二十、きみはオデット
今まで溜まっていた思いを全て吐き出すかのように、早紀さんが息継ぎをする。すでに、大粒の涙が浮かび上がっていた。
「だれ、にも頼りたくなくて、頑張らなきゃって、でもっ……ホントは毎日、不安で不安で、しかたなくって。心のどっかでひとりぼっちだったのよ、わたし。だから、かなぁ? お姫様になってみたかった、んだと思う……みんなに持ち上げてもらったら、絶対気分がいいんだろうな、なんて、思っちゃったりして」
早紀さんは子どものように、えぐ、えぐ、としゃくりあげる。
少しためらった後、あの、と私は手を挙げる。
「一個だけ、いいですか」
素知らぬ顔で、口笛を吹かす沖田さん。されども構わず、私は続ける。それ以上に、どうにも引っかかることがあったのだ。
赤い双眸を、真っ直ぐ見据える。そうだ、きらきら光るガラス細工ほど……脆いものなんてないんだから。
「私、どっちかっていうと陰キャだし……友達付き合いとかそういうの、詳しいことは、あんまり分かりませんけど。少なくとも私たちみたいな赤の他人が、早紀さんを嫌う理由はないと思うんです」
ほんの短時間の交流を経て直感した。彼女は、人に好意を持ちやすいし、持たせやすい性質を持っているのだと。
「はぇ、いや、でもほら、私、めっちゃ日焼けしてるし、デカ女だし……」
わざと好意につけ込むような輩がいたなら、 過剰なまでの自己肯定感の低さにも簡単に説明がついてしまう。なんだか他人事とは思えなくて、なかばムキになって私は反論する。
肌色がなんだ、体格がなんだ。
「健康的で、生命力に満ち溢れていて、私はいいんじゃないかと思います。その……なんというか、元気ももらえます、し」
ボソボソ呟いたのを早紀さんは聞き逃さなかったのか、「それ、ほんと?」と目をぱちくりとさせていた。
その時だった。早紀さんは、ぎゅーッと力いっぱい私を抱きしめながら、私のパーカーで鼻水を拭いた。
(ちょっ……さすがに暑苦しい!)
やせっぽちな体は、みるみるひしめく。
この、体育会系特有のノリは、どうも私の肌には合っていなかったようだった。
かすかに残った意地と気力で、早紀さんのたくましい体をひっぺがすと、ふにゃっとした笑いが返ってきた。あまつさえ、沖田さんまでつられて笑ってるようじゃ……一体全体、何がそんなにおかしいって言うんだろう。
「にしても生命力、かぁ。トラっちも、けっこうギャグとか言うんだね。もう死んでるっつーの、私っ!」
こんなにも、鏡なんて無くなっちまえと強く願ったことはなかった。ああ、顔が熱い。
(いまいち締まらないんだよなあ……)
いっそのこと、流れに身を任せたほうがいいんじゃないか?とさえ思えてくる。
「……んふふ、味方になってくれて嬉しかった。ありがとね。トラっち」
私の頬は、パン生地みたいにこねくり回される。もうやけくそだ。
「はあ……おひはさんははほ、はんほはひっへふははひほ(※沖田さんからも、なんとか言ってくださいよ)」
途端に、沖田さんは、くっくっ……と押し殺したように喉を鳴らし始めた。
くそ、他人事だからって。
私は出来立てのクリームパンとかロールパンになったまま、抗議の視線を送ってやる。
沖田さんは、気を取り直したように、ゴホン、と咳払いをする。
「そうだなあ。僕としても、女こどもには、いつでも幸せに笑っていてほしいものですねえ」
そうそう!笑顔が素敵な子には、神様がやって来るんですよ〜! 沖田さんは一軍JKさながら、ほっぺに人差し指を突き立ててみせた。
それって"笑う門には福来る"ってヤツ? だんだん、沖田さんの考えることが手に取るように分かるようになってきて、自分で自分に引いてしまう。
「私ね、今まで。自分に自信がないんだろーなって思ってた。むしろ、だいっきらいだアホーっっっ! くらいに思ってた」
きっと、河川敷なんかで数えきれないほど叫んできたんだろうな。声を枯れさせた早紀さんは、両膝に手の平をくっつけていた。
「でも、違ったんだね。多分さ、私は私のまま、誰かに肯定してもらいたかったんだよ」
思いがけず、生唾を飲み込んだ。
「バカな努力だってからかわれても、この黒い腕ごと、本当はーー誰かに、愛してもらいたかったの」
自分の体を、それはそれは大事そうに抱きしめる早紀さん。まるで、からだ全体がプライドそのものなのだと言うふうに。
「パパ、ママーっ! 私を丈夫な体に産んでくれて、本当に、本当にっ、ありがとうございましたーっっっ!!!」
ありったけの声を振り絞った後、早紀さんはどこか、すっきりした顔でこちらに向き直った。
そう、今、私たちの目の前にいるのは、ちょっと力持ちで、ちょっと声が大きいだけのーーただの、女の子でしかなかった。
*
上で、ガサガサっと音がした。食べ過ぎで動けないコタローの様子を見に行くと言ってから、沖田さんはもう5分は戻ってこない。
その間、私は何をしていたのかというと……
「さいごにハッキリさせてほしいんだけどね、トラっちとそうじぃって付き合ってんの?」
「なぜそうなる」
質問攻めに遭っていた。間髪入れず答えるも、早紀さんに諦めの文字はない。またまたー、と彼女は私の脇腹をつつく。くすぐったいのを、我慢する。
「えへ、直感だよーん」
「どこが!」
第一、私と? 沖田さんが? ないない、ありえない。たとえ天地がひっくり返ったとしても、可能性はゼロだ。
すったもんだを繰り広げているうちに、最悪なタイミングで階段から降りてきた本人が、おやおや、と片眉を上げる。
「仲良くお喋り、いいですねえ。二人でどんな話をしてたんですか?」
コタローは、満足げに彼の両腕に収まっていた。
(言うなよ、言うなよ……)
無論、フリではない。
早紀さんは、え〜どうしよっかな〜とでも言いたげにニヤニヤすると、
「……い〜や、ガールズトークだもん! 男たちには内緒に決まってるでしょ、ね、ね、トラっち?」
悪戯っぽく、指を絡ませてきた。
「そういうことなら、これ以上深掘りするのは野望ですね。残念、残念!」
*
「はあーあ。もっとライブ行きたかった」
「はい」
「高校生のうちにカレシもほしかった」
「そうですね……」
私の当たり障りのない相槌に、早紀さんが苦笑いを浮かべた。
「……ってうわ、だめだねウチ。ここにいると、なんかだんだん欲張りになってきちゃう」
彼女はその場に深くしゃがみ込んだかと思うと、次の瞬間には勢いよく立ち上がっていた。
「あー! 次こそ、本物の全肯定王子様に出会いたい‼︎」
「そうでーーえ?」
(王子……って言うと、外国とか、そうでなければ……それこそ異世界転生、とか?)
ぽかんとする私を置いていくように、早紀さんの体は少しずつ薄くなってきた。いや、半透明になってきていた。成仏の時が訪れたのだろう。
「やっぱり私ね、来世でも"北上早紀"として精一杯生きてみようと思うんだ!」
無垢な笑顔に、私はただ、あ、とかすかに声を洩らすほかなかった。
「早紀さん、多分それはできなーー」
しーっと、すぐ側で沖田さんが囁く。
「それは言わない約束ですよ、トラちゃん。魂の行き着く先なんて、僕らにも分からないじゃないですか」
「……もう行くんですか」私の呟きに、早紀さんは、うん、と穏やかに微笑んだ。
「覚悟、決めたんですね」
「うん。でも……私、生まれ変わっても、絶対3人のこと忘れないから」
スッと宙から差し出されたのは、おおきな小指。
「やくそくっ! なんなら、私の妹として生まれてきてもいいからね! ……だからそうじぃ、それまでトラっちのこと」
ちゃんと可愛がってあげてねーー
手を伸ばしたときにはもう、エコーがかった声すら、しゃぼん玉のようにぱちんと割れてなくなった。
それでも名残惜しく、しばらくしてから、沖田さんが手を振るのをやめて告げた。
「ーートラちゃん。僕のことは、やっぱり好きになれない?」
唐突すぎる質問。私はハ?と面食らう。
(好き? それってまさか、さっきの会話盗み聞きしてーーっていやいや!)
沖田さんはたまに、ゾッとするほど勘が鋭くなる。
なぐさめるように、コタローが沖田さんの頬をちろちろ舐める。
「おいらは総司のこと、かまきりの次に好きだよ!」
「うわ、カマキリはさすがに」
コタローがあまりにも無邪気に宣言するものだから、私も思わずつられてしまった。
「虫以下って……それじゃ、嫌われても仕方ないですよね……」
肩を小さくする沖田さん。見ていられない。
「たしかにカマキリは無理です。でも沖田さんのこと、別に嫌いとは言ってませんよ……」
それにしてもこの人、こんなにナヨナヨした人だったっけ? プチメンヘラみたいな面倒臭さも相まって、いよいよ調子が狂ってしまう。
「あははっ、見事に騙されましたね! 嘘に決まってるじゃないですかあ」
陽気な種明かしに、そら見たことか、とコタローへ目配せする。
「トラちゃんが僕を好きであろうとなかろうと、そんなの気にすることではないんですよね。ちょっとの間君の力を貸してくれれば、それだけで充分ですから」
(あれ、なんか、今。)
お前なんかに興味ないって、遠回しに突き放された気がーー頭で腕を組まれているせいで、表情はよく見えなかった。
「……僕の敵も、いつだって僕自身だったなあ」
「え?」
「なんでもありませんよ」
少し翳った彼の横顔を、覗き込んでみたいと思わずにはいられなかった。
ブクマ・感想などなど、励みになりますので、お気が向かれましたらぜひよろしくお願いいたします! 久しぶりの投稿になってしまいましたが、これからも、沖田さんたちの物語を届けられるよう力を尽くしていきたいです。
追記:早紀さんのモデルは、「ウチ、どーしても一人称私にできないんだよね。キャラじゃないし?」と言っていた筆者の友人です。みんながみんな、本当の自分を愛してあげられるようになったらいいなと思います。