友ヶ島実験場
磯丸が建造した砲艦、天龍は最初の砲撃試験で浸水した。幸い天龍は沈没せずに堺港までたどりついたので、原因を調べることが出来る。
磯丸が天龍の船体を調べる。船体は、複数の条板という細長い板の重ね合わせ部分を、銅の釘でつないでいた。釘は、外側から条板に打ち込み、船体内に飛び出た釘の先に座金を当て、余った釘の先を金槌で叩き平らにしている。
銅の釘の周囲の条板が崩れていた。片田が言っていたように、衝撃力は、不連続な弱いところに襲いかかる。
これを解決する方法は、条板を厚くすることと、釘の頭および座金を大きくすることだ。磯丸はそう考えた。
どれくらいの厚さの条板がいいのか、釘の頭はどれくらい大きくすればいいのか、実験してみなければならない。
磯丸は片田と相談した。砲艦は秘密である。堺の港で実験するわけにはいかない。
近くの無人島に実験場をつくることにした。
紀伊湊(和歌山港)と淡路島の間に、友ヶ島という、大小四つほどの無人島がある。そのなかで一番大きな沖ノ島を実験場にすることにした。
沖ノ島の南には、島の奥まで伸びる谷があり、海に面したところが、丸い石を重ねた浜になっている。浜の傍らの岩場に埠頭を設けて船着き場とした。
浜からやや離れたところに停泊している橘丸から、小舟を使って条板や大砲を陸揚げする。まず、架台を組み立て、その上に実験用の船体を組み上げる。この船体は三間程の長さで船を輪切りにした形をしている。
最初に従来と同一の条板と釘で船体を組み立てて、再現実験をすることにしていた。
条板などはすべて堺で型紙に沿って切断してあった。また艤装などは行わないので、数日で船体が完成した。
「あの時、何発くらい撃ったのだったっけ」磯丸が言った。
「どうだったかな。十発撃ったあたりで淦が上がって来たんじゃないか。十五発以上は撃ってないと思うけれど」酒屋の浜助が言う。彼は磯丸と同じ堺の出身だ。
「じゃあ、まず十発撃ってみるか」
島の谷に砲声が響く。
「どうだ」浜助が言う。
「天龍と同じようになった。釘の周りの条板が崩れてる」
「じゃあ、次やるか」
次は、新しい条板と釘で船体を組み立てる。
条板の厚さは、従来より五割程増している。それを頭の径が一寸(三センチメートル)程もある大きな釘で繋ぐ。従来の釘の頭は三分(一センチメートル)程であったから、三倍の大きさだった。内側の座金も一寸にした。
さらに、釘と釘との間隔も、従来の半分にしていた。
「作るの、めんどうだな」浜助がぼやく。
「桜丸級の貨物船と違って、そうたくさん造ることはないだろう」磯丸が答えた。
磯丸は間違っていた。片田の構想では、応仁の乱の開始までに最低十二隻の天龍級を建造することになっていた。
十二隻は、四隻ずつが組になり、三か所の海域を海上封鎖することになる。二隻が常時封鎖を行い、残りの二隻は補給や修理のため、回航される。
「また、十発からいくか」浜助が尋ねる。
「そうだな、同一条件でどうなるか、見てみよう」
釘も条板も何事もなかったようにしっかりしていた。
「よさそうだな」浜助が言う。
「そうだな」
「五十発まで、撃ってみるか」
「十発ずつ、様子をみながらやっていこう」
船体は、五十発、百発撃ってもびくともしなかった。
「百発撃ってもだいじょうぶなら、いいんじゃないか」
「いや、明日もう百発撃ってみよう」磯丸が言った。このあいだの天龍のような事故は二度とごめんだった。
その年の秋、河内、大和は豊作だった。河内での米の売値は一石あたり、五百八十文まで下がった。片田は河内新田の周囲の村との約束通り、望む者の米一俵を五百八十文で預かった。預かった米は堺の倉庫に入れる。
来年の春、麦の収穫前頃には、米一石は六百文以上になるだろう。山城の農家が、まだ飢饉から回復していなかったので、もしかしたら七百文を越すかもしれない。
その頃になったら、片田のところに百姓たちがやってきて、預けた米を市場で売る。
片田は五百八十文を受け取り、差額は百姓たちの儲けになるだろう。




