鏡屋町(かがみやちょう)
『あや』が店を決めた。室町通りに面していて、二条通りよりすこし北にある大店を借りることにした。
室町通りと夷川通りの交差点から、少し北に上り、室町通りの西側にある建物だった。
このあたりは、後に鏡屋町と呼ばれることになる。
手付金を払い、店舗の賃貸契約を結んだ。弟達二人は店の内装、什器備品の調達などのために店に残すことにし、『あや』は一旦とびの村に戻ることにした。
商品を調達しなければならない。
こちらに来る前、あやは石英丸達に、最初に作る製品は『ふう』が考案した鏡台だけでいいと依頼していた。
ぜいたく品は、後でいい。まず鏡というものを普及させることだ。あやは確信していた。
桂川、淀川を下り、難波の海に出て堺に入る。
「『じょん』、戻ったわよ」あやが片田商店に入る。
店を借りたこと、借りた店の場所を片田に話した。片田は京都の地理に詳しくはなかった。
「室町通りというのは、京都の中心のような通りだったはずだ。それで二条より少し北なのか」
「だって、しょうがないじゃない、三条のあたりは野菜とか食べ物しか売ってないもの。そんなところで鏡なんて売れないわ」
片田は少し考えて言った。
「借りた店の西隣りが空いている、と言っていたな」
「空いているわ、衣棚通りに面した店ね。室町通り沿いじゃないのに、家賃が高かったので借りなかった」
「よし、そこに片田商店を出そう。眼鏡と干しシイタケならば、そこでも売れるだろう」
「ほんとうに。そうしてくれると助かるわ」
「二つの店の奥庭を一つにしてしまえば、いざというときに、どうにかできるだろう」
「いざというときって、どういうことよ」
「いざというときだ」
片田は、いずれ焼け野原になる京都に手をつけるつもりがなかった。なので兵庫や尼崎には商店を出していたが、これまで京都に店を出していなかった。
応仁の乱が始まるまでのあいだ、情報収集の拠点になればよい、そのように考えた。
『あや』がとびの村に帰ってくる。さっそく片田村の石英丸達のところに行った。
「鏡台、出来てる」
「ああ、二百程出来ている」鍛冶丸が言って、倉庫に連れて行く。
「なによ、まだ組み立ててないじゃないの」
「ああ、京都の店ですぐに組み立てられるように作っておいた。その方が運ぶのに楽だろう」
「みてろ」そういって鍛冶丸が鏡台を組み立て始める。
「まず、引き出しはこうやって作る」引き出しの部品にはホゾと穴が切られている。木槌で軽く叩いて箱型にする。底板の部分も溝が作られていて、そこに通す。化粧板をにはめ込むと、引き出しが出来た。
「簡単にできるものね」
「同じようにして引き出しをいれる台を作る。最後にこうやって、柱をたて、木枠で囲われた鏡を柱の上の自在軸にとりつける。自在軸のところも螺子になっているので、手でひねってやるだけで鏡枠が取り付けられる」
「どうだ、あっというまに出来ただろう」
「そうね、お茶が冷める前に出来ちゃうわね」
「鏡台一つ分の部品が木箱に入れてある。これならば、倉に入れておいて、必要な分だけ組み立てられるだろう」
「一つ、いくらで売ってくれるの」
「七十文(約五千円)だ」
一文が現在のお金でいくらになるか、については諸説ある。一文五十円から百円とされているものが多いようだ。この物語では、間をとって、一文七十円程度としている。
「いいわよ。その値段で買うわ」
「作り続けるのか」
「いえ、まず最初の二百が売れるかどうか、試してからにするわ」
『あや』は忙しい。
まず、京都の弟に、翌日に馬を二十五頭手配するように手紙を書き、早馬で送った。
鏡台の部品をとりあえず百箱、魚簗舟十艘に分けて載せる。今回は堺を経由しないので、舟で大和川を下り、海を経由せずに淀川に入り、山崎で一泊し、桂川、堀川と辿り、夷川通りの船着き場に陸揚げする。室町通りの弟達に使いを出して馬を連れてこさせた。
馬一頭に鏡台の箱を四つ括り付けて、夷川通りを東へ五町(約五百メートル)ほども行けば室町通りである。
翌日、『あや』は店先に二寸ほどの高さの台を出し、その上に鏡台を置き、鏡面を室町通り側に向けた。
通りを行く女達が鏡に映る自分の姿を見て、様々な感情を表す。『あや』はそれを見るのが楽しい。自分が初めて鏡をのぞき込んだ時のことを思い出す。
驚愕して走り去る者、恐る恐るのぞき込む者、鏡に自分の姿を映して、身だしなみを整える強者もいる。幼児が手を伸ばして、自分の姿を掴もうとするのも、かわいらしい。
鏡を店頭に出したその日は、客が店内にこない。これは予想していた。一晩、あるいは数日考える必要がある。
翌日から、すこしずつ客が店内に入ってきて、鏡台が売れ始める。
「これは、なんというものですか」
「かがみ、っていいます。玻璃に銀を塗っているのです。台もあわせて、鏡台といいます。ここに化粧道具なども入れられます」
「売っているのですか」
「はい、二百文(約一万四千円)です」
皆一様に驚く、この驚異の道具が二百文で手に入るのか。
中には、鏡台だとわからないように届けてくれないか、という注文もあった。
「そうだろうな」と『あや』は思う。人によっては恥ずかしいだろう。
鍛冶丸が、組み立て式にしてくれたことがありがたかった。箱のまま弟達が配達し、購入者の自宅で組み立ててやることにした。
十日もたたぬうちに、最初の百台が売れた。




