盗賊
背負子を背負った男が、北小路(現在の今出川通り)を堀川通りのところで北に上がる。彼の名は小猿という。片田商店の商人だ。
秋の風が吹き、空には鱗雲が拡がっている。
やがて、通りの西側に大きな屋敷が見えてくる。
「あれが山名様の屋敷だろうか」
小猿が門に立つ兵士の一人に声をかける。
「こちらが山名様でしょうか。片田商店から、干しシイタケの配達にまいりました。小猿という者です」
「聞いておる、ついてまいれ」そう言って声をかけた兵が、門の脇のくぐり戸を開け、中に入る。小猿がそのあとに続く。
兵は正面を外れ、勝手口があると思われる方に小猿を連れていく。昼間から酒盛をしているらしい、そんな声が聞こえる。
木戸から勝手の間に入る。
「そこに置け」
小猿が背負子を降ろし、干しシイタケの箱を一つ、土間に置いた。
一人の酔漢が通りかかる。用を足した帰りに通りかかった者だろう。
「そは、だれじゃ。醜い男じゃな、山猿のようじゃ」酔漢が言う。
「商人でございます」小猿が答える。
「商人とな、その箱は何じゃ」
「シイタケでございます」兵が言った。
「山猿が、シイタケを採ってきたとはな。季節じゃな。どこからじゃ、丹波か、大原か」
「相手にせず帰られよ」兵が心配して小猿に言う。
小猿が反抗的な顔をする。
「なんじゃ、その面は」そういって酔漢が小猿を蹴る。
「御厨子殿、いいかげんになされよ」そういって兵が酔漢を抑える。
「小猿、抗うな、帰れ」兵が繰り返した。
小猿は立ち上がり、着物についた砂をはらう。兵の方を見てうなずき、勝手口から出て行った。
小猿が酔漢に足蹴にされていた頃、屋敷の内庭には、片田商店の番頭、藤林友保がいた。彼の前には階に腰かける山名宗全がいる。
「わしは、物語などはあまり読まんのだが、それでも書状などは、読まねばならぬ。最近目が遠くなっての」宗全がそう零す。
友保の脇には、片田という焼き印が入れられた眼鏡箱があった。
夕刻、片田商店に番頭や商人が集まる。彼らは片田に京都の情報収集と、『あや』の警護を依頼されていた。
「山名宗全の屋敷は、ここだ」小猿が卓に置かれた地図を指さす。
新藤小太郎という名の商人が小筆で、地図に山名宗全邸と記す。
「宗全の屋敷には、わしも今日行ってきた。宗全は、法体で赤ら顔、年の頃は六十程、背丈は五尺三寸くらいだ」番頭の友保が言う。
小猿の兄、大猿が、『や』という文字が書かれた紙の束から、山名宗全について書かれた紙を取り出して、友保が言ったことを書き留める。
この紙は、一人に一枚割り当てられていて、京都の主だった者達について、彼らが集めた情報を、つど追記している。
「なんだ、御頭も行っていたのか。あの屋敷ではひどいめにあった」
「どういうことだ」番頭の友保が聞く。
「酔っ払いに蹴られた。御厨子とか呼ばれていたな、あいつ」
「御厨子か」大猿が『み』の束から御厨子を取り出す。
「山城の土豪、足軽の親分だな」大猿がそういって、日付を書き足し、山名宗全邸で飲酒、と追記する。
「京都周辺の足軽大将を囲い込もう、ということだろうな」友保が言う。
夜半過ぎ、『あや』の店の前に五人程の男が集まっていた。首謀者の男が、戸袋の内側に手を入れ、鍵のようなものを取り出す。先端が二度、直角に曲がった鉄の棒だった。
それを、くぐり戸の敷居と石畳の間の隙間に挿し入れ、回し、棒を半分引き上げる。くぐり戸を横に動かすと、戸が開いた。
賊は、『あや』の店が、かつて糸屋だったころの奉公人だった。店のくぐり戸は、敷居の穴に、楔を落として固定する、『楔落とし』という錠を使っていた。家人が寝静まった後に帰ってくる放蕩者の主人のため、外から楔を浮かせて戸を開けられるようにしてあった。
最近『あや』の店の景気がいいのを知り、仲間を募り、盗みに入ろうと考えたのだった。
『あや』が物音で目をさます。
彼女は奥の間という一番奥の部屋で寝ていた。隣の弟達が寝ている部屋で揉み合う音がする。間を仕切る障子が乱暴に開く。
『あや』は跳ね起き、反対側の障子を開き、叫び声を上げながら、裸足のまま奥の庭に逃げた。庭の奥に建つ蔵のところまで走り、そこでへたりこむ。
盗賊が『あや』に迫ってくる。
幾つもの黒い影が、音もなく『あや』の左右を走り抜ける。一つの影が盗賊の腕を逆さに捩じ上げる。もう一つの影が盗賊の足を払い、倒す。仰向けになった盗賊の両肩を、影から伸びる腕が掴む。
盗賊の肩の関節が外れる音がする。くぐもった叫び声が聞こえる。
両腕の自由を奪った後に、盗賊の帯紐を解き、褌を外す。その端を口の中にねじ込む。あまった褌を男の頭に巻いて縛り、猿轡と目隠しの代わりにする
弟達の部屋からも、組み合う音がしたが、やがて静まった。
賊が全員目隠しされたのを確認して。友保が灯明皿に火を入れる。ここまで誰も口をきいていない。
「どうやって、はいった」友保が首謀者と思われる男に尋ねる。
目も口も塞がれ、両肩の関節も外された男は、自分の着物の懐のところを顎で指す。
友保が下を見る。帯を外した時に落ちていた鍵があった。それを持って表のくぐり戸のところにいき、外から楔をはずす仕掛けを試す。そういうことか。
小猿たちが、どうします、という目で友保を見る。ただの盗賊だな、と友保は判断した。小猿を呼び寄せて、小声で言った。
「ただの鼠だ、鴨の河原まで連れて行って、放り出せ」
小猿たちが、五人の賊を、彼らの帯紐で後ろ手に縛り、一列に繋げて、鴨川まで引き連れていくことにした。
友保が、蔵の戸のところで腰を抜かしている『あや』に近づく。鍵を取り出して『あや』に見せる。
「これが、恐らく戸袋の裏あたりに隠してあったのだ。賊は前の店の奉公人かなにかで、このことを知っていたんだろう」
『あや』が、顎を上下させてうなずく。
「元の所には戻すなよ」
そういって友保が綾の腕をとり、手の中に鍵を入れた。




