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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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蓋つき(ふたつき)

 片田は、片田商店の入口に床几しょうぎを設け、その上に、鏡台を置いた。堺だけではなく、博多、兵庫、尼崎の片田商店にも鏡台を置かせた。

 無精髭ぶしょうひげを生やした男が鏡を見ていた。左腕を首から下げた布で吊っている。怪我をしているようだ。

「こりゃあ、髭をるのにいいだろうな」独り言を言う。

 男が店内に入ってくる。相場板をざっと眺める。

「片田、いるかい」男が店員に言った。店員は男のことを知っていた。男は村上義顕よしあきである。

 奥の応接に通される。卓と椅子がある。

「おもしろいもの、作ったな」義顕が片田に言う。

「鏡ですか、船員用のものもありますよ」片田がそういって、かたわらの棚から、縦五寸、横四寸程の鏡を取り、卓の上に置いた。

「外側の鉄の枠が後ろに下がり、途中で固定されます。髭剃りなどにいいでしょう」

「おう、これ一つ買っていこう」

「腕はどうなされました」

「うん、堺に来る途中で、塩飽しわくのやつらと、やりあった。西の方ではいくさが始まっている」


 細川氏は、このとき四国の讃岐(香川県)、阿波(徳島県)を細川成之しげゆきが、土佐(高知県)を細川勝益かつますが支配していた。

 残る伊予(愛媛県)は河野かわの氏が守護となっていた。

 伊予の河野氏は、本家の河野教通のりみちと、分家である予州家の河野通春みちはるとの間で家臣団を二分する争いの最中であった。

 この家督争いを見た細川勝元は、伊予も細川のものとするために、通春を後援することで争いに介入していった。

 伊予の守護職は、一四三五年に教通、四九年に通春、五〇年に教通、五三年に通春、五五年には細川勝元自身、五九年に通春に、と何度も変更された。五三年の守護変更は、将軍義政に無断で、勝元が出した偽命令である。

 そうして、河野家の分裂が修復不可能になったとみた勝元は、一四六二年、阿波守護の細川成之に伊予を攻撃させる。

 昨年(一四六四年)八月、細川勝元は、ついに自軍を伊予に向けた。

 勝元の真意を悟った通春は、勝元とたもとを分かつことにした。通春は瀬戸内海の対岸、周防すおうの大内教弘のりひろに救援を求めた。



 河野氏は、河野水軍を持っていた、村上義顕達の村上水軍は、応仁の乱前のこの時期、河野水軍の一部であったと思われる。

 

 村上義顕が、塩飽のやつら、といっている塩飽水軍は、備中びっちゅう(岡山県西部)と讃岐の間の諸島が根拠地である。二つの国は細川氏が支配しているので、塩飽水軍は、おそらく細川と関係が深いのではないかと想像される。この想像は史実に基づいていない。


 四国で、河野氏と細川氏が戦っているため、海上では村上と塩飽の関係も悪化していた。


「片田のところの船は、やられていないのか」

「いまのところ、大丈夫のようですね」

「まあ、海の上で敵に出会っても、お前の竜骨船りゅうこつぶねは逃げられるからな」

 義顕が、逃げられる、というのは逆走性能、すなわち風上に向かって航行する能力のことである。

 この時期の和船の逆走性能は八点(九十度)が限界であった。真北から風が吹いていたとすると、真東または真西に進むのが精一杯だということだ、それ以上の風上、東北東や、西北西に舳先へさきを向けて航行することは出来なかった。

「お前の船が、風上に向かって走っていくところを見たときは魂消たまげた。何点までいけるんだ」

「六点(約六十七度)くらいまで、でしょうか」

「六点か、そりゃあいいな。風上側に逃げられるんだからな。俺にも造ってくれないか」

「大急ぎで造らなければならない船が、まだ何隻か残っています。それが終わったら、造りましょう」

「大急ぎでって、もしかしてあの『ふたつき』のやつか。ありゃなんだ」

 義顕は、砲艦の舷側にある砲口の蓋のことを言っているらしい。

「今はまだ、申し上げられません」

 天龍てんりゅう型の砲艦は、八隻が竣工しゅんこう、つまり完成していた。

 それぞれ、天龍、龍田、球磨、多摩、木曽、大井、北上、長良と川の名前が付けられていた。片田は、応仁の乱までに、あと四隻造るつもりだった。


戦船いくさぶねじゃないか、といううわさがあるが」義顕が言う。


 片田は、義顕の吊るした腕を見た。

「次に西に向かわれるのは、何時いつになりますか」

「堺には十日程おるつもりだ」

「では、西に行かれるとき、塩飽諸島を過ぎるまで、『蓋つき』に護衛させましょう」

「護衛、だと。やはり戦船なのだな」

「そうです」


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