三十、断じてデートではない。
日が沈むのと同時に宮城を立ち、私たちは帰りの新幹線に乗り込んだ。つい先ほど依頼人である永井さんを見送ったばかりとはいえ、隣で目をきらきら輝かせながら夜景を眺めている沖田さんが気落ちしている気配は微塵もない。永井さんと沖田さん。しょうもない猥談で笑いあったり、本の話題で盛り上がったりと、私からしてみればふたりはけっこう意気投合していたように思えたけど、意外とそうでもなかったんだろうか。変わったことといえば、来た時よりも一つぶん空席ができたことくらいだ。
「トラちゃんトラちゃん。ほら見てください、もう街があんなに遠いですよ」、「おおー。あのくるくる回るものは一体何でしょう?」、「トラちゃん、トラちゃんってば。おーい、むむ、トラちゃん?」ウザ絡みに耐えかね狸寝入りを決め込んでいたら、さすがの沖田さんも、いつまで経っても返事をしない私に話しかけるのをあきらめてくれたようだった。
乗り換えを経て京都駅に着くと、あたりはすっかり暗くなっていた。時間も時間なので、人通りは昼間よりさらにまばらになっている。
「……沖田さん、道案内は任せましたからね」
そう、午前中は(主に永井さんのせいで)ずいぶん遠回りをしてしまったので、どの路地をどんなふうに通ったとか、正直全く覚えていなかった。おまけに京都駅周辺は碁盤の目みたいに町がきっかり区切られているせいで、初見勢からしたらややこしいことこのうえないのだ。もしやあれか、これが噂の京都流のおもてなし……ぶぶ漬け的なやつだろうか。一見さんお断りってか。
そんな、たいして面白くもないことを考えながらアスファルトの上を歩いていると、ふいに、前を行く沖田さんと目が合った。唇の端をこれでもかというほど吊り上げ、彼はこう提案する。「せっかくですし、寄り道でもしていきましょうよ」と。
「却下」
私はほとんど食い気味に答えていた。不思議なことに幽霊となった今でも、疲労感はわりとしっかり残るもので。一秒だってこの世界の空気を吸っていたくない――それが正直なところだった。
「いいんです、いいんです。現世の見回りも兼ねてるんだから」
そう言うなり沖田さんは私の肩を掴み方向転換させようとするが――
「この期に及んで言い訳とかみっともないですよ。実は僕もうろ覚えなんです! とか言い出したらキレますからね、ほんと」
すると、沖田さんは心外だと言いたげに唇を尖らせたかと思いきや、今度は柔らかく頬を緩めてみせた。
「ふふ――もちろん、トラちゃんがどうしても迷子の子猫になりたいって言うなら僕は止めませんけどね♪」
……こうして私は沖田さんによって半強制的に連行される形となった。くそっ、なんとかハラで訴えたらワンチャン勝てるぞこれ。何よりこんな最悪なミステリーツアーがあってたまるか。
だが悲しいことに、勘弁してくれといくら叫んだところで、私の声は誰の耳にも届くことはなかった。
***
駅から歩くこと約20分。目の前にあるのは、大ぶりな白玉や小豆の上に、なんともお上品にホイップクリームの乗せられた薄緑色の甘味。そう、修学旅行といったら!の定番のアレである。きっと数多の情報強者たちがインスタ映えやら何やらを狙うであろう看板メニューの宇治抹茶パフェが、ショーウィンドウの内側で誇らしげに鎮座していた。なんと沖田さんはこれを、私にご馳走してくれるらしい。ご馳走してくれるらしいのだが……
「いや食べるってこれ……ただの食品サンプルですよね?」
疑惑のまなざしを向けてやると、「よおく見ていてくださいね」と沖田さんは自信たっぷりな様子で、宇治抹茶パフェ……の隣にあった、彼が着ているだんだら羽織みたいな配色の爽やかなサンデーを、どういうわけかじっと見つめてみせた。その時だった。私は思わず目を丸くする。沖田さんの手元には、いつの間にかできたてほやほや(ひやひや?)のサンデーが出現していたのだ。どこぞのイリュージョン兄弟も驚きの速さである。なんというかもう、盗み食いとかの次元をゆうに超えている気がしてならなかった。
どんな魔法を使ったのか問いただす間もなく、沖田さんはにこやかにサンデーを頬張り始めた。……自分だけずるい。大人げない。
「ほら、トラちゃんだって生きていた頃、ご先祖様に何度かお供え物をしたことがあったんじゃないですか? ためしに、目の前にあるおいしそうな甘味を食べている姿を、自分の頭の中で強~く思い浮かべてみてください」
「イメージ……」
ショーウィンドウの中の1500円もするらしい高級宇治抹茶パフェと自分とを見比べ、言われた通りに想像する。ちょっと罪悪感もあるけど……ちらっ。閉店後のカフェには当然、店員の影は一つも見当たらなかった。それに……デザートは、別腹だっていうし? 私があれこれ悩んでいる間にも、沖田さんはこれ見よがしとサンデーを満喫している。悔しい。ええい、もう恥とか良心の呵責とか捨ててやる。いでよ、高級宇治抹茶パフェ! そう強く思った瞬間、私は両手でレトロな大きいグラスを抱えていた。沖田さんはニマニマしながらこちらを覗いてくる……なんなんだ。物欲しそうな顔したってあげないから、別に。
「トラちゃんが不思議に思うのも無理ないですよ。本来、死者に食事も睡眠も必要ありませんからね」
――僕らはただ、生者の真似事をしながら、生の続きではない偽物の日々を繰り返しているだけ。
だから、情報として食物をこの身に取り込むのだと、沖田さんはあくまで平然と言ってのけた。
じゃあ、あの時食べたおいなりさんや月餅なんかも情報として取り入れてただけって感じなのか。しゃんばらで何かを食べても、消化されるというよりかは体内に消えてそのままなくなるから、たぶん夢で何か食べた時と似たような感覚なんだろうな。それって、うーん。沖田さんの言葉が、腑に落ちたような、落ちてないような……だってこの和三盆の甘い香りは、まるで本物そのものだ。でもたしかに、もう死んでるはずなのに食欲も睡眠欲も普通にあることを私も少し疑問に思ってはいた。
生者の真似事をしながら、生の続きではない偽物の日々を繰り返す。生産性のない行為を無意味に繰り返しているだけのような気がしないわけでもないけど、生きている頃にすっかりDNAに刻み込まれてしまったルーティーンは今さら変えられない、ということなんだろうか。私はまた、思考のループから抜け出せなくなるのを予感しながら、本当の意味でただの『サンプル』にすぎない――大人気カフェの高級宇治抹茶パフェを、すでに至福の表情を浮かべている彼とともに、とりあえず一口すくってみるのだった。
〜あとがき〜
最近、この小説が続いているのはひとえに読者の皆様のおかげだと感じることが多々あります。というのも……自分でいうのもアレですが、私は他の物書きさんに比べて、ものすごく筆が遅いほうだと思うからです。本来ならいつ見限ってもいいところを、読者の皆様は寛大なお心で見守ってくださる。つくづく、優しい方々に恵まれた自分は本当に幸せ者だなと思います。やるからには、より良いものを。私のモットーはこれからも変わりません。責任を持ってこの物語の顛末をお届けするべく、いっそう励んでまいりますので、どうか変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。(もうじき冬休みに突入するので、たくさん更新できたらと思います!)
私が読者の皆様に感じている恩義は、それこそ山より高く海より深いのだということをずっとお伝えしたかったため、今回こういったあとがきを書かせていただきました。最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!




