二十一、逆行
「…………ねえ、コタロー」
今日も今日とて、隣で一生懸命いなり寿司を頬張っているコタローの顔を、むんずと掴む。
「あの人の弱味とか握ってたりしない?」
まんまるお月様とバッチリ目が合う。私の圧がよっぽどすごかったのか、食べかけのいなり寿司は、ぽとりと床へ落ちた。
「実はわさびが大嫌いとか、常に足袋の穴が空いてるとか、とにかくなんでもいいから‼︎」
コタローが、きゅーんと九尾を縮こませる。
「し、ししし知らないよぉ総司の弱味なんて! いきなりどうしちゃったのさ!」
いつものトラらしくない!ーーコタローの叫びに、私はハッと顔を上げる。
「そ、れは……だって……」
改めて指摘されてみれば。
……たしかに、ムキになりすぎてるのかも。
しかし、だ。
『……役目を全うするまでは、僕もお縄になんてかかっていられませんからね。』
『……僕の敵も、いつだって僕自身だったなあ』
記憶の中では、青く縁取られた絹のような髪束が、風に揺れていた。他を寄せつけない強かさを前に、自分はなんてちっぽけな存在なんだろう、と思い知る。
ーー分からない。沖田総司という人間のことが。
他人に興味を持ったことなんて、後にも先にもなかったはずだったのに、なんでこんな、よりにもよって、今頃……
そこはかとない気持ち悪さに、私は強く拳を握る。
どれもこれも、全ては、意味深なことばっかり言うあの人のせいだ。いつもヘラヘラしてるくせに、時々頬に影なんか差して。それはそれは、たまらなく恐ろしいくらいに。
笑顔の裏を知りたいと思うのは、おかしいことなんだろうか。
ふいに、満足そうに消えていった二人のことを思い出した。
(死者に、気が触れでもした?)
いや。
私は私を正当化するために、沖田さんを利用させてもらうだけ。そうだ、そういうことにしておけばいい。
「けど、総司のことかあ。そんなに知りたいんなら直接聞いてみたら?」
「絶対ダメ、それ以外で。」
そもそも沖田さんは今、担当区のパトロールに出掛けてるっぽいし……コタローに事情を伝えると、なあんだ!と拍子抜けするほどあっさりした声が返ってきた。
「だったら着いていけばいいだけじゃない!」と。
*
「コタロー、こっち狭い。もう少し離れて」
「え〜、トラがあっちに詰めてよお」
周りに怪しまれないように尾行していたせいか、いまや体は大樽の中にギチギチだ。……すし詰め状態とはまさにこのこと、とぼんやり思ってみる。だいたい、コタローの尻尾が幅を取ってるけど。
「シッ……! 静かに!」
垂れ下がる耳を最大限押さえつけ、私たちはササッと身を潜らせる。ちょうどよく、向かいの東屋から沖田さんが姿を現す。もう仕事を再開するようだ。ずいぶん短い休憩だな、私はボソリと独りごつ。持ってきた紙切れに、「仕事人間」と素早く書き記す。他にも、「歩くの速い」、「甘味好き」、「すれ違ったら即挨拶」etc……これ、弱味って言えるんだろうか。なんか、だんだん自信がなくなってきてしまった。
軽くショックを受けていたところ、湿った鼻先が私の手首に触れた。
「どうしたの、コタロー」
「あの人。誰かな」
見れば、見知らぬざんぎり頭の男性と沖田さんが、何やら話し込んでいるようだった。交互に首を傾げ、じーっと二人のことを観察する。
(道でも聞かれてんのかな)
「であれば、何……貴方が主人という訳ですか」
「いかにも! どんな未練でも、お気軽にお申し付けください」
お客さん用なのか、ちょっとかしこまった沖田さんに、彼は「こんな偶然あるものか」といった表情を浮かべるばかりだ。少なくとも道案内をしているわけではなさそう、私とコタローは顔を見合わせる。
「壱度、店の方にも伺ったのですが誰もおらずーー」
「あれれ。おっかしいなあ……たしかに僕、」
大きな耳が、すぐさまピンと上を向いた。著しいまでに機能する第六感。私たちはそそくさとその場を後にしようとする。ところが。
(やば)
がたん、とローファーが樽に引っかかったのを皮切りに、私たちはごろごろ転がり始めた。
「「うわ〜っっっ!」」
思ったよりまずいかも。コタローがタワシみたいに見えてきた。遊園地のティーカップなみに目が回ってきて、たすけて……と、声も絶え絶え、その時だった。
「お留守番を、頼んでいたはずなんですけどっ?」
軽く息を弾ませた沖田さんが、片手で樽を止めてくれた。コタローは、赤ん坊のごとくピーと泣きつく。
「もー、いつも言ってるでしょう? お客さまを困らせるようなことしちゃ駄目だって」
沖田さんは、言い聞かせるようにコタローをひと撫でする。
「……がと、ございました」
この時ばかりは、私も感謝せざるを得ないと思ってしぶしぶ頭を下げたのに、返ってきたのはやっぱりニヤニヤ顔だった。
「おや、珍しいですねえ。こりゃ明日は雪が降るな」
「そういうことではなく」
「ま、僕にすぐ尾行を気づかれるようじゃ、まだまだですけどね!」
食い気味に言われ、悔しさが限界に差し掛かった頃、さっきの男性がカランコロンと下駄を滑らせてやってきた。
「この度は、うちのわんぱく坊主たちが」
(ボウズは余計だ)
「ご迷惑をおかけしました……」
沖田さんが、すごーく申し訳なさそうに腰を折る。私も頭を下向かされたので、仕方なく合わせておく。
それはそうと、ちょっと大げさすぎやしないか? 私の薄ら目は、苦笑まじりに顎を添える男性を捉えた。