恐怖に劣等感。そういうネガティブな思念にまつわる、一種の邪気ね」
「私たち道示団は主に、そのケガレを払うのがお仕事なんですよ」
「――なるほど、自分や他人からの観測なども含めたネガティブな思念がエーテルに干渉してああいう化け物を形作る訳か。さすがエーテルに満ちていると言うだけはある。しかし、あの竜もどきはまだわかるが、あの大きなリスを生んだ人物はそこまで強い悪感情を持っていたということになるが……」
しばし沈黙。
「今の誰です?」
「誰よ今の声」
「またあの声だ……やっぱり幻聴じゃ無かったんだあ……」
「おまえ音でしゃべれたのか」
そう言いながら蒼怜は、ぞんざいに一本の剣をテーブルの上に置く。
鞘に収められた状態だが、表面が震えている。
「何度か音を通してコミュニケーションをとった記憶があるのだが」
「いや剣が喋るなんておかしいでしょ常識的に。全員幻聴だと思いますよ」
「あぁ全くだ。喋るだけでも大概だが、話は長いし余計な茶々まで入れてくる。そもそもおまえ何なんだ?」
「えっ、レイさん知らずに使ってたんですか」
「あのときは緊急時だったからな。剣先で軽く刺してくるという事を除いて水に流したよ」
「そうでもしないと起きなかっただろう君」
「今度同じことやってみろ。問答無用で電炉に投げ込むからな」
「製鉄所があればいいな! 機会があれば見学しにいくといい。まぁ製鉄所がどこにあるかは知らんがね」
「というかあなた何なのよ。アヤカシ?」
「差別する意思はないのだが、それと一緒にされては困る。私は立派な人工知性だ」
おっと、名乗るのを忘れていた。と続けて
「九条重工製開闢兵装執行型プロトタイプ『蒼穹』 。以後お見知りおきを」
「いやわからんが」
「蒼、君わかるように説明すれば龍剣と言えばわかるだろうか」
「まさかとは思うがお前……」
「そうだ、君の師匠こと嵐閃の相棒をやっていたんだ」
「そうか、だから俺にだけ渡されていなかったのか」
「あの、そっちだけで話されても困るんだけど」
閑話休題。
「その人、結構なゲーマーでね。もうすぐ連休なのもあってしっかりゲームに打ち込むために食料を買い込んでいたんだって。そしたら止まらなくなって、あのリスが出てきたみたい」
「全然知らないが、そんなことで邪気がついて怪異とやらが爆誕するのか? ずいぶん生きづらそうだな」
「そんなわけないじゃない。普通はそうならないのよ」
「嘘をついていたという線は無いのかね?」
「あのとき一緒にいたけど、そんな感じじゃなかったね」
しかし、本当におかしいことが多いものだとスズネは思う。
「ケガレからの怪異……その手の事件が最近多いんだよね。関係あるのかな」
「あぁそうだ『事件』……。スズネ、あなた端末どうしてるの?」
「えっ」
そうだ、端末……と探してみるが、ない。
……家に置いてきちゃった。
「あなたのところの大宮司さん、すっごく怒っていたよ」
「えっと……ここしばらくは見回りと彼のお見舞いとゲームをやってて……」
「そんなところだと思った! だから私がここに来たのよ」
「見舞いに来てくれたことは感謝するが、君は一体何をやっているんだ……」
「スズネ、あなた央京で何起きてるか知ってるの? 今あそこは――」
直後、一人の少女が定食屋の中に転がり込む。
スズネを探していたのだと語る彼女は涙ながらに叫んだ。
「わたしの妹をたすけて」と。
そしてその妹は、現在この国の首都である央京で発生している神隠し事件の被害者の一人であった。




