三十五、「御用改めである」
私とコタローは促されるまま、さらにさらに奥へと突き進んでいく。さっきはそれどころじゃなくて全く意識が向かなかったが、中心部が山のように盛り上がった渡り廊下は吹き放しになっていて、両側に高欄がついていた。
……立派な平屋といい、花の香気といい、まるで遠い昔に博物館で目にしたような模型の中に放り込まれたかのような感覚に陥る。ここは本当に、しゃんばらのどこだというのだろう。
そんなことを漠然と考えているうちに、たっぷり水気を含んだ簀子の上で軍服に突然立ち止まられたせいで、彼の背中にしたたかに額をぶつけてしまった。
ああくそ、かっちりした素材の打撃力よ。痛みが頭にじわじわきてるじゃないか。無駄に装飾も凝ってるから金属部分がめり込む勢いだったし。
だが謝罪らしきものは特になかった。今はただ、ほぼ確実に導線を知っていただろうに、あえて何も言わず苦笑を浮かべている後ろのスーツが腹立たしい。
簾を折り目正しく押し上げた軍服は思案するように部屋を見回すと、
「宗像殿……は、やはりお見えにならないようだな」と嫌味をにじませたような声音で言った。だだっ広い部屋に、痛いくらいの沈黙が漂う。誰の趣味なのか、真ん中にでかでかと置かれた満月型の鏡には、無表情の私と、眠そうな目をしたコタローがありのままに映し出されていた。
「――まあ、あの人の気分屋はしゃんばら一だから。そういうわけで進行役は任せたよ、雄心クン♡」
軍服は、肩にポンと置かれた手を心底うっとおしそうに振り払う。
「ほらほら遠慮なんてしてないで。真女子くんもそれで構わないだろう?」
マナゴ……? ――おお、びっくり。まさか部屋の片隅にもう一人隠れていたとは気付かなかった。
「気安いぞ。貴様ごときに遠慮など誰がするか」軍服がばっさり。
マナゴ、と呼ばれたそのピンクのカーディガンは、返事するでもなく、気まずそうに俯きながら隅っこで体育座りを再開した。長い前髪に覆われた目と視線が絡み合うも、一瞬でそらされてしまう。
無言は肯定と捉えたのだろう。合図を送るように、スーツが顎をしゃくらせる。軍服はコホン、と咳払いをした。
「……柊。貴様の調べによると、この者は現世で自らの命を断ったあげく、しゃんばらに住まう御霊を唆し、あまつさえお上の了承を得ずに彼らに消滅を促した、と。己の罪に自覚はあるか? 狩野虎美」
「罪も何も、だってそれは。あの人たちは、ずっと苦しそうで、あのまま放っておいたら怨霊化しそうだったから……………」
‘‘未練を解消したことで気持ちが晴れ、きっと成仏しているに違いない‘‘。そう考えかけたところで、はたと気づく。私には、成仏したように見えたのだとしても。当たり前だが、どこにも証拠なんてものはないのだ。
あくまで真相は、神のみぞ知るといったところか――。
言葉に詰まる私を、「甘いな」と一蹴した軍服は、スーツとカーディガンに鋭利な視線を投げかける。
「ううーん。まあ、おおむね雄心くんの解釈で間違っていないとして…………そうそう君、先日は彼……沖田くんとともに、永井修治ひとりのため現世にまで赴いたそうだね?」
「…………いったいどこで、そんな情報を」
「驚いたかい? まあ、壁に耳あり障子に目ありってところかな。もしかすると、人知を超えた魔術なのかもしれないね?」
「ふん、卑劣なスパイとやらもたまには役に立つものだ」
「ちょっと雄心くん、せっかく信じてくれそうだったのに、そんな夢のないことは言わないでおくれよ。……ごめんね虎美ちゃん。あれだよ、特別扱いは良くないって話さ」
「不本意だが、部分的に同意するとしよう。かたや神獣、かたや自殺者。しゃんばらの均衡を保つうえで、貴様らの存在は極めて異端――いわば危険因子同然というわけだ。このまま放置してはおけぬ」
『しゃんばらに住まう御霊を唆し、あまつさえ彼らに消滅を促した、と』
さっきの軍服の言葉が頭の中でこだまする。沖田さんと屯所にのぼりを立てた、あの時から。私たちはひょっとして、人助けだなんだと見当違いの努力をして、思い上がっていただけなのかもしれない。
自己満足の救助活動をしたところで、彼らに救いなんてあるんだろうか。しゃんばらを超えた先には、死よりも辛い真っ黒な孤独が待ち受けているだけなのかもしれない。
「申し訳ないね。急にいろんなことを言われても、困るだけなのは分かっているのだけれど……ところで雄心くん、今日は沖田くんは来るのかい?」
「はなから呼んでいない」
これ以上勝手なことをしてもらっては困る、と軍服はせせら笑うように吐き捨てた。
「沖田殿についても、後で然るべき処置を取らせていただこう……そもそも、あちらが先に我らを騙すような真似をしたのだ。であれば、こちらも内々に処分を下すのが礼儀というもの。そうだろう?」
でも。彼らは、お客さんたちは、口を揃えて言った。ありがとう、と。さいごの瞬間にはちゃんと、満足そうに笑って――。
目じりに熱いものが溜まりかけた瞬間、初めて、自分の体の奥底に眠っていた何かに気づけたような気がした。そして、あたたかいもので満たされてゆく感覚の中で、初めて確信した。
ほんの少しでいい。私は心から、人を、信じてみたかったのだ、と。
例えば。沖田さんはたしかにちゃらんぽらんで掴みどころのない人だけど、一度だって、人を陥れるような真似はしたことがなかった。
『トラちゃんと一緒なら、可哀想な魂たちを救ってあげられるような気がするんです』
そう言った沖田さんのまなざしに、曇りはなかった。そんな沖田さんを、私は、尊敬してたんだ。かっこいいと思ってたんだ。誇らしいと思ってたんだ。憧れ、てたんだ。
だから。私は、震える拳を強く握る。
「礼儀、ねえ……それってまさか、お礼参りのことじゃないだろうね?」
「……大義のためだ、仕方ない」
だから――沖田さんを侮辱するな。あの人の清い志を、笑うな。
不穏な空気を察知してか毛を逆立てるコタローを、小さく撫でた。大丈夫。私も同じ気持ちだから。
「――誰かの心に寄り添うことが、そんなにいけないことだとは、夢にも思いませんでした」
唇が少しかさついていた。一斉に、私に視線が注がれる。
「未練を解消したい――、ただそれだけの人たちのことが、そんなに信用できませんか?」
軍服の瞼が、小さく痙攣し出す。それでも私は、負けじと続ける。
「……それとも何ですか、私たちに手柄を横取りされて悔しいんですか? まあたしかに、‘‘ただの暇つぶし‘‘でやってることが、あなたがたの形だけの大義とやらに勝つんじゃ世話ないですけどね」
「――黙れッ!」短い叫びが空気を切り裂いた。
「おのれ、咎人の分際でよくもそんなことが言えたものだな………! 抒情酌量の余地もあるかと思ったが、もうよい……灯籠機関・雄心 誉の名において、貴様を成敗してくれる……!」
彼の腰にぶら下がった軍刀に手がかかった瞬間、ようやく事の重大さを悟った。
――言い過ぎた。堪忍袋の緒を切ってしまったのは明らかだった。たかが自分以外の誰かのためにここまでムカつけるなんて、私らしくないのに。
「ットラ、どけて……! ううぅっ、ごめんなさい! おいらが代わりに何度でもあやまるから、トラをゆるしてあげてよぉ……!」
コタローが必死に、私をかばってくれている。けど、このままじゃコタローもろとも撫で斬りだ。軍刀が振りかざされるタイミングを見計らって、断腸の思いでコタローを思い切り突き飛ばす。
「ありがと、コタロー。もういいよ」
ごめん、コタロー。……おいなりさんは、ちょっと食べさせてあげられないや。
絶体絶命の時の景色ってほんとに、スローモーションになるものなんだ。ああ、なるほど。これが第二の死ってやつか。
これから私は、どうなるんだろう。依頼をくれた神崎さんやみんなには向こうで会えたりするのかな? そもそもこの先ってあるのかな? ――ねえ、どう思いますか、沖田さん。
あーあ……助手が今際の際だってのに、こんな時まで笑顔だなんて、やっぱりひどいひとだなあ。
私は優秀なので、せめてあなたの矜持くらいは守って消えますよ――きたる衝撃に備え、そっと目をつむった刹那。
眼前の障子は、蹴破られた。
「――御用改めである!!!」
今となってはよく耳に馴染んだ、凛としたその声とともに。
三月十三日は新選組の日! またそのうち日野や京都に行きたいなあ




