堺代官所
五月、遣明船派遣の噂が流れる。足利義政の幕府は、派遣船を調達する費用、銭一千貫を、大内教弘から借りたという。
この借金のおかげなのか、翌六月には、大内氏が長年にわたり安芸武田氏と争っていた東西条(現東広島市)が、大内氏の領地と認められる。
今回の明国による遣明船派遣許可には、但し書きがついていた。「鏡台を五百基送れ」とのことだった。基とは、鏡台を数える場合の単位である。現在の日本の数え方であり、当時の明国が基という数え方をしたかどうかは、知らない。
それよりも、明国が貢物を指定してきたのが驚かれる。遣明船は朝貢貿易であるとされている。中国周辺の蛮族が、中国を慕って、地産のしょうもないものを貢いでくる。それに対して中国は、蛮族の貢物をはるかに超える価値のある宝物を下賜する(下げ渡す)というのが、中国が考える朝貢貿易のかたちである。
これは、蛮族と敵対するよりも、施して恩を売る方がよい、という安全保障策であると考えられてきた。
その中国が貢物を指定してくる、というのは異例である。
ただし、来朝する船の数は三隻と、大幅に削減された。前回、西忍さんが渡明してきたときの遣明船は九隻であったから、三分の一に減らされたことになる。
隻数が減らされたのは、日本側の理由によるものではなく、明の側に理由があった。
少し前に明国に鄭和という希代の航海王が出現した。
鄭和は、一四〇五年から一四三三年にかけて七次の航海を行い、東南アジアから、インド、アラビア半島、アフリカのケニアまで航海をした。
インド洋は古代ローマ時代より航路が開拓されていたし、鄭和の航海は、後の西洋の暴力的航海とは異なり、比較的平和な航海であったので、アフリカという遠地までたどり着くことが出来たと思われる。
鄭和の南海遠征により、明国に朝貢する国の数が大幅に増えてしまった。明は一つの国あたりに、あまり金をかけていられなくなったのである。
片田は、琉球を通じて鏡台を輸出していた。需要があることは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
「これは、すごいことになりますね」片田商店の番頭、大黒屋惣兵衛がホクホクと笑った。
「そうだといいのですが」片田が答える。
「そうですよ。かならず開き入札になりますよ」買い手が多すぎてオークションになる、という意味だ。
「明国の幕府が五百も買う、ということは、明の民や商人も欲しがるということでしょう、それをあてこんで大内も幕府も、こぞって鏡台を求めてきます」明国に幕府はないが、惣兵衛さんは明朝廷のことを言っているのであろう。
堺の代官所から、片田に呼び出しが来た。
堺の町は、摂津国と和泉国の境界にある。堺から少し東に行くと河内国との境界もあるので、三国の境にあるといってもいい。
堺の真ん中に東西に走る大小道という道があり、そこより北が摂津国の堺北荘、南が和泉国の堺南荘である。
摂津国の守護は細川勝元で、和泉国も細川氏である。細川氏である、というのは、守護が二人いるからである。
両方とも細川氏である、ということもあるのか、堺の代官所は一か所しか置かれていなかった。
片田商店は、戎島正面の海岸沿いにあったので、堺北荘にある。その裏手に菅原神社があった。菅原神社の北の境が大和路であり、その路を挟んだところに代官所がある。
「堺北荘の商人、片田順であるか」代官の八木主水介が尋ねる。
「はい、私が片田です」
「鏡、鏡台を扱っているそうじゃな」役人らしく、正確な物言いだった。
「はい」
「そちが、鏡台を不当に高額で販売している、との訴えが入っておる」
「いえ、そのようなことはございません」片田が驚いて言った。
「もともとは、京都室町通りにおいて、一基二百文で販売していたものを、昨今は、開き入札と称して千文以上で販売していると聞いておるが」
「商いとしては、買い手が多い時には普通のことでございます」
「箔屋座から、鏡台は抜け荷であるので、荷留されたい、との訴えも出ている」
「鏡は箔ではありません。金箔に顔が映りましょうか」
「とにかく、不当に商品の価格を釣り上げるのは、世間を脅かすことになる。従って、以後片田商店の鏡台は、すべて当代官所が購入することにする。支払いは一基あたり、銭で二百文とするが、その方に異存があれば相談には応じる」
「できません、と申し上げたらいかがなさいますか」
「堺、尼崎、兵庫の片田商店を閉鎖する」
「堺だけでなく、尼崎、兵庫もですか」大黒屋惣兵衛が言った。
「ああ、そう言っていた」
「と、言うことは、堺の代官所の一存ではないですね」
「もちろんそうだ、尼崎も兵庫も摂津国にあるから、守護の意向だろう」摂津国の守護は細川勝元である。
「では鏡台の価格を統制するのが狙いではなく、遣明船向けの商品確保が目的でしょうね」
「まちがいなく、そうだろう」
堺を持つ細川勝元と、博多を持つ大内教弘は、対明、対朝鮮貿易で競合していた。この時期には大内が朝鮮貿易を支配し優勢であった。細川勝元は状況を逆転させようとして、鏡台の独占を図ったらしい。
「たしかに、すごいことになっちまったな」片田が惣兵衛さんに言った。惣兵衛さんは、すこし気まずそうだった。




