十八、ギャルとボート
コタローは、さっそく看板狐としての役目を果たしてくれたみたいだった。
「玄関先に可愛すぎるお狐さんがいるでしょ? まあまずモフるじゃん。そしたらさ、未練解消してあげるって言うもんだから……これはいっちょ入ってみるしかないな! って思ったんだよねえ。てかやば、この月餅うまー!!!」
目の前で繰り広げられるマシンガントークに、私も沖田さんもうんうんと相槌を打つ(正直ちょっと眠たくなってきたけど)。
お茶菓子をむしゃむしゃ頬張っている彼女ーー北上早紀さんは、気持ちの良い飲みっぷりを見せた後、湯呑みをタァン! と、豪快にちゃぶ台へ置いた。コタローが、すかさず早紀さんの膝にダイブする。
「おいらはコタロー。ほんで、毛並みがサラサラしてるほうが総司、そんでもって短いほうがトラね! どっちもおいらの恩人なんだ!」
「へー! んじゃコタちゃん、そうじぃ、トラっちか! オッケー、よろしくね! あ、ウチのことは好きに呼んでいいよん♪」
眩しすぎる陽のオーラ、しかし不思議だ。全く嫌味が感じられない。いかにも"人懐っこい黒ギャル"といった雰囲気だった。分け隔てなく向けられる小麦色のえくぼが、なんとも印象深い。
……というか、"そうじぃ"って。
もしかしなくても、
そう爺ーー総司+爺ってこと?
現代人とはいえ、何かしら感じるものがあったんだろうか。即興のネーミングセンスに、いよいよ拍手を送りたくなってくる。
「おお、そうじぃですか! うんうん。いいですねえ、可愛らしくって。八木さん家の子たちを思い出しちゃいますよ……」
見れば、分かりやすいくらいにぽやぽや〜っとしている。
またしても何も知らない沖田さんーー込み上げてくる笑いを、私は必死になって抑えつけた。
(? どうしたんだろう。)
私のセーラー服を一瞥した早紀さんが、せんべいのざらめを零しながら唐突に尋ねる。
「ねえね、トラっちの学校にもボート部ってあった?」
「……なかったですね。そもそも、ボート部って部活があること自体知りませんでした。」
ボート……少なくとも文化部ではなさそうだから競技用、なんだろうか。初耳だった。公園でたまに見かける、錆びれたアヒルのヤツくらいしか思いつかない。
「えー! まじ? 知らないのお? インターハイも行ったしそこそこ強かったんだよ、ウチ!」
早紀さんが、前のめりになってぷくーっと頬を膨らませる。
「いんたー、」
「はい?」
沖田さんとコタローは、交互に首を傾げていた。
「うぐ、そっか……あんま認めたくなかったけど、マイナーっちゃマイナーなのかあ」
話を理解していなさそうなふたりに、私はざっくり、かなりざっくり説明する。ボートは船を漕ぐスポーツで、早紀さんはそれの全国大会にまで出場したすごい人らしいんですよーーと。
だいたい、合ってるよね?
私の意図を汲み取ったように、早紀さんが頷く。
「ウチ、ボート部のキャプテンやっててさー。こないだのインハイ、結局シングルで良い結果残せなかったのね。そんで、表彰台上がれなかったのがめっちゃ悔しくて、みんなと吐くぐらい努力して…………冬だった。まだまだ頑張るぞって時に、たぶん、転覆したんだわ。」
聞き慣れない専門用語ばかりだったが、最終的にボートが沈んでしまった、ということは、早紀さんのジェスチャーのおかげでなんとなく察することができた。
僕も剣に打ち込んでいたから、心中お察ししますよ ーー沖田さんが口を挟む。
「早紀さんの未練も、その"ぼーと"とやらの試合にあるんでしょう?」
「うーん。どうだろ、違うんじゃないかな」
先ほどとは打って変わって、ふっと、一瞬力のない微笑みが向けられた。
「ボートのことは好きだったし、やればやったぶん、努力が報われてくのは楽しかったけどね。でもさあ、ウチが死んだ時だよ? やっと解放された! とも思っちゃったんだよね。」
(ああ……)
私は目を開く。同じだ、と思った。
「だってね、練習めっちゃキツいんだもん! 顧問は鬼だし、四時起きは普通だし、エルゴやった後の部員のキラキラ掃除なんて、もう日常茶飯事だったんだから!」
でも辛かったことも、楽しかったことも。全部ちゃんとここに残ってるよ、穏やかだけれど強かな声音に、私は少しだけ怯んだ。
「充分すぎるくらい、毎日充実してた。だからもう、ボートに未練はないよ。」
きっぱりとそう言われた。それでね、今日の依頼は、と早紀さんが続ける。
「一日だけでいいから……」
いいから、その先は、なんだ? この人は一体、どんな未練を抱えてるんだろう。私たちはゴクリと生唾を飲み込む。
「私をーー"お姫様扱い"してくださいっ!!!」