十、虎の威
いつも通り、マジックの落ちない上履きを滑らせながら席に着く。
机の中いっぱいに敷き詰められた菊たちが、今日は一段ときれい。毎日誰のお墓からくすねてくるのか見当もつかないけれど、私は梱包材をぷちぷちするみたいに、とりあえず菊の花びらをむしり取る。
そうすれば教室の喧騒だって、自然と無視できてしまう。
私はブルーライトに目を細める。
緑の縁の内側へは、親しい人しか入れない。
右ななめ前に座る子のうざったい視線から察するに、投稿内容はおそらくこうだ。
『ぶりっ子女豹、マジ氏ね〜ぴえんを添えて〜』
この箱庭にいるかぎり、狩野虎美は意地汚い女豹。しょせん私は、みんなにとってそういう認識でしかないのだ。一軍の女子たちに言わせてみれば、どうやら"虎も豹もたいして変わんねーだろ"、ということらしかった。
ーーてかモモの彼氏に色目使うとか命知らずすぎん? うわ、たっくん取られたってやっぱマジだったんだ。しかもp活常習犯らしいよ。いやぁさすがに詰んだくね? 女子もよくやるよなー……
(知らない。たっくんって誰。p活って何。)
根も葉もない噂を流され続けた結果、とうとう仏の顔の使用期限も切れたので、物は試しとたまには席を立ってみる。
もう勢いに任せてしまうことにして、重たい前髪をかきあげる。
「あの。ユーザーネームmomo_dayonさんに伝えてもらっていいですか?」
淡々と告げる私に、クラス中の誰しもが息を呑んだ。してやったり、私はにやりと笑ってみせる。
「……私、あなたがたに隠し撮りを許可した覚えなんて一才ないんですけど、って」
そんな勇気があれば良かったと、ずっと思っていた。
そんな勇気は出せるはずがないと、私が一番、知っている。
*
朝を告げるやかましいドラの音に、私は眠い目をこする。
久しぶりにいやな夢を見たのは、あまりにも寝苦しすぎたのが関係しているんだろうか。
なんだか布団も重くてあついような気がするし。
(まだ覚醒してないのかな)
どれ。そろそろ顔でも洗ってくるかと寝っ転がったまま、あんどんを近くに寄せると……
「ひ、ぎゃあああああああああああああ!」
髪を長〜く垂らした白装束の幽霊が、私の腰にガッチリしがみついていた。
「う〜ん、湯たんぽ……むにゃむにゃ……」
私は幽霊を枕でひっぱたく。おかげさまで完全に目が覚めた。そうしているうちに、じわりじわりと確信を得る。さらさらのロン毛を高めのポニーテールにすればアラ不思議、沖田さんの出来上がりーー私は短く舌打ちする。布団の正体あんただったのかよ、と。
……そうだ、色々思い出した。昨晩神崎さんと別れた後、すっかり酔っぱらった沖田さんを無理矢理引きずって、私はやっとこさ屯所まで帰ってきたのだった。
寒いなか野宿するわけにはいかなかった。でも寝床はもちろん別々にしたはずで…………いや。
「とりあえず起きろおおぉ!」
私は沖田さんをべりっとはがす。投げ飛ばされたせいで負傷したのか、沖田さんは背中を何度もさすっていた。自業自得である。
「そんなにさけんで、朝っぱらからどうしちゃったんですか……」
覇気などみじんも感じられないあくびに、ひたすらまばたきを繰り返す。この人、朝が苦手だったのか。
ついに弱みを握ってしまった。寝起きドッキリは最悪だと思うけど、思わぬ収穫を得ることができて何より。私は心の中でガッツポーズをする。沖田総司は朝に弱い。ちなみに使い道は分からない。
*
「暇だ……」
ああ悲しきかな、今日も今日とて閑古鳥が鳴いている。私たちはかれこれ三日ほど、特にやることもないままうだうだしていた。
(なんでもいいから刺激がほしい。切実に。)
そんな私を見かねてか、沖田さんはぽんと手を打った。
「よし決めた! 今日はどうやったらお客さんを呼び込めるか、作戦会議をして過ごしましょう!」
「店じまいする気満々じゃないですか」
お客さんの呼び込みって言ってもなあ。求人サイトに広告を載せるくらいしか、今は方法が思いつかない。
そもそも未練だって、解消しようがしまいが個人の勝手だ。
晴れて未練解消できなかったとしても、その人の魂が消滅するわけじゃない。しゃんばらにおいて一番重要なのはあくまで未練の"自覚"なのだと、この暇すぎる三日間で沖田さんから散々聞かされた。
「まあ無理もありませんかねえ。ふざけたのぼりにおんぼろ扉、おまけに看板娘は愛想が悪いときた!」
「あーはいはい。それならいっそ、誰にでも尻尾振る看板犬でも捕まえてきましょうか」
ふざけたのぼりとおんぼろ扉については、別に私関係ないし。
「こらトラちゃん、拗ねるんじゃありません」
ーーカンカン。
今にも沖田さんとの小競り合いが始まりそうなのを阻止するように、タイミングよく呼びりんが鳴らされた。
二人して、まさかと顔を見合わせる。
一階まで駆け降りていく。店先のカンカンがしだいに、"こんこん"に変わる。
(んん⁇)
観音とびらをギギ……と開けると、もふもふのマフラー、ピンクの耳がちょこん。
私の胸に飛び込んできたのは、お客さんではなく。
尻尾を丸めたーーお狐さんだった。
あとがき
(寝相悪ッ! 信じらんない!)