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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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板ガラス

 片田村の石英丸せきえいまるが堺の片田のところに、板ガラスを送ってきた。従来の板ガラスを再加熱、圧延したので、なめらかで、ゆがみやむらがなくなった、とのことだった。

 片田商店の二階、片田の部屋の窓を連子窓からガラス窓に変えてみた。部屋が明るくなり、なかなか快適だった。

 ガラス板を詳しく見てみる。石英丸が自慢するだけあって、よくできている。ガラスの向こうの景色を見ても、まったくゆがみが無かった。

「これなら、いけそうかな」片田がつぶやく。


 必要なものは、銀、硝酸、アンモニア、デンプンだ。

 硝酸は、すでにある。アンモニアを九百度に加熱して、触媒である白金製の金網を通過させると一酸化窒素が出来る。一酸化窒素は空気中の酸素を取り込み、ただちに二酸化窒素になる。これを湯の中に通すと、硝酸ができる。副産物である一酸化窒素は、回収して原料側に戻す。効率的に作ってやるには、触媒を通過するときのアンモニアの風速が重要である。

 装置は鉄で作ることが出来る。硝酸は鉄をおかすが、表面に酸化膜ができるので、それ以上には侵食しない。

 デンプンは、カタクリの根から採れる。カタクリは飢饉のときの救荒植物として知られていた。飢饉になると、人々は山からカタクリを掘ってきてしのぐ。

 大和、河内の飢饉はたいしたことなかったので、山にはカタクリがある。カタクリ粉は、市にも出ていた。

 片田は石英丸に向けて製造法を記した手紙を書いた。




 石英丸が、まずカタクリをつぶして布でし、デンプン液を作る。これに希硫酸を加えて熱する。その液をなめてみると甘い。グルコース、いわゆるブドウ糖ができた。

 次に、銀を薄く削ってガラスの椀に置く、これに硝酸を注ぎ、硝酸銀溶液を作る。アンモニア水を加えてよく混ぜる。硝酸銀が沈殿するが、さらにアンモニア水を加えると、沈殿物が溶けて透明になる。『じょん』の手紙の通りだ、石英丸が思った。

この液体に、さきほどのグルコース溶液を入れて軽く混ぜた後、床に水平に置いたガラス板の上に注ぐ。

 ガラス板の周囲は木製の枠がはめられており、液体がこぼれ落ちないようにしておいた。


 鍛冶丸かじまると石英丸が水面を見つめていると、ガラス面がわずかに黒くなり、さらに銀色になってゆく。板ガラスの表面に銀が析出しているのだった。


「もう、いいかな」石英丸がそう言って、板ガラスを傾け、酸性の液体を桶に入れて、壁に立てかける。

 ガラス板の上側だった方ではなく、下側の方をこちらに向ける。

「お、これはすごいな」鍛冶丸が言う。そこには二人の姿が映っていた。


鏡が出来た。


「俺、こんな顔をしていたのか」鍛冶丸が言う。石英丸が笑った。

 もちろん、二人とも水面に映った自分の顔を見たことはある。しかし、これほどはっきりと、色もそのままの自分の顔を見るのは初めてだった。

 腕や胸のあたりは、いつも見慣れたままだったので、まちがいなくありのままの姿が映っているのだろう、と石英丸が考えた。自分の姿を見るというのは、すこし気まずいものだった。

 鏡の大きさは畳の半分程だったので、全身の三分の二程が映されている。


「これ、回り込んだ向こう側が見えるわけだから、一人で作業するとき便利だな。表側と裏側で螺子ねじを通してやるとか」

「棒に小さな鏡を取り付ければ、機械の裏とか、下とかのぞけるかもな」


 二人が鏡の使い方を相談していると、『いと』が部屋に入ってきた。

「ああ、『いと』、これ、どうだ」石英丸が『いと』に鏡を見せる。

 『いと』は、何が起きているか、わからなかった。部屋が広がったの、はじめはそう思った。やがて、そこに映っているのが自分だと気づいた。『いと』の目が点になった。

 『いと』が後ろを向いて走り去っていった。


「どうしたんだ」

「さあな」


 数人が駆けて来る音がした。

 あや、いと、ふうが部屋に駆け込んできた。

「いと、どれよ」『あや』が叫ぶ。『いと』が鏡の方を指さす。

 三人のほおがうっすらと赤くなる。

「なによ、これ」

「ど、ど、どういうことだ」


「どういうことだ、って鏡というものだ。『じょん』の言う通り作ってみた。これは便利な……」石英丸の発言を『あや』がさえぎる。

「けしからん、不埒ふらちだ、失礼でもある」『あや』が叫ぶ。『ふう』、『いと』も、そうだ、そうだ、と同調する。

「不埒だって、どういうことだ」

「いいから、それは没収だ。鏡を作っていいかどうかは、私たちが相談する。それまでは作るな」『あや』がそう宣言し、古い布団で鏡をくるみ、持ち帰ってしまった。

 『いと』と『ふう』も不服そうに去っていった。鏡をみたこともなかったので、無理もないかもしれない。



『あや』が鏡を自分の部屋に持ち込む。戸を全て閉め、入り口にもかんぬきを掛ける。昼間なのだが、室内は暗くなる。灯明とうみょうけた。

布団をほどき、鏡を壁に立てかけ、そこに灯明を持ってくる。

「私って、こんなふうに、見られていたのか」『あや』が鍛冶丸と同じようなことを言う。

 右を向いてみたり、左を向いてみたりする。手を上げたり、立ったりもしてみた。

「これって、前にあるものを、映しているだけなのね。水面みなもを立てたようなものね。もっとはっきりしてるし、色もきれいだけど」

 得心がいったようだ。

「これならば、石英丸たちに鏡を作らせてやってもいいかも。明日『ふう』達を連れてきて相談しよう」

 さらに、鏡の中の自分の姿を見つめる。唇に紅を引いてみる。紅は高価なものであったが、『あや』はあゆなどの細工で、相当の財を成していた。

 座ったまま、上半身を右に向け、横からの自身の姿を見る。思いついて、髪を上げてみる。当時の女性は長い髪を垂らしているか、ないしは簡単なかんざしのような棒でまとめていた。

 髪を手で上げてみると、うなじがあらわになる。我ながら美しいと思った。

「うん」


「これは、売れる。鏡は大当たりだ」『あや』が小声で叫んだ。


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