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三十二、実態は掴めないまま



――山南(さんなん) 敬助(けいすけ)。天保七年(1836)、仙台藩に生を受け、小野派一刀流および北辰一刀流の免許皆伝の腕前に至ったのち、紆余曲折を経て試衛館の食客となる。新選組が発足して以来、幹部として近藤勇からの篤い信頼のもと組織を支えた。性格は極めて誠実かつ温厚、加えて面倒見がよく、沖田総司のことも実の弟のように可愛がっていたという。


 ただ、彼が歴史にその名を轟かせることはほとんどなかったと言ってよい。というのも、新選組が関わった主要な事件にあまり参加できなかったからである。決定打となったのは、文久三年(1863)9月のこと。大阪の豪商である岩城升屋に押し入った不逞浪士との死闘を繰り広げた際、山南敬助は愛刀の赤心沖光を折られ、左腕を負傷するといった事態に陥る。

 それ以降、傷心のためか床に臥しがちになり、山南敬助は隊内での存在感をすっかり失ってしまった。その後も特に目立った活躍はないまま時は流れ、かの有名な‘‘池田屋事件‘‘翌年の慶応元年(1865)2月23日。ついに、山南敬助は新選組を脱走してしまうのだった。

 しかし、突然思い立ったこの計画が上手くいくはずもなく、「江戸へ行く」という置き手紙を残したきり姿を消したところを、数時間後に追手の沖田総司に捕縛されることになる。

 彼が隊を脱走した理由については、勤皇思想における近藤、土方らとの意見の相違とも、参謀・伊東甲子太郎の加入により居場所をなくしたためとも言われているが、その真相については今なお謎に包まれている。

 かつて試衛館で未来を語らい合った大切な仲間であっても、ルールはルール。例に漏れず、山南敬助も隊規違反の対象となった。


浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)でもこう見事にはあい果てまい」直前まで対立していたはずの近藤勇にここまで言わしめた切腹。その介錯人を務めたのは、他でもない――沖田総司だった。



***


……頬杖を突きながら、ひとりむつむつと山南敬助に思いを馳せていた私は、例によってまたもや沖田さんから留守番を頼まれていたのだった。

 ちゃぶ台に、べたーっと顔をくっつける。

 窓辺から漂ってくる線香の匂いに顔をしかめて。父から同じ話を何度も聞かされたせいで、新選組の内部のドロドロ事情にやたら詳しくなってしまったなあ、なんて、深くため息をついた。


 光縁寺で沖田さんは、どうしてあんなふうに私を誤魔化してまで‘‘彼‘‘の墓を隠そうとしたんだろう。あの人は、隠し事をするときほどよく笑うような気がする。何かを貼り付けてるみたいっていうか。


 まあ、少し聞こえは悪いけど自分がとどめを刺したのは事実なわけだし、現世まで来てわざわざお参りしにいったってことは、やっぱり少なからず罪悪感とかあったりするのかな…………いや、いいや。


 これ以上深堀りするのはよそう。考えても仕方のないことは考えるなってよく言うし、それならいっそ気晴らしにコタローと散歩にでも行ってこようか。お客さんは、まあ……そんなに一気に押しかけて来るなんてことはないだろうし。ちょっとくらい不在にしていても問題ないはずだ。


 どうせふて寝しているだろうと思って、帰ってから一度も開けていなかったコタローの根城――押入れの襖を、そろそろと開けてみる。


 何も言わずに長い間留守番させた代わりに、せめて何かおごってあげたい。ちょうど沖田さんから、給料とは名ばかりの六文銭をもらっていたので、さっそくそれを有効活用させてもらうとしよう。とはいっても、正直このあたりの稲荷寿司の相場は分からないんだけど……子供だましぐらいにはなる。よね、たぶん。


「……あれ? コタロー?」


 ぱちくりと瞬きを繰り返すが、何度見ても、押入れはもぬけの殻だった。


 そこはかとない違和感を胸に抱きながら、階段を下りた私は、屯所の中をぐるりと見まわす。


 ちゃぶ台の下にも、座布団の裏にも、階段箪笥の中にも。捜せるところは全部捜したつもりだったが、それでもやっぱりコタローはいなかった。本当に、どこにも。


 さっきからなぜか、室内は気持ち悪いくらいに静かだった。どことなく人工的な静かさが漂っているというか――



 まさか、ね。



 そんなはずはないと理解しつつ。念のためパッ、と後ろを振り返ると。


「――なんだ、誰もいないんじゃん」


 あーあ、ビビッて損した。そう思ったら、体中から、緊張感という緊張感が放出されていくようだった。


 コタローめ……おおかた、私と同じことを考えて大通りに繰り出した後、蓮見湖あたりで日向ぼっこしてると見た。まったく、人騒がせなやつだ。


 しかしこれで、いよいよ本格的に暇になってしまった。私は特に何をするでもなく、ただじっと天井を見つめる。


 そういえば――ここにきてすぐの頃だった。私の発言によってクレーマー気質の神崎さんをブチ切れさせたあげく、部屋を水浸しにしてしまったことを、ふと思い出す。


 たしか、あの時沖田さんは、詳しい事情を聞き出さなかったのに、どういうわけか私のことを全く非難しなかった。(なんなら大笑いしてた気がする。)



 率直に、懐が広い人なんだなと思った。


 今日だって、沖田さんは出がけに、「できるだけ早めに帰ってきますからね」と言い残していった。やっぱり笑顔だった。


 でも、と私は思う。


 それって本当は、使えないって思ってるのをあえて口に出さないようにしてるだけなんじゃないの? そんなふうに、今なら思ってしまう。


 もちろん、答えなんかどこにもない。それに、馬鹿正直に聞いてみたところではぐらかされるに決まっている。


 いつだって、無駄な悩みは孤独な時間に比例するものだ。死んだら楽になれると思ってたけど、まったくもってそんなことはなかった。むしろあの人のせいで、最近ますます頭痛がひどくなってしまったような気がしてならない。


 沖田さんの実態はまるで、浮かんでは消えてゆくしゃぼん玉のようで。彼の本心は知ろうとすればするほど分からなくなるけど。


 そう、ただで居候させてもらってるわけだし、このまま‘‘役立たずのガキんちょ‘‘っていうレッテルを貼られ続けるのが嫌なだけ。



 だから一応、お客さんが来たときのために急須に茶葉でも入れといてやろうかと思った、その時。


――ごめんね、という言葉とともに、私の首筋には鈍い痛みが走った。



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