八、バカ息子より
100円ショップでまとめ売りされているような、ぷっくりした赤いシールを私はなぞる。それはまぎれもない、手紙だった。普通なら郵便番号を書くべきところに、"神崎"のハンコがぺたぺた押されている。
手汗がにじんでいかないよう、こそ泥気分でポッケにしまう。
両足が、ばかみたいに軽やかにはねて……危ない危ない。誰にも見られてないことを、私はすかさず確認する。
*
はしごを登りきると、沖田さんはさも余裕そうに、瓦屋根に突っ伏したままの神崎さんの薄頭を撫で回していた。
「えっと、例のブツ……」
私は帰還兵のように右手を上げる(帰還兵のポーズがなんなのかはよく分からないけど)。ようやくこちらに気づいた沖田さんが、ぱっと笑顔を浮かべた。
「でかしたトラちゃん、お利口さん! 中身はなんでしょうねえ。いわゆるーー恋文とか?」
「どう考えたってお孫さんからでしょ」
この期に及んで冗談を披露しようとする彼に、私はがっくりうなだれる。
そういや最初に"沖田総司はヒラメ顔"って言い出した人って誰だったっけ。沖田さんって、ヒラメというよりかはマグロのほうに近いような気がする(私談)。マグロが泳ぎ続けないと死ぬみたいに、沖田さんも冗談を言い続けないと死ぬ、的な。
沖田さんから乱暴に叩き起こされた神崎さんは、顔面蒼白だった。まあそれもそのはず、目の前にいる剣の達人から手刀をくらったうえに、お酒だって全然抜けきっていないのだから。
「ここはどこだ……俺は一体なにを……」
まだ寝ぼけているのか、両目をしきりにこすっている。
「神崎さん。」
私は、生前の癖が抜けないままに深呼吸をして、彼へと向き直った。
「この手紙なんですけど。あなたの未練となんらかの関係があるはずです」
ちょっと、突き放すような言い草になってしまったかもしれない。もう少し上手い話の切り出し方があれば……私は横目でちらりと沖田さんを窺う。にこにこ。いや違う、手を振ってほしいんじゃなくて!
多分、沖田さんは全部分かったうえで、あえて助け舟を出してくれないのだろう。なんだか手のひらで転がされてるみたいで、無性に悔しくなってくる。しかも神崎さんはぼーっとしたままだし。
(たしか現世の物って、私にしか触れないんだっけ。)
しくみはさっぱりだが、死後の世界限定の特殊能力みたいなものなんだろうか。
一思いに、私はシールを剥がしてみせる。
居酒屋? いや、もっとツンとしている。
ボンボンショコラを食べたことがあるから、なんとなく分かった。便箋に漂うウィスキーの大人っぽい匂いに、私はふらつきそうになる。
「……そのメモ帳、まさか、ウチの事務所の」
便箋という名のメモ帳の切れ端には、たしかに神崎電工と印字されていた。神崎さんは、あいつからで間違いねえ、とうわごとのように繰り返している。
「あ。よ、読み上げます」
震えながら書いたんだろうか、文字はよれよれで、おまけにところどころ誤字も見られた。
『新愛なるじーちゃんへ
あなたがこの手紙を読んでいるころには、私はもうこの世にいないでしょう……みたいな出だしにしようかめっちゃ迷ったんだけど、逆だよね、じーちゃんが死んでるんだもん。ごめん。』
ここまで読んだところで、私は背中が凍りつきつつあるのを感じた。手紙の主は、ほぼ100%プリン頭にばちぼこピアスだ。神崎さんの顔はできるだけ見ないように心がける。
「おぉ……これ、ひょっとして婚礼の際に読んだものなんですかねえ」
(ヤメテ、火に油を注がないで)
私の手元を不思議そうに覗き込む沖田さん。結婚式のスピーチにってこと? これを?
「ば、バカ言え! もし読んでたらゲンコツ入れてやる! こんな恥晒しみてえな!」
『どくを飲んでも死ななそうなじーちゃんが死んで、正直めっちゃおどろいてます。オレ、いまだに信じられません。』
いよいよ雲行きが怪しい。ほんとに読み進めても大丈夫かなこれ。
やがて、
「……続けろ」
と神崎さんは観念したように呟く。
『私のおはかの前で泣かないで〜って歌があるじゃん。じーちゃんのトラックで、よく流れてたやつ。じーちゃんは今、どこにいるんですか? 元気にやってる? まあとにかく、あの歌みたいに、じーちゃんもおはかで大人しく居眠りしてるってわけでもなさそうだからさ』
二人の視線が、いっそう強くなったのを悟った。
『この手紙は、とりあえずじーちゃんの大好きだった熱海のビーチにでもぶん投げておきます。』
く、くく、と必死に声を押し殺しているのは神崎さん。そうかそうか無理もねえ、あいつは昔、甲子園のマウンドに立ってんだもんなーーそれはだんだん、やさしい思い出し笑いに変わってゆく。
『でっかいゲンコツ食らっても、ライダーのおもちゃガマンしろって言われても、オレはじーちゃんのヘタウマな演歌とか、まずい渋柿がどーしても嫌いになれませんでした。てか、意外と好きだったんかもなって、東京出てから思います。
あと結婚するときじーちゃんが怒ったの、オレ全然気にしてないから。むしろ、オレのほうがごめん。じーちゃんがあんなに真剣になるなんて、オレ、思いもしなかった。じーちゃんの気持ち、ムシしてたんだと思う。ごめん。一言くらい、じーちゃんが元気なうちに伝えてればよかったよな。オレ、やっぱりどうしようもないバカ息子だよ。ほんとに、ほんとにごめんなさい。
……と、まあ湿っぽいのはこのへんにして(オレもじーちゃんも、そうゆうのキライだもんな)。100発ゲンコツの刑なら、じーちゃん許してくれるよね?
色々あったけど、じーちゃんひとりで、今までオレを丈夫に育ててくれてありがとう。じーちゃんがオレの親父になってくれて、ほんとに良かった。
オレもそう遠くないうちにそっち行くからさ、また会えたら今度こそ、最っ高にワルイ酒の飲みかた、教えてよ。(それがイヤならたまに化けて出てきて)
またね。
愛しのゆーやくんより』