六、成仏して……
いっそ看板と一緒に「セールスお断り」のステッカーでもつけてしまおうか、本気で悩むレベル。
カンカンカンカンカンカン! カンカン!
ええい、やかましいったらありゃしない……!
自分の体を這いずるように、しぶしぶ下へと向かう。
観音とびらを隔てた先で仁王立ちしていたのは、頬を紅潮させたおじいさんだった。
「えっ、と。どちらさまで」「いるなら2回以内に出やがれってんだ! 常識だろうが!」
まず謝罪をしろーー食い気味に話すしゃがれた声に、私はうっすら嫌悪感を覚える。
「……誠に申し訳ありませんでした。ところで、ご用件はなんでしょうか」
うん、我ながら実に機械的だ。意識したわけじゃないのに、どうしてもコールセンターのお局様みたいな対応になってしまう。
「チッ、ずいぶんいけすかないガキがいたもんだ。今に見てろよ」
せめて、質問くらい答えてはくれまいか。私は心の中でひっそり悪態をつきながらも、応接間に"神様"(多分この人は、お客様=神様とか信じてるタイプ)を案内して差し上げた。
『いいですかトラちゃん。おもてなしの精神を大事にするんですよ!』
助手としての極意を張り切って説明していた沖田さんが、頭の隅っこに浮かんでは消えてゆく。
どっこらしょ。重たい腰を限界まで屈めて、私はお茶菓子探しに明け暮れていた。
たしか、このへんだったかな。
階段箪笥の引き出しに手をかける。そこに収納されていたのはーー
ピンクや黄色、花の形の落雁と、ピラミッド状に重なっただんご。
……線香の匂いといい、呼びりんといい。
ほんと、しゃんばらって仏壇っぽいものばっかり。私は、今日何度目かも分からないため息をつく。あの"神様"にお供物なんて出したらどうなるかーー結果は目に見えている。
私はかろうじて急須に残った玉露を、まあ無いよりはマシだろうとそのまま淹れることにした。
部屋に湯気がたちのぼる。ずず……とお茶をすする音、長ーい沈黙がただ流れる。まるで、サウナのような気まづさだ。私はたまらず、お腹をさする。
「……暇つぶしに散歩に出てみりゃ、そこにふざけた看板が見えたからな。ふん、未練解消だかなんだか知らねえが、お手並み拝見といこうじゃないか」
先に沈黙を破ったのは彼のほうだった。よく見てみると、古ぼけた作業着には"神崎電工代表取締役"とある。
なるほど、神崎さんか。じゃあ"神様"ってのもあながち間違ってなかったんだな。私はひとりでに納得する。
「なんだ小娘、だんまりを決め込むとは情けない」
にやりとした笑みが、こちらに向けられた。しまった。ぼーっとしていた。さっさと未練を引き出さないと、彼もまた怨霊化してしまうかもしれないのに。
「おい。何か面白いことの一つや二つ、言えんのか」
まったくこれだから最近の若いモンは……と、説教が長くなりそうな気配を本能が察知する。
「っ……」
神崎さんの求める面白さって一体なに? 言葉が喉につっかえて、上手く音になっていかない。
まさか緊張してるんだろうか。いやいやそんなはずはーー落ち着け自分。死んでるけど、私は急いで酸素を取り入れる。
「じょっ」
「声が小さくて聞こえんわ!」
大丈夫。沖田さんなんかいなくても別に平気なんだって、絶対証明してみせるんだから。
「成仏してクレメンス…………」
私は真心を込めて合掌する。しかし、ちゃぶ台とともに返ってきたのは、
ばっきゃもおおおおぉんっ!
という意外な一言だけだった。もしかしたら特殊な笑い声、なんてことはーーないだろう。
「二度と来るかこんなとこ! 低評価⭐︎1つけてやる!」
神崎さんは吐き台詞、それから呆然と立ち尽くす私を残して、屯所を出ていってしまった。
*
「ありゃりゃ〜。さてはトラちゃん、さっそくやらかしちゃったんですか?」
やっと帰ってきたのかと思ったら、第一声がこれである。愉しげに細められた目。沖田さんは応接間の惨状を見るなり、ははーんと閃いたように私の周りをうろちょろし出した。
「まあまあ、最初はみーんな失敗するものですから!」
……なんでちょっと嬉しそうなんだ。あれか、人の不幸は蜜の味ってヤツか。
叱責する様子がなさそうなのは、ありがたいと言えばありがたいけど。
「……その。畳を水浸しにしたのは謝ります。でも沖田さん、あんなに急いでどこに行ってたんですか」
腹いせに"大変だったんですよこっちは"と、恨みがたっぷりこもった眼差しを向けてやる。
「あははっ、すみません。僕としたことが、大事な会議があったのをすっかり忘れていたみたいで」
「そのまま忘れてればよかったのに」
「ところがね、そういうわけにもいかないんですよぉ。遅刻厳禁、訳あり集団の血の掟! ああ、おっかないおっかない!」
冗談めかしくそう言って、沖田さんは身体をくねらせる。訳ありとか血の掟とか、彼にも何かと事情がありそうなのは分かった。分かったけどーー
「この落とし前は、きっちりつけてもらいますからね!」
私はぴしゃりと言い放つ。沖田さんは目をぱちくりさせるも、すぐに頷いてみせた。
「はあい、もちろん。トラちゃんも寂しかったでしょうから……ひとりぼっちでお留守番、よく頑張りましたね!」
よしよし、偉いぞー! にゅっと頭に手が伸びてくるのを、私は俊敏な動きでかわす。
「おや残念。逃げられちゃいましたか」
いや撫でられてたまるか。
私は半目で沖田さんを凝視する。やっぱり、悲しむ演技がうまかった。