五、ただいま開店準備中
建て付けの悪い観音とびらに、私はむぅと顔をしかめた。
もしかして近くに、旅籠でもあるんだろうか。さびた温泉パイプみたいなものが張り巡らされた街の一角に、沖田さんは看板を立てる。
「しゃんばら未練解消さあびす」
だって。ちくしょう、無駄に達筆。どうやら昨日の夜、私が気を失っていた間に、わざわざ準備していたそうだ。
冷めた私は、DIYが趣味だなんて超オシャレ‼︎ と思うよりも先に、何がなんでも助手やらせるつもりだったんだこの人……と、彼の速すぎる行動力に、若干のめまいを覚えていた。
「よっこらせ、と。今日からここが僕らの屯所になるわけですがーーどうですトラちゃん、心境は。」
「……沖田さんこそ、どういう風の吹き回しなんですか。未練がなんたらって言ってましたけど」
アナタほんの数時間前まで、怨霊は皆殺し(死んでいようが)って感じだったじゃないですか。
これまた立派に"未練の解消承ります"と書かれたのぼりをつまみ、私はさらりと質問をかわす。
沖田さんはちょっと考えるそぶりを見せたあと、なんでもないように言った。
「ただの勘ですよ。トラちゃんと一緒なら、可哀想な魂たちを救ってあげられるような気がするんです」
静かな海を彷彿させる瞳には、底の知れない慈悲が凪いでいて……なんか、なんか教祖みたい。怪しい。新手の宗教勧誘ですか?と聞きたくなるのをぐっとこらえたつもりだったが、私の浅いツッコミなんて、沖田さんにはお見通しのようだった。
「いやだなあ。成仏を強制するなんて手荒な真似、僕にはできっこありませんよ。鬼じゃあるまいし!」
鬼じゃあるまいし、鬼じゃあるまいしーー
えっ、本当に言ってる……? 昨夜の姿からは到底想像できない一言に、私は精一杯疑いの眼差しを向けてみるも、沖田さんがそれに気づいている様子はなかった。もしかして、天然ボケのつもりなんだろうか。
「未練解消は、怨霊を生まないためのーーあくまで手段のひとつに過ぎないんです。けっして、僕らがそのことを忘れちゃあいけない」
たちまち、眠い授業の記憶がよみがえってくる。こういうのを原因療法って言ったんだっけ。
ふーんと顎に手を添えてみる。根本から原因を絶てばいいって解釈で、だいたい合ってるのかな。
それに⭐︎と、沖田さんが付け加える。
「僕だって、できるかぎりの手は尽くしたいですからね。たぶん、君の暇つぶし程度にはなるでしょう?」
「はあ。でも未練解消って言ったって、そんな簡単にうまくいくものなんですか」
片手をおずおずとあげると、沖田さんは軒先で元気に回る風車みたいに笑い、私の背中を優しく叩く。
「"病は気から"っていわれがありますよね。きっと、あれとおんなじなんですよ。あーだこーだ考えて貴重な時間を費やすより、挑戦してみるが吉。せっかくの巡り合わせなんです、やってみましょうよ。まずは僕とトラちゃん、二人三脚で!」
からの、さりげなくグータッチ。なんだこの、王道海賊団的フットワークの軽さは。
私は半ば呆れつつも、まあ杞憂に終わるに越したことはないしな、と無理矢理自分に言い聞かせることにした。沖田さんいわく、結果は後からついてくることもあるらしいし。そのうえで失敗しようものなら、言い出しっぺが必ず責任を取ってくれるはずだ。
それにしたって、急須を手にした沖田さんは、若女将と見紛うほどに洗練されている。
冷めないうちにどうぞーー彼はお客さん用のお茶をしきりに勧めると、
「そうそう、ぐびっと流しちゃえばいいんです。昨晩僕が、君をおとりにしたことも!」
高級玉露と一緒にね。沖田さんが悪戯っぽくウィンクしたのを見計らったかのように、ピタリと秒針が鳴り止んだ。
「アッ」
…………ひどすぎる。やっぱり、天使のような顔をした悪魔だったんじゃないか。
「こ、この落雁美味しいなあ。ほらトラちゃんも食べてごらんなさいよ」
結局大人はお茶を濁す。お子様には分からない味なんですよとでも言いたげに。すすったお茶に、苦味が増していった。
招集ゥ、招集ゥッッ!
空気が、びりびり、する。
それは鶴の一声ならぬ、鬼の一声だった。耳をつん裂くような世にも恐ろしい声は、ちょこんと座った鬼の置物から発せられてきたようだ。
「ーーおっと、時間だ。ゆっくりしてられないぞ〜」
「ちょっと。どこ行く気ですか沖田さん」
「トラちゃん、お留守番頼みますよ!」
私の知らぬ間に、ちゃっかり身支度を済ませていた沖田さんは、二階の窓を忍者のごとく飛び降りて……ああ、完全に見失っちゃった。
盛大なため息が口からこぼれ出る。一人の時にもし、お客さんなんて来たらどうしてくれるんだ。こちとらバイトの経験も無いってのに。
だんご虫みたいに丸まっていると、案の定、外に人影が見えだした。居留守を使うーーことはできそうにない。
呼びりんは、だんだん苛立ったリズムで連打され始める。
カンカンカンカン……そう。仏様を拝む時に、鳴らすヤツ。
あとがき
沖田さん、軽いジョークのつもりが……笑
おとりにしたっていうか、トラを使っておびき寄せたって感じですかね。(いややっぱおとりか?)