十一、日曜日のドッグラン
「ほうらトラちゃん、たんとお食べ。」
「もっ、もういらないですってば!」
私は、矢継ぎ早にやって来る菜箸を全力で阻止する。
言うなればそう、"運動会のおばあちゃん特製弁当"。
ちゃぶ台いっぱいに並べられたおいなりさんをペロリとたいらげた狐は、上機嫌にスキップ(みたいなもの)を踏みながら、玄関へと向かっていった。
「ああっ、いつの間にっ!」
沖田さんが、小走りで狐を追いかけようとするので、私もそれに続くほかなかった。
うう、お腹がはち切れそう。
ここに来て、まさか線香の溶けた匂いを美味しいと感じるようになるとは、夢にも思わなかった。甘じょっぱいおいなりさんは今日の夢にも出てきそうだけど……わんこそば方式はもう、こりごりだ。
ふいに、狐に目がいく。
狐はなんとも言えない表情で、軒先の風ぐるまをじいっと眺めているようだった。
(……動物のくせして、いっちょまえにおセンチになってんのかな。)
私の顔横を、長い手が通り抜けてゆく。呆然とした狐は、そのままひょいっと抱き上げられる。予想通り、沖田さんだった。
「時に賢いお狐さん。僕の味付け、お気に召していただけましたか?」
沖田さんの抱き方のせいなのか、まだ首の据わっていない赤ちゃんのように、狐はこくこく頷いている。
そうですかそうですか、それは何よりです、と沖田さんはちょっぴり口角を上げた。
「なら、"ご褒美"をいただかなくっちゃ困るなあ。」
ねえ?
いかにもわざとらしく、こちらに視線が投げてよこされる。
「はあ、"未練教えろ"の間違いでしょ」
ーー相変わらず、抜かりがないというかなんというか。
そう思ったのと同時に、承知したと言わんばかりに身を翻す狐。
「(見てて!)」と、自信に満ちた目が私たちを捉える。
すると狐は前足だけで、何やら地面をかしかしやり始めた。
「ええっと……」
狐のジェスチャーが何を意味するのかはよく分からない。が、とりあえず一生懸命なのは伝わってくる。かろうじて、だけど。
「僕、分かったかもしれません!」
名探偵然とした沖田さんの顔に、狐はぱあっと歯を見せて笑う。私は嫌な予感を抱く。
「ここほれコンコン! でしょう?」
大のおとなが可愛い狐の真似しても痛いだけですよーーそうツッコみたいのはやまやまだったが、今は狐の反応のほうが面白く、そんなこと言ってる場合ではなかった。
狐は絵に描いたようにすってんころりん、ずっこけていた。もしかしたらリアクション芸人よりも上手いかもしれない。間の取り方とか。
「ご長寿クイズじゃないんだから…………蓮見湖? でしたっけ。あそこに行ったほうが、よっぽど早いと思いますけど」
背後ではきっと「お狐さん、くいずってなんですか?」「(知らん)」こんな会話が繰り広げられている。そんな気がする。
*
蓮見湖に到着するなり、何を思ったのか、狐はぴょんぴょん跳ね出した。
「なになにーー僕に遊んでほしい?」
おそらく、ぱっと目についたものを選んだのだろう、湖に浮かび上がったフリスビーを、沖田さんは遠くに投げ飛ばす。「それ!」掛け声を合図に、フリスビーめがけて狐がわーっと走る。てちてち戻ってくる。1セット、2セット……これじゃまるで、日曜日の犬と飼い主だ。
(ドッグラン……)
単調な動きを、何度も何度も繰り返していた。
「ねえ。あんたの未練ってまさか、こういうオモチャで遊ぶことだったの?」
たくさん走らされて肩を上へ下へ動かす狐に、私は尋ねる。でも狐はきゅー、とか、ひゅーい、とか、曖昧に鳴き続けるばかりだ。
ふと、ある仮説が頭によぎる。
狐みたいな野生の動物でも、ちゃんとしたところにちゃんとした申請をすればペットにできるのだと、昔テレビで聞いたことがあった。
もしや。この狐は生きていた頃、飼い主と何かあったのだろうか。
そんなことを悶々と考えているうちに、気づいたら狐はすやすや眠ってしまっていた。
「おや。遊び疲れちゃいましたか。」
「沖田さんのせいじゃないですか」
「すみません! でも、僕らより格式が低い場合が多いんですよねぇ狐って。」
「はあ」
いきなりなんだと思えば。それに格式が低いってどういう…………魂のレベルみたいなアレか?
ちんぷんかんぷんな私をよそに、だから、と沖田さんが続ける。
「しょせん相手は低級霊、なーんて言ったら祟られそうですけど、それらしきものを与えてやれば、お狐さんだってきっと満足してくれるはずなんですよ。」
「んなテキトーで大丈夫そうですか」
私の胸にじわじわ不安が広がる。「面倒ごとになる前にさっさと未練を解消させちゃおう」という魂胆が見え見えなのだ、さっきから。
「……まあ、ちょっと厄介なお客さまであることは僕も否定できませんね。人語を解さない以上、未練の確信もままならないでしょう?」
(すがすがしいほどの開き直りっぷり……)
でも。
狐の考えることなんて、表情や仕草からなんとなく分かりそうなもんだけどなーーだけど、そんなふうに思うのは、ひょっとして私だけだったりするんだろうか。
私はただ、腕の中でぴくぴく震える狐を、耳ごとそうっとーー撫でてやった。




