十二、詠唱
ーーもぞもぞ、もぞもぞ。
寒いのだろうか。狐は私の、例のダサパーカーの中に潜り込んできた。
不覚にもカンガルーの親子状態になってしまって。
なんだかすごく、こそばゆい。
(まあ、黙ってればそれなりに可愛いんだよなあ。)
私の手つきを、沖田さんは興味深そうに見つめている。
「並々ならぬ母性でも感じているんですかねえ、トラちゃんの懐に。」
「……今のちょっと気持ち悪かったです。世が世なら、間違いなくすっぱぬかれてますよ」
「もう、いちいち世知辛いんだから。」
「コンプラ警察からの怒涛のインタビュー、せいぜい頑張ってくださいね」
記事の見出しは多分こうだ。
『全歴女震撼-幕末の偉人O・S氏、女子高生相手に問題発言か⁉︎-』
ああ、明日の朝刊が楽しみで仕方ない。しめしめ笑う私に、沖田さんはぷくーっと頬をふくらませる……と、思いきや。
「ーーところがどっこい! 死後の世界では通用しないんだなあ、これが。」
「はあ、だる。」
ーー残念でしたね♡ 嬉々として言う沖田さんに、私はがっくり肩を落とす。
まあ、無理もないのか。生身の人間がこの現場を激写できたところで、実際にフ◯イデーするのは難しい。ほぼ100%の確率で、心霊写真になっちゃうだろうし。
それ以前に幽霊と対話できる記者って、滅多にいないと思うんだけど……。試しに沖田さんに聞いてみようとしたところ、
「……役目を全うするまでは、僕もお縄になんてかかっていられませんからね。」
そう、ぽつりと呟いていた。
自分の耳を疑いたくなるほど、消え入りそうな声だった。
なんで。
(そんなに、寂しそうなの……?)
危うく伸ばしてしまいそうになった手を、無事引っ込めることができたのはーーなんとも奇奇怪怪な、とある風景のおかげだった。
強い西日に、私は目を細める。
「沖田さん。"アレ"……なんですか?」
袈裟を見に纏った人型たちが列をなし、山へ山へ隠れゆく。
どういうわけか、皆一様に竹籠のようなものを被っているせいで、顔がよく見えない。そもそも、確実に顔があるとも言い切れない。
葬列みたいで、たまらなく不気味だ。
「ああ、彼らはーー」
我に返った時にはもう遅く、私はうっかり、沖田さんの袴の端を握ってしまっていた。
うふふと、やわらかい笑みが向けられる。
「ちょうど良いですね。トラちゃん、そのままで構わないので、僕にちょっと着いてきて」
「あまりの怖さに腰が抜けたとかでは絶対ないです。」……いつもなら、すぐさま弁解していたところだ。
でも、そんなことはできそうになかった。
すぐそばで、かなかなかなーーと、ひぐらしが囁いているような気がしたから。
*
たぶんここは、全く手入れがされていないのだろうーー私は懸命に肌をさする。かぶれそうなくらい、草がボーボー生えていた。
「沖田さん……」
首をもたげれば、長いこと墨汁に漬けられていたのかと思うほど、異様に黒ずんだお地蔵さん。
「一体なんなんですか、この場所は!」
沖田さんは、あたかも困ったように頬をなぞる。
「何ってそりゃ……お化け屋敷の入り口に決まってるじゃないですか。」
"決まってるじゃないですか"じゃないんだよ……! こっちは分からないから聞いてるのに。それに、お化け屋敷だって? 毎度毎度、冗談に限度というものはないのか。
ーーガサガサッ
突然鳴り出した音に、思わず「ひっ」と息を飲んだ。
(茂みのほう、から)
い、いやいや。こんなにうっそうとしてるんだ、からすとかが近くでガアガア鳴いていても、なんらおかしくはない。
いちおう。狐はずっと、すやすや眠ったままだ。私はあたりを見回すも、"人っ子一人"見つけられなかった。
「えっ。ちょ、ちょっと、沖田さん⁉︎」
(うそでしょ消えちゃっ)「ばあっっっ!」
「………………。」
「うわっははははは……! すっ、すみません! 実は一度っ、やってみたくて!」
沖田さんは茂みの中で、トラちゃん最高です、とひいひい言っている。ああそうですか、分かりました。私は淡々と告げる。
「お望み通り、沖田さんはいないものとして過ごさせていただきますから」
そう。お化けらしく、ね。
すたすた歩いて帰ろうとすると、沖田さんが慌てて私の右手を掴んだ。
「まだ何か」
「いつもの冗談ですって! そんなにかりかりしていたら、せっかくの美人が台無しですよ!」
私はじとりと彼を見下ろして、いっそう重いため息をついてみせた。
「おだてなくてけっこう」
「こけこっこう!」
「サヨナラ」
だって、もはやフリだよね? ところが沖田さんは、なおも私を引き止めようとする。
「いやマジで何……」
色々疲れたのもあり、ひとまず残ってやることに。かなり仕方なくだけど。うなだれる私に「よく見ててくださいね!」と、沖田さんは力こぶを作ってみせる。
黒ずんだお地蔵さんが納められた祠へ、ふたり並んで歩く。ピッと、沖田さんの人差し指がそのお地蔵さんに向けられた。
「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ!」
すぐ隣で呪文めいた言葉を流暢に唱えられるのだ、さすがの私でも凍りつく。
(まさかとうとう気が狂って……)
そういえば沖田さん、今日は一段とテンションがおかしかったようだし。
天才剣士もいよいよかと腕を組んだ、その時だった。
叫ぶような地響きが、私たちを連れ去っていった。