半舷斉射(はんげんせいしゃ)
七月、味噌屋の磯丸が建造していた砲艦の砲撃試験を行うことにした。この艦は春に艤装が完了し、天龍という名前がつけられ、試験航海をしていた。
中古で購入した和船、橘丸が同行する。
二隻は紀淡海峡、紀伊水道を南下し、陸が見えなくなるところまで航行した。
「主帆を逆帆にせよ」臨時で艦長役を務める安宅丸が命令した。これで天龍は一時停止状態になる。天龍から小舟が降ろされた。
小舟では小さな帆が張られ、帆と舵が索で固定された。
「標的を放せ」小舟の作業員が回収されると、安宅丸が言った。小舟の索が切られた。
風は西風だった。小舟は南に向かって帆走していく。天龍は小舟を追い越し、十分離れたところで右に上手回し(タッキング)の操艦を行い、艦首を南から北向きに変更する。右舷二十間(三十六メートル)程の距離で標的の小舟とすれ違う。
「斉射」砲術長役の磯丸が射撃を命令した。
轟音がした。右舷側の十門の砲が一斉に放たれる。丸太の周囲に無数の水柱が立つ。今撃ったのは小石を詰めた袋だった。小舟に取り付けられた帆に、いくつもの穴が開く。
「小石弾でも操艦能力を奪えそうだな」片田が安宅丸に言う。
「そうですね。帆を破るだけなら、小石でも十分のようですね。帆桁や索具を破壊するのなら、拳くらいの大きさが必要でしょうか」
「試してみるべきだろうな」
「左舷側でやってみましょう」
天龍に取り付けている砲は、もはや臼砲とは呼べない。船内で扱うので小型であるが、臼砲のように高角度で打ち上げるのではなく、水平に近い角度で打ち出す大砲である。
安宅丸が、再度の上手回しを指示する。上手回しをしている間に、砲甲板では磯丸が拳大の石を詰めた袋を砲に装填させていた。
「淦、検査」安宅丸が甲板の開口部に待機している水兵にむかって命令する。水兵は倉口に頭を突っ込んで、船底にいるものに復唱する。
「六寸です」船底から回答があった。
淦とは、船底に溜まった水のことである。溜水の深さが六寸(十八センチメートル)だ、という報告だった。
降雨や波などで、船の底には常に水が溜まり続ける。その量は管理されていなければならない。そのために船の底には溜水の深さを計る仕組みがあり、また溜水を排水する道具も備えている。
南進する天龍が、標的の小舟を追い越す。再び磯丸の斉射の命令が飛ぶ。
小舟の帆柱が吹き飛び、舷側にいくつかの穴が開いた。
「この大きさの石で十分なようです。鉄の砲弾は、めったに使わないでしょうね」安宅丸が片田に言った。
「そうだな」
彼らの想定している海戦では、相手船の沈没をねらっていない。沈没させるより拿捕したほうがいい。船と積み荷が手に入るからだ。
天龍は、小舟の周りを何度も回り、小舟が沈むまで射撃練習を行った。
「報告します。淦、九寸(二十七センチメートル)です」
「なに」安宅丸が叫んだ。
「どういうことだ」安宅丸が船尾楼から倉口に向かう。
「もういちどやってみろ」
「……十一寸です」
安宅丸が船底に向かう梯子を下りていく。船底にたどりつき、淦を測っている水兵のとなりに立った。
「増えているのか。俺にやらせてくれ」そういって、水兵から淦を測る棒を受け取る。棒を布で拭って、床に空いた穴にいれる。棒が底を突いたことを確認して引き抜く。灯りをよせて、濡れた部分を見る。棒の目盛りで十五寸のところまで、濡れていた。
「灯りを貸してくれ」安宅丸がそういって、灯りを受け取る。船の最深部には、安定のために小石が敷き詰めてある。小石と最下甲板の間は膝の高さ程の隙間がある。
安宅丸は這って、船底の条板内側のところまで進んだ。飲料水の樽を横にずらして、灯りを条板に向ける。
条板が濡れていた。条板と条板を張り合わせている所で、ところどころ海水が漏れている。急いで戻ろうとして、最下甲板の底に頭を打ち付ける。
安宅丸が上甲板に戻ってきて、指示をする。
「進路、北に向かう。下手回し」水兵たちがあわただしく動索を操作しに向かう。
「船底が緩んだ。海水が浸入している。排水、全力で始め」
倉口の隣にある淦汲み機(排水ポンプ)の柄を二人の水兵が回し始めた。
「どれくらいの速さで浸水しているんだ」
「測って見なければわからない」
二等航海士が砂時計を持ってくる。二等航海士というのは今の用語であるが、天龍においては、右半舷の責任者である。また砂時計は大きな基準砂時計を作り、夏至前後の日に日の出から、次の日の出までに落ちる砂の量を測り、そこから天秤で半分づつにわけることにより作られている。
浸水量を測っている間に、後続する橘丸に天龍の状況を旗信号で説明する。
「二刻(四時間)から三刻(六時間)で、沈むだろう」
「堺まで、どれくらいでたどりつく」
「今の速度なら、三刻あれば、たどりつく」
「しかし、夜になれば風が落ちるだろう」
「そうだな。磯丸、大砲を捨てよう」
「わかった」磯丸がそう言って砲甲板に下りて行った」
舷側から鈍い水音がする。磯丸が大砲を海に投げ入れている音だ。
「どうだ」砲甲板から上がってきた磯丸が尋ねる。
「遅くなったけど、でも少しだ、もって四刻(八時間)だろう」
「砲弾、火薬、真水樽なども捨てるか」
「いや、そこまですると、かえって不安定になるだろう」
日が西に傾いていた。申が満ちた頃の時刻(午後四時)だった。真夜中までには天龍が沈んでしまう。




