髪を結う
京都にいる『あや』から片田村の鍛冶丸に手紙が来る。手紙には、団扇型の鏡を作ってほしい、とあった。なんでも手に持って使えるような鏡が欲しい、とのことだった。
この当時の団扇は、まだ四角い。そこで鍛冶丸は横四寸、縦五寸程の鏡を作り、それに柄を取り付けて、試供品として送ることにした。
『あや』は、なんで手鏡が欲しい、などと言い出したのか。
その日、鏡台は売り切れていた。店先に売り切れの張り紙をしていたので、店は暇だ。
あやは、初めてじっくりと鏡を見た日のことを思い出す。灯明の灯に映る、うなじの美しさが忘れられなかった。
当時の女性の髪形はどのようなものであったか。まず『垂髪』といって長い髪を左右に分けて垂らしただけのものがある。垂髪の左右の鬢のあたりの髪を肩の高さで切った『鬢そぎ』も垂髪の一種である。
『束ね』は垂髪を布などで縛ったものである。縛る位置は、襟足ちかくの場合や、髪の先の方などいろいろある。襟足近くで束ねる場合も、髪にふくらみをもたせることが多い。
仕事をするときなどは、髪を丸めて簪や櫛で止めたり、あるいは桂女のように布でまとめたりした。
いずれも、うなじを露わにさせたものではない。束ねや桂女様でもうなじの一部が見えるだけだ。
もっと、髪をあげてしまうのはどうだろうか。
『束ね』で縛る位置を襟足近くから、もっと高い位置に変えてみる。いまでいうならばポニーテールである。前髪も後ろに回して束ねてしまった。『あや』は富士額である。
「これは、これでいいけど。若い娘向きね」
「ちょっと、三郎、手伝ってくれる」あやが弟を呼んだ。あやの二人の弟は二郎と三郎と呼ばれていた。あやの家の屋号が番匠屋なので、呼ばれたのは番匠屋の三郎だ。
「なんだい、ねえちゃん」
「京都にいるときは、お姉さま、とお呼び」
「なに寝言を言ってるんだよ」三郎が来る。
「ちょっと、ここのところで、髪を丸めてくれない。三回くらい巻いてみて」あやが髪を束ねている所を指す。あやの髪は長いので、三回巻いて延ばしてみると一尺くらいになる。
「それ、真ん中の所で縛ってみて。私が髪を押さえているから」三郎が巻いた髪を布で縛る。
「どれ」そういって、頭の後ろの様子を見ようとした。鏡の方を見る。が、鏡のなかで『あや』の頭が回ってしまい、髻の様子がわからない。
「ああ、そういうこと。三郎、ちょっと鏡台をもう一つ持ってきてちょうだい」
「もう一つって、みんな売れちゃっているだろう」
「ああ、そうか。どうしよう。あ、そうだ片田商店に一台あったでしょう。眼鏡の試着用の鏡台。あれ持ってきて」
「めんどくせえなぁ」
「なにいってるの。これでまた商品ができるかもしれないのよ」
「はい、はい」
そう言って三郎は奥の方に行った。二つの商店のあいだの庭を抜けて、片田商店の裏に入る。
「髻を結うには、なにか手に持てるような小さな鏡が必要ね」そういって『あや』は手元の紙に覚え書きした。
そういうわけで、鍛冶丸が手鏡を作ることになった。
三郎が鏡台を抱えて戻ってくる。
「ねえちゃん、なんだその髪の毛」そういって中途半端にぶら下がる髻を笑う。改めて見ると、また可笑しいようだった。
「ねえちゃんは、やめろ」
三郎が『あや』を挟むように鏡台を置く。
「あ、そうそう、もうちょっと左。そこ」やっと後頭部が見えるようになった。
「じゃ、続けましょ。束ねた根本のところあるでしょ、そこに巻いた髪の結んだところを置いて。そう、そうして左右を下げて、で、それ全部を横から簪で刺してちょうだい」
三郎が、根元と巻髪に金色の簪を刺す。これで髻が固定された。左右に三つづつ、髪の房が下がっているように見える。
「結んだところを隠した方がいいかしらね」そういって、結び目を隠すように、、黒漆塗りの櫛を挿した。
真後ろから見ると、髪の房が拡がって、桐の紋所のような髷が出来上がった。
『あや』が二つの鏡越しに見る。頭を左右に振ってみる。うなじが露わに見えている。
「これは、いいわね」
「その髪で、外に出るのか」三郎が尋ねる。
「さすがに、それはまだ、ちょっとね。でも、店に出るときはこの髪型にしてみるわ」
店に来る女性の視線が楽しみになった。彼女らは一様に『あや』の首筋をみつめる。
「いずれ、髪を結いたいって、言ってくるわよ」あやがひとりごとを言った。




